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自転車旅を含む「旧ガイド日誌

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ニュージーランド 自転車の旅

空、雲、山、川、森、雨、

そして風の国

Southern Highway 2500km

ニュージーランド南島一周

チャリ(MTB)の旅

 

 

亜南極圏強風帯「吠える45度」 南島の南端地方には絶え間なく西風が吹き付ける

 

INDEX 目次

[TOP] 出発前の遠征準備から入国当日まで

[1] 第一週 カンタベリー平野 クライストチャーチから南へ

[2] 第二週 南を目指す道 ダニーデンなど

[3] 第三週 吠える45度 Catrins Coastなど

[4] 第四週 Main South Road クイーンズタウンなど

[5] 第五週 雨の国 西海岸からエイベル・タスマン国立公園

[6] 第六週 海岸国道 ネルソンからクライストチャーチへ

 

ニュージーランド政府観光局 日本語

ビジターインフォメーションセンター「アイサイト 」日本語

 

地図中の赤い線はルート図 右回り1周約2500km

 

 


 

 

 

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第六週 海岸国道 

Collingwoodのハマグリの海、

そしてネルソンから

再びクライストチャーチへ

 

 

 

 

 

宝の海だったゴールデンベイの遠浅の海

第六週目(1)

ゴールデン・ベイへ Collingwood 人口200 

MOTUEKAは小さいながらも何でも揃った町だった。

銀行、郵便局はもちろんアウトドア用品の専門店もMTBショップもあった。ちょっとリゾートっぽい町だ。エイベルタスマン国立公園の中心を成すGATEWAYなのだろう。僕は町外れにあるモーターキャンプ場に泊まった。モーターキャンプの駐車場にもシーカヤックを積んだアウトドア・ジャンキーたちの車がたくさん停まっていた。

いつものように午前9時ごろ出発。モトゥエカは小さな町なので5分足らず、あっと言う間に郊外に出た。広大なフルーツ畑のなかの道をひた走る。快晴で雲のかけらもない。南国っぽい風情だ。

そろそろ日焼けが気になりだす。もうすぐ12月、高緯度特有の得体の知れない鋭い紫外線を強烈に感じるようになる。南国の紫外線と違って肌に突き刺さる感じがする。気のせいではないと思う。南国のほうが暑いけど、日差しは幾分体にやさしいと思う。高緯度でオゾン層が薄くなっているせいなのだろうか。

きょうも暑い。南国育ちでいつも日に焼けていたから日焼けに対する肌の強さには自信があるけれど、早速昨日の日焼けに違和感を覚える。きょうも暑い。日焼けを気にして長袖でいるけれど、暑いので腕をまくっている。これでは意味がないんだけど。

きょうはハードな峠越えがある。標高815mだけど、たった11kmで0mの海沿いからまともに登り切るのだからかなりの勾配が予想された。美瑛から吹上温泉の比ではないだろう。

午前中はまだまだ元気がいいので快調に登る。標高100登るごとに一旦停まって小さな休憩を挟む。それを繰り返す。疲れていなくてもこのリズムを崩さない。100m、休憩、100、休憩を繰り返す。こうして登るとバテないということをいつの間にか覚えた。きょうもいつもの調子でペダルを踏むのだ。

ここはTakaka越と呼ばれ、難所で知られているせいか乗用車からの応援エールをたくさん受ける。こういうのって結構嬉しい。NZをどんどん好きになる。こうして正午にはTakaka超を登り切ってしまった。あまり疲れなかった。

さて、難所Takaka Hillの下り坂が始まる。勾配が異常に急で、しかも九十九折れときている。あっという間に前を走るトラックに追いついてしまう。僕のMTBは重量があるけれど下りで時速60kmを超えるのだ。

まさか自転車でトラックを追い抜くことははばかれたので、しばらく後ろをついて走り、途中で見つけた座り心地良さそうな大きな岩のうえでランチとなった。いつものように豆のトマト煮の缶詰で昼食にする。

Takaka Hillを下りきるとUpper Takakaというわかりやすい名の集落があった。そのまんまやないか。背後には城砦のような岩山のような、いま僕が駆け下りてきたTakaka Hillがそびえている。けっこう凄い・・・。

俄かに海風が吹いてきた。Takaka峠よりもこっちのほうが辛い。正直、難儀しながら海辺のTakakaの町まで走る。20kmだったが、こちらはけっこう辛かった。やっぱり風は苦手だ。残酷すぎる。

Takakaの町は小さいけれど必要なものはひと通り揃っている。垢抜けた印象もある。Motuekaと並んでアクティビティの拠点になっていて町には華がある。

大きなスーパーを見つけて買出しをする。この先には町らしい町はないのでここで最後の補給をしておく必要があると考えた。きょうの目的地Collingwoodまであと28km。

スーパーの出入り口で20歳くらいの女の子が話しかけてきた。どうやら自転車に興味があるようで、タイヤのことや重量のことを聞いてくるから、まんざら素人でもないようだ。このタイヤなら速いのか、MTBタイヤと比べてどのくらい能率がいいのかと聞いてくる。また、日本からどうやって来たの?というから「このタイヤで海を渡ったんだよ。速いんだ。」というとウケた。なんだかんだで20分くらい話し込んだだろうか。それにしても彼女は素足なのだ。 ハダシで歩いていて痛くはないんだろうか。

ここからCollingwoodまでの道程はきっと快適な海沿いロードと期待したが、それは違った。少し内陸に入った山間の道だった。小刻みな坂の連続に少々うんざりする。Collingwoodに着いたころにはへとへとになった。

それにしても、なんというところだろう!海が遠い。目の前は広大な砂洲なのだ。海は遥か沖合いに波の背が見えているけれど、この先はいったい何キロあるんだろう?

砂洲に突き出した半島のようなところにCollingwoodの町があった。ほんとうに小さい町だ。小さな雑貨店を兼ねたスーパーが1軒、カフェ1軒、郵便局とバスストップを兼業した何でも屋さんとバックパッカー、モーテル各1軒、これが全て。メインストリートは50mくらい。これでおわり。

すばらしい・・・。

僕は半島の突端にあるキャンプ場の小屋を1軒借りた。

 険しいことで知られるTakaka越

 ランチはいつも岩のうえ。

 物を大切にする国民性  よく見かけるT型フォード

 Collingwoodの僕の家


第六週目(2)

コリンウッド暮らし 宝の海 

コリンウッドのキャンプ場のおじさんはきさくな人で、大きな声で「よく来た坊主、わからないことがあったら何でも聞いてくれ!」といって豪快に笑った。かといってマケてはくれなかったけど。

小屋は1日20ドル(1700円くらい)。ちょっと高いような、安いような。バックパッカー(相部屋)も20ドルだから、まあそんなものかな。

それにしてもこのへんのバックパッカーには男女相部屋が多い。上のベッドは女の子なんてことも珍しくはなく、平気でTシャツを着替えたりブラジャーを外したりする。欧米人の羞恥心のレベルは日本人とは大きく違う。こういうところ日本人がいかにもいじらしいと思う。欧米では日本人の女の子というだけでブランドイメージがあって人気があるけど人気の秘密はこういうところにもあるかもしれない。シャイで可愛いのだ。

それにしても欧米人の若い女性は開けっ広げすぎて戸惑うことも多い。胸元やら尻やら、やたら露出する。頼むからパンツくらい隠してくれよ。

さらに困ったことは、中国人の女の子が白人にでもなったつもりなのか、その真似をして露出する。

正直、田舎のだらしないオバサンにしか見えない。

気持ち悪いだけだ。

日本人の女の子の、ワーホリ摺れした女子にもいる。がに股でサンダルをペタペタ履いてダルそうに歩いている。きっと綺麗な子だっただろうに、小汚くだらしなくして露出している。

そういう女の子を見るのはつらい。

本人はカッコイイつもりなのだから、さらに気の毒でしょうがない。

さて、コリンウッドの町。ここにはだらしない不潔女子はいない。あるのは広大な浅瀬。どこまでも砂浜。そして風だ。

ここはゴールデンベイという南島南端部の広大な湾に面している。遠浅な海による砂洲の多いところで潮が引くと広大な砂浜が出現する。砂浜というか、砂丘みたいなものだ。 これが、あまりにも広い。水平線まで砂洲が続く。

こんな調子だから町のすぐ裏はビーチになっている。満潮時にはすぐそばまで波が打ち寄せるのだけど干潮になると海は遠いから海水浴には向かないかもしれない。潮が引くとそう簡単には帰れないから。海ははるか遠くでウェーブをたてている。何キロ先だろうか。わからない。

僕は町はずれ(とは言ってもメインストリートは目の前だけど)のキャンプ場に滞在している。

砂浜を歩くと無数の貝殻が足元に散らばっている。アサリのような蛤のような、白っぽい2枚貝で決して古いものではないように見える。昨日ここに着いた直後の夕方、浜を歩いていて期待したのにはワケがある。

潮の干満のサイクルは地域や地形や季節にもよるけれど概ね6時間〜7時間のサイクルであることが多い。この日の干潮はお昼すぎにやってきた。僕はさっそく小道具をもって広大な干潟に歩いて出かけていった。戦闘開始だ。

200mほど沖に出たところでコッフェル(アルミ製のキャンプ鍋)で砂を軽く掘ると、2〜3cmのところで砂利のようなものにゴツゴツ、ガツガツ当たった。ああ、表面は砂だけど中のほうは石ころなんだなと思った。よくあることだ。

けど、それは大きな間違いだった。

それらは全て、大小の貝だったのだ。

大きなものは12センチほど。ハマグリに似ている。小さなものはアサリくらいのもの。ひと目で「これは食える」とわかった。そんな貝がざくざく採れる。

ハマグリ長者だ〜!

僕はすっかり舞い上がってしまった。宝を掘り当てたような気分だ。しかも、足元を掘ればいくらでも出てくる。ザクザク、ザクザク・・・。まさに無尽蔵。

自分がしゃがんでいる周辺を掘っただけでスーパーの袋がいっぱいになった。仕方ないので日本のアサリくらいのサイズは捨てて、大きなものだけを選んで拾った。軽く砂をこそげるだけでハマグリはごろごろ出てきた。たちまち米袋いっぱいくらいの貝が採れた。10キロを超えたところでもう持って帰れないと思っていったん戻ることにした。いくらなんでもこれだけあれば3日間は腹いっぱい 食えるだろう。

ゴールデンベイはまさに宝の海だったのだ。

この広大なゴールデンベイは、どうやらハマグリでできているらしい。夢のようなところではないか!

ハマグリの浜を、ハマグリの上を歩いて岸に戻った。いったい何億個のハマグリがここにあるのだろう?僕らの住む日本も、太古にはこんなふうにアサリとハマグリだらけの海に囲まれていたのかもしれない。

これから数日間、僕はハマグリばかり食って過ごした。

潮汁をのみ、食事といえば茹でたハマグリを洗面器一杯たべた。

食って食って食い続け、僕が貝殻を捨てる砂浜の一角は

僕専用の貝塚

といった様相を呈するようになった。

 日本全国にある遺跡としての貝塚のなりゆきを考えながら思った。なるほど、やっぱり縄文時代の日本の海はこんなだったんだろうな。

妙に納得したのだった。

暇なときはキャンプ場の犬と遊んだ。ポチ(勝手に名付けた)はしょっちゅう僕の小屋の前にボールをくわえてやってくるのだ。黙ってドアのまえにボールをおき、ドアをノックする。出てみるとポチが座っている。遊んでほしいと顔に書いている。仕方ないので遊んでやる。ボールを投げる。ポチがダッシュ。また投げる。ポチがダッシュ。ときどき、見つからないフリをして一緒に探してくれと甘えてくる。まだまだ子供なのだ。

Collingwood滞在は実に幸せな日々だった。3つの国立公園に囲まれた静かな町、そして恵みあふれる海。エイベルタスマンがここにやってきた時代と変わらない時間の流れがここにあった。まさに地球の宝のような場所だと思う。

でも、いつまでもこうしてはいられない。帰国の日が近づいていた。

 お宝がお宝が、ざっくざく

 お宝、食ったぁ!

 海へ・・・。

 静かなCollingwoodの町 平和な風がふいている


第六週目(3)

ネルソン バスに揺られて 

コリンウッドは立ち去り難い町だったが、その日はやってきた。

町のポストオフィスでバスを予約してその朝は久しぶりに自転車を分解してバッグに収納した。久しぶりのことだ。

キャンプ場の管理人のおじさんとポチに別れを告げた。

「また来るよ。」

でも正直いって、この次にいつ来られるのかわからない。でもきっと再びここに来る日があると思う。約束する。

この日の朝もいい天気で、平和な風がメインストリートに吹いていた。ニュージーランドの旗がパタパタと揺れている。

天国のようないい町だ。貝が美味しかったこともあるが、それだけではない。メインストリートには人がチラホラ、いつものように時間がゆっくり流れている。

アイスキャンデーを舐めながらメインストリートを歩くのが僕は好きだった。

コリンウッドからは同じ道を戻らなければならない。同じ道を引き返して走るのは嫌なのでバスを使った。バスを乗り継いでネルソンに向かう。ネルソンは大都市だ。けっこう早くに着くだろうからネルソンで自転車を組み立てたらさらに進んでみようと思っていた。

ネルソンからは久しぶりの自転車乗りになる。

キャンプ場からポチがバス停まで見送りにやってきた。お別れがわかるのか、寂しそうな目をしていた。自転車と並んで座っているとポチも隣に座った。

バスがやってきた。

**********

コリンウッドからバスを3回乗り継いでネルソンに向かう。最初の小型バスは日本の中古車で、ドアが閉まるとき「ピンポーン、ドアが閉まります、ご注意ください」とアナウンスが流れた。乗客は僕ひとりだった。僕がアナウンスをそっくり真似ると運転手が笑って「日本車なんだ」と誇らしげにいった。

僕が苦労して走ってきた道をバスは何事もなかったかのようにビュンビュン走る。おまけにずいぶん飛ばす。Motueka乗り換えでランチタイムがあり、町のカフェでサンドイッチを食う。戻ってみるといつの間にか乗客がすいぶん増えていた。ほとんどが欧米人の若いバックパッカーで、ひとりだけ20歳くらいの東洋人の女の子が乗ってきた。互いにわかってはいたけれど話はしなかった。

ネルソンには早くに着いた。なんだか面倒になってそのままネルソンのインターシティバスセンターにいき、「ピクトンまでのバスに乗りたいんだけど」というと、予約は前日までだと言われあっさり斬り捨てられた。おいおい、きょうのバスに空席があるんなら空気を運ぶより客を運んだほうがいいんじゃない?と思ったが、ダメなもんはダメなのだという。

インターシティは旧国鉄系のバス会社で、赤字で廃止になった旧ニュージーランド国内の路線をバス輸送に切り替えて引き継いでいる。でもやっぱりかつてのお役所根性が抜けないのかも。だから潰れたんじゃなかったのかな?

どっかの国と同じだ。

仕方ないので自転車を組み立てて走り始めたが、どうも乗り気がしない。しかも調べてみるとこの先、ピクトンまで100km、途中に、宿がありそうな町は70kmも先であることがわかった。しかもTree Hillと呼ばれる難儀な連続峠もある。すぐに思いとどまってネルソンに引き返した。ネルソンのYHを見つけた。この日はNZではじめてYHに泊まった。

YH近くのスーパーで買い物をしてYHの共同キッチンでハムサラダを作る。デザートにはメロン。久しぶりに新鮮な野菜たっぷりでうれしい。さすがYHだけあって東洋人も多く、すぐに日本人の女の子をみつけて仲良くなった。日本語で喋るなんていったい何週間ぶりだろうか。

なんと彼女はこれからコリンウッドに向かうのだという。町に1軒しかないバックパッカーで住み込みで働くのだとか。クリスマスも新年もあのコリンウッドで迎えるのだ。僕の大好きなコリンウッドで!

すっかり嬉しくなっていろいろ教えた。彼女は彼女でコリンウッドの情報は少なくて不安だったらしい。写真を見せたりハマグリの話をした。

そうこうしているうちにほかの日本人のカップルとも仲良くなった。遅くまで日本語でたくさん話をした。こんなの久しぶりだ。やはり日本語ってうれしい。

カップルが加わったのでコリンウッドに向かう彼女とはあまり話せなかったけど、彼女は無事にコリンウッドに行くことができただろうか。ハマグリ三昧を楽しんだだろうか。滅多に日本人がやってこないあの天国のような小さな町で、数週間を楽しく過ごせただろうか。日本に帰ったら年賀状を送ってあげようと思っていたのだけど名前を聞いておらず、おまけにバックパッカーの住所もわからないためそのままになってしまった。

 Motuekaで見つけた酒場兼安宿 いいカンジだ

 ネルソンで泊まったYH.飛び込みで泊まれたのはラッキー


第六週目(4)

ブレナム Blemheim 

帰国日とは時間との勝負になってきた。もう立ち止まってはいられない。この先は雨でも走らなければならないし、それが嫌なら1周の達成をあきらめてバスなり列車に乗るしかないだろう。12月6日早朝5時クライストチャーチ発、変更不可のディスカウントチケット。きょうは12月1日。正味あと5日しかない。クライストチャーチまで450km。けっこう遠い。

あとがないから、ここから先はひた走ることになる。

ネルソンのホステルは早めに出発することにした。簡単な朝食をおえて皿などを洗っていたら、中国人と思われる男が僕のすぐとなりのシンクに米飯がガチガチになった炊飯器の内釜を放り込むと、 立ち去った。

まるで、「お前が洗っとけ」みたいな態度だったので無視をしていたんだけど、ふと思った。

もしこれを洗わずにおけば、きっと僕が洗わずに放置していたっと誰もが思うだろう。

それがヤツの狙いだ。

負けた。仕方なく僕が洗った。

それにしてもやり方が汚くないか?

世の中、いろんなやつがいるけど、こういうことはやめたほうがいいのではないか。彼には日本人に対する特に理由のない漠然とした反発があるのかもしれないけど、それを僕にぶつけるのはどうなんだろう?これによって彼の国に対して特になにも思わなかった僕が彼の国に対して反発を覚えるようになると考えないのだろうか。やつは 中国を代表して国の恥を晒している。

メガネをかけたブタのような容姿のオトコだった。服装や印象は日本のアキバ系みたいな男だ。きっとオタクなんだろう。アニメファンでロリコン、アイドル好き。いちばん苦手なタイプだ。

彼の国に対する嫌悪ではなくオタク人種に対する嫌悪に留めようと、なんとか自分に言い聞かせた出来事だった。やつはオタクだったんだと言い聞かせた。ところで、やっぱりこの国でもユースってオタクが多いんだろうか。

僕はだいぶ前から日本のYHを使わなくなった。利用者にはちょっと変わった人も多くて特にオタク君によく遭遇するからというのがその理由。オタクと同じ部屋で寝るなんてゴメンだ。あと1000円でオタクから開放されるならそのほうがいいので、僕は民宿やビジネスホテルに泊まることが多い。やっぱりオタクは苦手。

さて、オタクの話は終わらせよう。多くのオタクはスポーツが苦手なので自転車旅などしない。

チャリ旅はオタクのいない世界だ。快適だ。

天気予報とはうら腹に、ネルソンは若干の小雨模様。同じように自転車で旅しているというNZ人の女の子とあれこれ喋りながら準備をする。お互いクレイジーよね〜とのことばを最後に別れる。それって激励?だな。

ネルソンのYHで、僕はきょうピクトンに行くといったら皆が「Tree Hill」がいかに困難であるかを説くのだ。どんなにすごいところなんだろうと思っていたが、Tree Hillはその名のとおりで別になんてことない普通の峠が3つ連なっているだけだった。これなら別に何ともない。100m、休憩、のリズム作戦で難なく乗り切れるだろう。

Tree Hillに差し掛かった。ロードレーサーに乗る地元のチャリダーが追いついてきてしばらく話した。これからピクトンに行くのだと言ったら「この先にTree Hillというところがあってハードだよ。」という。知ってるよ、たぶん、ノー問題だ。平気だよと言ったら半ば怒って行ってしまった。そのあと2つ目の峠でまたすれ違ったけれど、一瞥しただけでニコリともしてくれなかった。う〜ん・・・。やはりあそこはヒェ〜という顔をして恐れを成すべきだったんだろうか。

それでも、やっぱり難なくクリア。距離は長かったけど向かい風なんかより全然いい。それより何が難関なのかよくわからない。Takakaのほうが過酷だった。

けっこう調子がいいのでPictonよりさらに先のBlemheimに進むことを検討する。何しろあとがないのだ。調子がいいときになるべく距離を稼いでおきたい。

この日は結局、117kmを走ってブレナムに至った。なかなか調子はいいみたいだ。

ブレナムのキャンプ場のキッチンでステーキを焼いていたら別の自転車旅の青年に話しかけられた。なんでもオリンピックの年に自転車で長野に行ったことがあって、ここで思わず日本人を見つけたものだから駆けつけてきたんだという。たぶんキャンプ場の名簿記帳をみて僕が日本人だとわかったんだろう。ちょっと癖のある英語だったので会話に苦戦した。つい注意が逸れてしまって貴重なサーロインステーキを焦がしてしまった。うわ〜〜残念!日本贔屓は嬉しいんだけど、肉が焦げたのはイタかった。

 

 派手なトラック フルーツを運んでいる

 なぜか中古車屋に神戸市営バスが・・・

 鉄橋のように見えるのは道路鉄道共用の橋 信号機で住み分ける


第六週目(5)

カイコウラ Kaikoura それでも伊勢海老食べたかった

12月2日、きょうKaikouraまで走ることが出来たなら12月5日までに自走でクライストチャーチに戻ることが可能になる。カイコウラまで132km。十分、可能な距離だ。特に目立った難所はないし風も弱く天気もまずまず。あとは風が敵にならないよう祈るだけだ。

午前中はいくつかの峠をこえる山あいの道だった。標高200mくらいの峠をいくつも越える。登ったり下ったりを繰り返す。NZにトンネルは極端に少ない。橋も少ない。NZでは日本と違って山があれば登り、川があればできるだけ下ってさらに遡り、狭いところで渡り、また登っていくというとても素朴な道作りが行われている。その結果としてトンネルがない。ほとんどない。 今回の旅では今のところまだ一度もトンネルを潜っていないのだ。日本では考えられないことだ。

ついでに言うならば舗装も極めてラフだ。砂利道なのか舗装なのか、どっちなんだ〜と判別に苦しむ道もある。いちおう舗装されているのだが砂利が簡単に剥がれて表面に浮いているのだ。

ガードレールも少ない。標識などは日本の10分の1もないだろう。

でも、思うのだ。本来これでいいんではないか?日本の道ってどうかしてる。度が過ぎて金がかかりすぎている。狂っていると思う。

そして日本の道は自然に逆らいすぎている。

NZの道は優しい。舗装がラフで走りにくいという人もいるだろうが、これが普通なんではないだろうか。日本が異常なのだと思う。

まあこうして自然の地形そのままの道を南へ、10月下旬にこの旅を出発した町であるクライストチャーチを目指して走っているわけだ。だいぶ慣れてきた。今では心地いい。

ピクトンからずっと鉄道が併走している。鉄道にはトンネルがあるし小さな沢にも橋がある。やっぱり時々、羨ましい。いいな鉄道は。トンネルがあって。

70kmを走って中間地点に出た。ここからはシーサイドラインになる。ずっとカイコウラまで海沿いに走る。きっと気持ちいいに違いない。

道路と鉄道が仲良く並んでビーチにへばりつくようにずっと先まで続いている。場所によっては波が道路や線路を洗うんじゃないかと思われるところもある。実際、注意看板があるからそうなんだろう。車が痛むだろうなあ・・・。

それにしても海鳥が多い。つまりは魚がたくさんいるんだろう。カイコウラに近づくにしたがってなんだか周囲が臭くなってきた。異臭が漂うのだ。この匂い・・・。そう、動物園の臭いに違いない!それとも牧場の臭いだろうか?

正体はすぐに判明した。海の岩場に牛の死骸らしきものを見た。ときどき見かける。なぜ死骸が?と思ったらそれは牛の死骸などではなかったのだ。それは動いた。よく見るとオットセイだったのだ。岩場は野生の楽園だったのだ。

どうりて臭いわけだよ・・・。

けっこう辛い。自転車は有酸素運動でたくさんの空気を吸うんだけど、胸いっぱい体内にオットセイの糞尿のニホイを吸収するわけで、毛穴がどうにかなりそう。自然大好き♪とか言いたいけど、この臭いはけっこう辛いぞ。とくにこのアンモニア臭はただならぬものがある。

ワイルドライフはすばらしい・・・・。自然大好き!(すでに涙目)

カイコウラが近づくと国道沿いにクレイフィッシュ(伊勢海老)を食わせる屋台をチラホラ見かけるようになった。塩茹やグリルでそのまま食わせるのだ。

う〜ん、たまんないねえ・・・。

すごく魅力的だった。客が海老や牡蠣を食いながらビールを飲んでいる姿がどうしても目に飛び込んでくる。煩悩がぐらぐらする。

ああああああ・・・・あああああ・・・・・。

何度もブレーキに手をかける。一度は反転して店の前までいった。

でも、ついに振り切った。なにもそこまで意固地にならなくてもいいのに。財布にもクレイフィッシュを食うくらいの金は十分にある。5千円くらいの出費であれば取り返すことは出来るだろう、とは思ったが。

でも、この旅は僕にとって観光ではない。観光要素抜きでいこう。そう決めていたのだ。だから観光らしい観光を一切していない。これくらい何もしない「観光客」も珍しいだろう。外食もほとんどしない。9割自炊で通している。

信念というか、意地というかヤケクソになってクレイフィッシュの誘惑を振り切った。ほとんど涙目・・・。 食いたいものを食えばいいのに、まったく頑固なオレ。

クレイフィッシュを振り切ったら突然疲れを覚えてきた。気力が萎えたんだろうか。さすがに100kmを超えるころからは疲労を感じる。空荷の自転車ならともかく完全装備のMTBはかなり重いから100km以上を走るのはそれなりにしんどい。

やっとカイコウラに到着。リストにあったキャンプ場をみつけて受付で申し込みをする。会計のときになってメンバーカード割引が使えないとキャンプ場のマネージャーが言い出す。ホワーイ!なぜだ〜と抗議して、彼の困惑した様子をみて 、ふと抗議をやめた。あれ?あれれ・・・??

なんとまあ、僕がリストで探していたキャンプ場とは違うところにきていたのだ。いわゆる、紛らわしいというヤツにまんまと引っかかった。

僕がメンバーになっている「Holiday Top10」は有名な全国チェーンなんだけど、人気があるだけに紛らわしい名前やデザインのものがチラホラある。

ま、つまり「東急イン」と「東横イン」みたいなもので。

つまり僕は「東横イン」で「東急インカード」を提示して騒いでいたわけで。

・・・・。とても恥ずかしかった・・・。

きょうは132km。よく走った。伊勢海老は残念だけど。

ああ、ちゃんと「東横イン」に泊まったです。つまり、パクリのほうに。

 海沿いの砂丘に残された古い教会

 ときどき波で洗われるという線路と道路

 

 海岸線は花畑


第六週目(6)

あやしい果物と雨と。 Cheviot 人口1000

12月3日、これで12月5日までに自走でクライストチャーチに戻ることが十分可能なところまで帰ってきた。きょうはあまり無理しなくてもいいだろう。それにしても連日100kmオーバーの走行が続いていて疲労を感じる。両足の膝に軽い鈍痛があり朝になっても痛みが十分に抜け切らない。ちょっと無理をしているかもしれない。

おまけに日焼けがひどい。腫れているというより、腕いっぱいに湿疹のような発疹がある。たぶん紫外線によるものだろう。いかにも有害というカンジでなんか嫌。南国のものとは明らかに違う種類の日焼けに不安を覚える。

でも、あともう少しだ。

きょうも暑い。きょうも短パンとTシャツで出発する。暑いんだから仕方がないのだ。足は健全な日焼けをしている。問題は腕いっぱいの発疹だ。

きょうは峠、峠の連続になると「ペダラーズパラダイス」から情報を得ている。さらに蓄積された疲労もある。さらに、きょうは天気が崩れそうだった。こんな日は無理は禁物。のんびり行こう。

最初の20kmは前日からの続きでシーサイドラインだったが、やがて道は山間部へと吸い込まれていく。200登っては100降りて、また100登るという繰り返しを延々と繰り返す。けっこう辛い。

こういう日が西海岸でもあった。疲労に重ねて大小の峠の連続。その日は確か1日で57kmしか走らなかった。それなのに激しい疲労に参ってしまったのだ。また同じことになるのだろうか。悪夢が蘇る。ついに小雨が降り出した。

雨は降ったり止んだりする。坂を登ったり下ったりを繰り返す。なんだか憂鬱な日だ。面倒になって合羽を着るのをやめた。それに暑い。発疹がでた腕が雨に濡れる。なんだかブツブツには雨がいいような気がした。それにきょうは焼けないで済む。

このあたりの野山には食べられそうな果実をたわわに実らせた木をよく見かけた。そのうちのいくつかを実際に食べてみた。ひとつは「アケビ」のような果物。袋状になった果実を割ると中から奇麗なオレンジ色をした果肉が飛び出してきた。味は甘く、オレンジのようなマンゴーのようないい香りがする。

これは道路脇の斜面にいくらでも見られた。たわわに実っているのを見かけては手の届くものをもぎとって食べた。青いものも見られたがいかにも若く、ヘチマのようで固かった。

チェリーも多い。クリーク脇の土手などに見られた。もちろんおいしくいただいた。この旅を始めたころNZはまだ春であちこちの町では桜が咲いていて僕を喜ばせたのだが、今はこうしてチェリーの果実を実らせて僕を喜ばせている。

また、赤い葉の小粒リンゴのような果実。これがいちばん多かっただろうか。チェリーよりもひとまわり大きくて食べごたえがあるが、味は水気と甘味がなくなったリンゴのようでつまりはうまくない。

また、若い桃のような梅のような実もひんぱんに見かけたが、ボソボソで味がないから食べるのをやめた。

果物を探してキョロキョロしているうちにCheviotに到着。雨が激しくなりドシャ降りになった。2軒あるホテルのうちの古いほうの1軒にいき交渉して$50にしてもらった。高いけど疲れているのでキャンプ場に行く気がしなかった。

この日は久しぶりにベッドで寝た。食事は部屋で鶏の味噌鍋を作った。いまの季節はスプングオニオンと呼ばれる柔らかい葱があって、これが味噌にとても合った。鶏肉と葱でとてもおいしい味噌鍋が食べられた。

この日は走行70キロちょっと。クライストチャーチまでは、あと120キロだ。

外は少し荒れた天気。風もある。明日の風はどうなるだろうか・・・。

 ザクロみたいな果物 これはとてもうまかったです

 おなじみサクランボ まあまあでした

 正体不明 たくさんあったけど味はイマイチ


第六週目(7)

猛烈な風 クライストチャーチは目前、どうなっちゃうんだ?

12月5日までにクライストチャーチに帰ることもこれで楽勝と思われた矢先、試練が訪れた。この日はものすごい風。自転車旅最大の敵が立ち塞がった。

12月4日、昨夜から一晩中雨が降ったり止んだりしていた。風も強かったから昨夜はキャンプにしなくてほんとよかった。朝おきると雨はあがり空には晴れ間も垣間見える。いつもどおり午前9時に出発する。これ以上は日焼けしたくないので曇り空を期待したけど走り始めてまもなくド・ピーカンになってしまった。

まあいいや。

さらに間もなく非常に強い西風が吹き始めた。朝はやい時間は一時的に凪の作用で風が止んでいたんだろう。気温が上昇するのを合図にしたかのように風が唸りをあげはじめた。僕は南西に向かっているため、この風は右斜め前から僕を押し戻す格好になった。この旅で出会った風ナンバー3にノミネートされるくらいの鬼のような強風だ。

これはキツイ。

クライストチャーチまであと120キロ、1日で走りきるのも十分に可能な距離だったけど走り始めて2時間足らずで潔くそれを諦める。それは無理だと理解できるだけの十分な障壁だった。速度計は10km/hを切っている。割り算ができるならばどう考えても無理に決まっていると理解できるのだ。

仕方ない、行けるところまで行ってそこで先のことを考えよう。きょうはともかく、少しでも前へ進もう。それだけを考えた。欲は捨てた。

きょうも山がちなルートだ。標高200m弱の登りと下りを何度も繰り返す。地味なルートだ。ただ無心になってペダルを漕ぐ。もう登り坂やら向かい風やらわからない。ただペダルが重いので、下をむいて漕ぎ続ける。心のなかはカラッポにする。何かに怒りをぶつけても仕方がないから。

いつの間にか昨日あれほど見かけていた道端の果物はあまり見かけなくなっていた。特に僕はいちばんおいしいと思ったオレンジ色のザクロは昨日の後半から全然見かけていない。僕もきょうは風との闘いで余裕がないのでひたすら下を向いて必死のペダルに専念する。それにしても筆舌に尽くし難い風。下り坂でもスピードは乗らず、ゆるい坂だと漕がなければならない始末だった。でも腹を立てても仕方がない。

きょうの強い風は烈風地帯Catrins Coastを思い出す。あそこではともかく連日、西からの猛烈な風が吹き狂っていた。僕は一度その風をまともに受けて土手を転げ落ちた。きょうもまた時々、右からの強烈なカウンターパンチを浴びる。そのたびにMTBが左へ左へと逃げていく。何度も舗装を外れて路外の緑地に飛び込んだがこの日は幸い転倒に至ることはなかった。

常に突風を意識してハンドルを押さえておくのはとても緊張を強いられることで、すっかり疲れてしまった。

いつものことだけど風は報われない。風にはご褒美が一切ない。

強い風をドドン、ドンと全身に受けつつよろりよろりとMTBを漕ぐ。時速はときどき7〜8キロにまで落ち込む。平均時速も12キロを割り込んでいる。平常時と比べて約40%のダウンになっている。

きょうどこまでたどり着けるのかはわからないけど、ともかく行けるところまで行こう。ともかくあさって早朝の飛行機にさえ間に合えばいいんだから。

風は強いものの、ものすごく天気がいい。気温も上昇するし空気は乾燥している。とても喉が渇いて午後1時をすぎるころには水筒の水が残り僅かになってしまった。

いよいよピンチになったのでWaiparaという小さな町に差し掛かったところで飲み物を補給することにした。油断すると何十キロも町がないということがこれまで何度もあったから迷わず寄り道を選ぶ。別に急いでいるわけではない。

この風はタスマン海から吹いているのだろう。サザンアルプスを駆け下りて東海岸に達しているわけだが、ここにきて風はMAXに達した。サザンアルプスを超えてやってくる風の、このあたりが通り道になっているようだ。

まだ昼も早いが、この風ではそろそろ本日休止を考えていいだろう。

SH1(国道1号)から少し入ったところに集落があり店は見当たらなかったが駅が見つかったので行ってみた。駅の売店でダイエットコーク缶を2本買った。駅長さんが「きょうは風が強いねえ!」と言う。そうだねえ、参ったよ。と僕。2本のコークを水筒に注ぎいれた。人口甘味料のいやらしい甘味すらも乾いて疲れた僕にはとてもおいしく感じられた。炭酸飲料はそのまま飲むと体が重くなって疲れやすくなる性質がある。だから僕はいったん炭酸を抜くことにしているが、それが正しいのかどうかはわからない。ただ、運動には炭酸はよくない。一瞬、すばらしい清涼感が得られるものの、そのあと明らかにバランスが崩れてしまう。それだけは確かだ。

国道に戻るために来た道を引き返す。するとどうだろう!ほんの数百mだけど風にのって何もしないのに走る走るっ!国道に戻るころには結構なスピードになってブレーキが必要なほどだった。これだけのパワーの風に向かってきたのだ と自分の頑張りに納得した。そろそろどこか泊まれるところを探そう。

どこか泊まれるところはないかキョロキョロしながらゆっくり走る。小休止をしたWaiparaから少し走ったところで事態が変わった。

なんと、風向きが変わったのだ。なんと、追い風。しかも強い。

一転して僕とMTBは風に乗ってどんどん走り出す。何もしなくても一定速度です〜っと走るんだけど、このチャンスを逃す手はない。コークと昼飯の豆の缶詰のおかげで体力も一瞬だけど 取り戻している。ここぞとばかり僕はぐいぐいペダルを漕いだ。まるで下り坂で漕ぐようにスピードが出る。この風、いつまで保てるのかわからない。地形のいたずらなんだから、ある程度まで進むと元の西風に戻ってしまうだろう。今が 千載一遇のチャンスに違いない。

普通、完全装備のMTBは平地では時速20kmがせいぜいなんだけど、今はそれを遥かに上回る時速30キロを超えるスピードがでている。漕げば漕ぐほどにスピードが乗るから面白い。このぶんだと遅れをかなり挽回できるかもしれない。一気に欲がで る。Waiparaでの潔い諦め気分は吹き飛んだ。

順風はそのまま20km以上にわたって続いた。クライストチャーチが一気に近づいた。残り30kmのところまできて風は元の西風に戻ったが、さきほどまでの猛烈なパワーはすっかり失われていた。おまけにチャーチ付近では海風(ここでは東風になる)が吹き始める時間だったので作用しあって風を衰えさせたのかもしれないと勝手に考える。いすれにしても、これならば今日中にチャーチに帰ることができる。

クライストチャーチが近づくにつれて人が増え、車も増えてきた。町の雰囲気も垢抜けする。近郊といっていい町に入るころになると運河に外航ヨットや外輪船が停泊していて一気に都会的な雰囲気に変わ った。ゴールは近い。

宿を決めていないことが気がかりだったけど何とかなるだろう。チャーチは都会だからバックパッカーも多いしホテルもある。遅くなってもいいからきょうはチャーチに泊まりたいと思って午後5時をすぎてもペダルを踏み続けた。

午後6時前、市内に入る。道路の案内標識に従ってセントラル(町の中心)を目指す。見覚えのある地名などを見かけるようになる。市バスには「ジェット☆スター」(安売の航空新会社)の看板。肥満娘がでっかい目を見開いてバンザイしているデカ写真が斬新でとてもインパクトがある。わああ、都会だ!と思った。

タウンセントラル(中心部)を目指して走っているうちに見覚えのある「Hereford st」を見つけた。思わずヘアフォード通りに入った。僕が第一日目に泊まったバックパッカーがあるのだ。

当たり前だけどバックパッカーは以前と同じ場所に変わらずあった。嬉しくなった。呼び鈴を鳴らす。ちょっとだけ足元がふらついている。午後6時半、ほとんど休憩なしで走ってきた。きょうはちょっと無理しちゃったかな?

とにもかくにも、僕の旅は終わった。ニュージーランド南島1周2500kmを走りぬいた。十分満足できる結果を得られた。

腕の日焼け湿疹がヒリヒリした。花粉症がひどくなって鼻水が止まらない。

Hello,May I help you? 

建物から人が出てきた。相手は僕のことを覚えていた。

どうやら僕の旅はこれで終わったらしい。

でも、僕はもう次の旅のことを考え始めている。

 青すぎる空に日焼けはピーク

 NZじゅうを走り回っていたレンタカーのキャンピングカー シニアに大人気

 普通な民家 チャーチ郊外にて


雨宿り

自転車を放り出して、「アイスだアイスだアイスだ!」

ラーメン大好き

お天気の日の岩のうえは温かくてお気に入り

遠くまでいきたい

 最後まで読んでくれてありがとうございました。

 


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