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ニュージーランド 自転車の旅

空、雲、山、川、森、雨、

そして風の国

Southern Highway 2500km

ニュージーランド南島一周

チャリ(MTB)の旅

 

 

亜南極圏強風帯「吠える45度」 南島の南端地方には絶え間なく西風が吹き付ける

 

INDEX 目次

[TOP] 出発前の遠征準備から入国当日まで

[1] 第一週 カンタベリー平野 クライストチャーチから南へ

[2] 第二週 南を目指す道 ダニーデンなど

[3] 第三週 吠える45度 Catrins Coastなど

[4] 第四週 Main South Road クイーンズタウンなど

[5] 第五週 雨の国 西海岸からエイベル・タスマン国立公園

[6] 第六週 海岸国道 ネルソンからクライストチャーチへ

 

ニュージーランド政府観光局 日本語

ビジターインフォメーションセンター「アイサイト 」日本語

 

地図中の赤い線はルート図 右回り1周約2500km

 

 


 

 

 

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第三週 吠える45度 

Catrins Coast ペンギンたちの楽園

 

 

 

 

第三週目(1)

南西風   BALCLUTHA 人口4000

きょうの天気はまずまず。調子よく走り始める。と思ったのもつかの間で、午前10時くらいに朝凪が終わると、やっぱりきょうも風が動き始める。まもなく連日お馴染みの南西からの風。つまり向かい風がはじまった。風は一切の遠慮をせずに僕とMTBをぐいぐい押し返してくる。僕も負けずにペダルに力を込めるが、風は手加減というものを知らない。これではたまったものではない。

クライストチャーチを出発してから3週間目 に入ってようやく判り始めたことがある。NZ南島の東海岸では初冬から春にかけて、その気象メカニズムと地形の特徴から主に南西の風が吹く。偏西風と南極からもたらされる冷気が混ざり合い駆け上がってくるのだ。

これは日本の日本海側の気象にやや似るところがある。日本海側では10月から3月まで北西の風が吹き続ける。これは偏西風と、北極から運ばれる冷気が互いに関係している。また北上するにつれて西風が強くなる。北海道の北西海岸(留萌から稚内にかけて)は、日本有数の強風地帯となっている。

また、南米大陸の南端近く、パタゴニア地方もまた世界有数の強風地帯である。これらの強風をもたらす原動力は地球の自転であり、つまりは偏西風で、地軸に近くなればなるほどに風は強くなるわけだ。

NZもまた最南端周辺は強風地帯になっており特に海は凶暴さを極める。考えてみれば南米パタゴニア地方と緯度が似ているから当たり前のことで、ニュージーランドだからきっと気候が穏やかだと勝手に信じていた僕はめでたい奴というか、平和ボケも甚だしい。地球儀を回せばこれらのことは容易に予測がついたはずなのに。

南へ向かう。日々、風が強くなってくる。僕がたてた旅のルートは風を敵に回しているわけで、計画そのものが安易に行われた結果、完全に裏目に出ている。裏目、恨め、怨め・・・。ちくしょう・・・。

おまけに日本とはかけ離れた道路事情が追い討ちをかける。舗装が粗くて抵抗の多い、まるで砂利道のような国道。自然の地形そのままに登ったり下ったりを延々と繰り返す道路構造。山にはトンネルはなく、頂上まで登っては谷底まで下り、最も狭いところでようやく川を渡ってはまた登りはじめるという、なんという自然体だろう。

いつもの風景 空と牛と羊と

日本のツルツル道路ならば1日100km、150kmと走行距離を稼ぐ人でもこの国ではそれが50〜70%まで落ち込むことは必至。それはNZの道路が粗悪だというわけではなく、そもそも日本の道路が異常なんだと思う。そういえば日本の国道は札束を敷き詰めているようなものだと誰かが言っていたっけ。

きょうも泣きが入る。快適なサイクリングだなんて、とんでもない。

それでも本日の目的地、Balcluthaにたどり着く。キャンプ場を見つけたらもう何もヤル気がせず、缶詰の煮込み肉とコーラ1本で晩飯にしてしまった。

あとはただ眠るだけ。クタクタだ。


第三週目(2)

薄暗い森の奥の辺境   Catlins Coast T

いつものように朝9時にキャンプ場を出発する。いよいよ野生のエリアCatlins Coastに入る。バルクルーサの町外れまで走ると道路脇には最南端の町、インバーカーギルまで何何キロ、という道路看板があり、この道が最南端への入り口なのだと告げている。ほかには特に何があるわけでもないが、看板の脇の土手には羊が立っていて僕を見下ろしていた。獣に見下されるなんてと、ちょっとむかつく。犬の鳴きまねをしたら逃げていった。はっはっは、俺の勝ち。

空は真っ黒で今にも雨が降り出しそうだ。どんよりと重たい雲がたちこめた空を仰ぐ。ちょっと寒い。

主要国道を外れたので交通はぐっと減り、ほとんど車は通らない。10分以上車とすれ違わず、誰にも会わないということも珍しくはなくなる。道路は狭くなり路面もラフになってくる。舗装されているだけまだマシというものだ。

ずいぶんと南へと下ってきたというのに、周辺は熱帯を彷彿させるジャングルが広がっており、椰子やシダに似た植物が旺盛に繁殖している。川は湿原状を成しており、ジャングルのなかを蛇行しながらゆったりと流れている。そして、やたらと鳥が多い。オカリナのような音色の鳴き声をした鳥が歌っているが、姿は見えない。かと思えば「たったいまジャングルを切り拓いて牧場造っちゃいました〜」ふうの切り株だらけの牧草地があって羊がメエ〜と啼いている。そんな風景が繰り返される。人にはまったく出会わない。1時間に数回程度、車が通るくらいのものだ。そのうち小雨が降りだした。

森のなかの道をくねくねと走り続ける。自分がいったい地図のどのへんを走っているのか検討もつかない。大小の峠を越える。坂を上ればパッと視界が広がって牧場、坂を下る、またジャングル、そんな繰り返しを何度も何度も繰り返す。町も集落もない。たまに牧場の建物を見かけるが倉庫があるだけで人の生活は感じない。バルクルーサを出てからというもの、携帯電話は不通になったままだ。

それにしても主要道と違って坂道の勾配が半端じゃない。いや主要道ですら日本的な考えでは十分に半端じゃなかったけれど、さらに上を行っている。もちろんMTBに乗ったままでは登れないから押して歩く。かえってそのほうが早い。最初は屈辱感があったものの、すっかり慣れてしまった。ああ、坂道ね、はいはい降りますよ、みたいな感じになってる。それに歩く間はいい休憩になる。歩きながら休憩し、体が休まるとまたMTBに跨った。

南西の向かい風にも慣れてきた。慣れたというか、あきらめの境地で、もうあまり反発するのはやめようと思っている。1日の走行距離を抑えればそれで済む。コストのことは考えない。

Papatowaiという小集落に着く。たった1軒の食料品店はガソリンスタンドと安宿と郵便局を兼ねている。乾燥して黒い塊になってしまった冷凍肉と干からびた野菜を少し買った。商品は全体に品薄で値段が高い。棚のうえには缶詰が1個、2個というかんじでまるで大切な飾り物のように置いてある。僻地に来たなあと感じる。店のうらの森のなかにはキャンプ場があって、バンガローが15ドル(1300円)だった。そこに泊まる。

あやしい黒い冷凍肉を焼いて食べる。口の中に肉汁ではなく冷凍庫の匂いが広がる。いったいいつ冷凍したんだ?ブロッコリーは固くなっていて味がしない。それでもインスタントスープでようやく安堵を得る。まあ贅沢はいってられない。食料品店があるだけマシで、これからしばらく新鮮な肉も野菜も手に入らないから文句はいえない。

シャワーの吐出量が極端に低くて寒い思いをする。でもシャワーがあるだけいい。だいいち日本のキャンプ場には風呂はもちろんシャワーなどない。その点ニュージーランドのキャンプ場には9割がたシャワーが完備されていて、それが旅人には有難い。少し高いキャンプ場料金だが、シャワー代とキッチン利用料だと考えればかえって安いはずだ。ほとんどのキャンプ場では持ってきたコッフェルも携帯ガスコンロも使う機会がない。うまくやれば持ってくる必要もないくらいだ。無理をして重たいラジウス(灯油コンロ)を持ってこなくてよかったと心底ホッとした。

バンガローのベッドはスプリングではなくマットレスで、ちゃんと清潔なシーツでベッドメイクされている。布団も毛布もある。流し台はないが食器も電気ポットもトースターもある。トイレとキッチンと温水シャワーは共同。これで15ドルはとても安い。15ドルといえばテントサイトの借り賃なみだ。テントでさえもっと高いところもあるくらいだ。

しかしその夜は蚊の襲撃でろくに眠れなかった。どこから侵入してくるのか、でかい蚊が入れ替わり立ち代わり僕の血液で腹を満たして去っていく。かなりの蚊は叩き潰したが、とても間に合わない。ドアも窓も閉まっている。多少の隙間はあるが、はたしてこの程度の隙間であれほどの蚊がやってくるだろうか?謎は深まるばかりだ。


第三週目(3)

おそろしい食い物 

いつものように朝7時に起きて昨夜の残りご飯をあたためる。やはり朝はご飯のほうがいいので僕の朝食はたいていご飯だ。

マルコメみその1食分わかめ、それから缶詰のイワシ(オイルサーディン)がおかずだ。即席味噌汁は大きな町の大型スーパーにいけば見つかる。しょう油は言うまでもなく海苔や酢もある。運がよければ日清の出前一丁も手に入る。ただ、思わぬコーナーにあるので見つけるのが難しい。ある店では米のならびにあったので見つけやすかったが、缶詰コーナーの延長にあったり、インスタントスープと一緒に並んでいたりするが、日本食は大抵1箇所に固まっている。そして必ずといっていいほど韓国食材もごっちゃ混ぜになっている。こちらでは韓国も日本も同じ国だと思われている。だから日韓はもっと仲良くしなければならないのだ。

パックンセーブで見つけた出前一丁 日本では見かけないグリーンパックもある

99セントは日本円で80円だから決してb高くない

ただし米としょう油は必ずしも日本食ではないので別のところにあることが多い。米はたいていどこでも手に入る。かなり小さな町の食品店でもパスタや乾燥ヌードルなどと一緒に置いてある。細長いインディアカ種と僕らの主食ジャポニカ種、どちらも容易に手に入る。インディアカ種はロング、ジャポニカ種はミディアムと書かれている。しょう油はソース類のコーナーにあり、まず間違いなくどんな小さな食料品店でもキッコーマンを見つけることができるだろう。

日本食コーナー 韓国食品と混ざっている 

レトルトソースのコーナーで見つけた

さて、きょうの僕の朝ごはんの話に戻ろう。内容は前述のようにご飯とイワシの缶詰とマルコメわかめ味噌汁だ。きょうは玉子がないので玉子ご飯ができないのが残念だ。

そこでなんとなく名案が浮かぶ。あとになってそれは名案ではなく明暗であり迷案だったことがわかったのだが、そのときはそんなこと知る由もない。

冷や飯には味噌汁をぶっかければ、うまい。あたりまえのことだ。

僕は小さな頃から味噌汁ぶっかけご飯が大好きだ。幼い頃母親からは「みっともないからやめろ」と言われていたが、好きなんだからしょうがない。そのまま大人になってしまった。

さらにイワシの缶詰をまぜちゃったら、美味いのではないだろうか?それに一度で食えて洗い物も少なくてすむ。名案に思えた。

冷や飯の入ったコッフェル(キャンプ用の鍋)に即席味噌汁をにゅ〜と入れ、さらに缶詰のイワシを流し込んだ。さらに湯を200cc加えて、煮た。

それから3分後、ものすごい食い物ができた。いや、食い物ではない。これはまさに、猫のエサそのものだ。よく汁かけ飯を猫マンマと呼ぶが、それ以上だ。

まず匂いが物凄い。くさい。臭すぎる。

失敗したと悟った。

見た目もひどい。残飯にしか見えない。酷すぎる。

もちろん味もひどかった、と言いたいところだが、不味いとも言い切れない。

微妙だ。

ただ、かなり生臭い。

共同キッチンにいた外国人たちには、かなりおそろしい食い物に見えたようだ。皆、 逃げていった。だって朝からキッチンが魚くさい。それに見た目がひどすぎる。それを嬉しそうに食う僕は、

ヤバすぎる。

どうやら日本の恥をさらしてしまった。


第三週目(4)

鳥と花の楽園   Catlins Coast U

キャトリンズコーストは広いとは言うが知床よりは広いものの四国よりは狭い範囲内であるから大切に走りたいと思う。空は曇り空、雨が降りそうな気配はない。携帯電話が使えずテレビもないので天気予報を確認することはできないから自分の勘で適当に判断する。きょうは晴れると。

キャンプ場のうらのジャングルを抜けると入り江に至るらしい 。今朝は海を見に行くことにした。自転車で行きたいのでいったんキャンプ場を出て海の方向に砂利道を走る。砂利道はやがて土の道にかわり、どんどん下っていくと道は砂にかわった。そのまま砂浜へ道は続き、消えた。4輪駆動が走行した痕跡だけが波打ち際にずっと続いている。

大きな木の下にMTBを停めて砂浜を散歩した。真っ赤なアノラックをきた女性がジョギングをしていて、その様子がパタゴニアのカタログの写真のようだと思う。ここは海水と淡水が混じった入り江だから貝が採れるかもしれないと思ってあちこちで砂を掘るが何も見つからなかった。僕は海岸に降りると食べ物を探す癖がある。泳ぐ時間さえあればたちまち潜ってサザエの5つや6つ拾ってくることもできる。まあ誰にだって何かしら特技があるものなのだ。

貝をさがしながらぶらぶら歩いていると、突然後ろから大きな黒い犬の突進をうけて仰天した。悪気があるのではなく、この犬は誰でも好き好きという感じで抱きついてきたのだ。おだやかな顔の人好きする犬 でいかにも嬉しそうだ。僕も犬好きなほうなのでけっこう楽しい。つづいて後ろから若い男性が早足で近づいてきた。にっこり笑って「やあ。」という。紺色のニット帽を被り草黄色のセーターを着た長身の白人男性がニコニコし ながらやってくる。これがもう、こちらが恥ずかしくなるくらいさわやかでイケメンなのだ。僕が女性ならば0.5秒で恋に落ちるに違いない。もし彼が日本にやってくるようなことがあれば 数日で全国的モテモテ男になるに違いない。そして黒い笑い犬は彼の飼い犬だ。犬も買い主に似るということなんだろうか。人懐っこい。

いっぽうで海は荒っぽい印象。波打ち際から1kmほど沖合いで波が白く砕け散っている。その先は南氷洋へと繋がる。海岸に打ち捨てられた外輪船の残骸などがあっても全然おかしくはないような、そんな海だ。

砂浜はよく締まっていて歩きやすい。入り江は干潟になっていて数え切れない野鳥たちがそれぞれの過ごし方でたむろしている。あまりにも南なのでここは寒冷地だというのに波打ち際ちかくまでジャングルが迫り、その様子はマングローブの林のような印象さえある。そんな最果ての海岸の散歩であったが、こういうところにもちゃんと、その環境を好んで住んでいる人たちがいるものなのだと感じた。

MTBに戻ってふたたび南へ走り始める。相変わらず人家は少ない。鳥と花と、そして羊と牛。それ以外の生き物とは出会わない。唯一、例外なのはたまにペンギンを見かけることくらいだ。まあ、ペンギンも鳥のうちだけど。

ペンギン。そう、この先の海の対岸は南極大陸なのだ。僕はいま、かなり南極に近い地理的位置にいる。目の前にいるペンギンがそれを物語っている。

  

道端の花たち 森も草原も道端までも花で溢れている。


第三週目(5)

野生のペンギン   Catlins Coast V CHASLANDS 人口10未満

キャトリンズコーストは過疎という言葉がぴったり当てはまる。僕が考えていたのは未開発の地だったのだが、実際には開拓の時代を経て過疎を迎えた最果ての地という印象だ。

森があり丘があり谷があり湿原があり、谷底や森のなかに茶色い水をたたえた川が流れる。茶色は植物性有機質の色であり、森の栄養成分に満ちているという証拠だ。そんな風景のなか道はアップダウンを繰り返しながら南西へと続いている。ときどき荒っぽく開かれた土地に出会うが、すでにそこには集落はなく、風雪のなかに忘れ去られたような19世紀末〜20世紀初頭の年号が刻印された民家が打ち捨てられている。ある家は建物はすっかり崩れ落ち、レンガ造りの煙突だけがモニュメントのように存在していた。その下にはどこから見ても「大草原の小さな家」に出てくるような暖炉が見えていて、そこだけが奇跡的に、かつてここにあった団らんを記憶し続けているかのようだ。

立ち入って写真を撮りたい衝動にかられたが、そうすることは何故か大変失礼な行為のような気がしてはばかれた。知らず知らずのうちに墓標のように感じたのかもしれない。

僕はときどき、一種の霊感のようなものが働くことがある。見えてはいけないものが見えることもある。ちょっと変わった体験をすることもある。ただ非科学的なことだし極めて個人的なことなので、説明は控えさせていただきたい。

さて、ここキャトリンズコーストの海岸地帯には野生のペンギンのコロニーが無数にある。これまで通過してきた都市のいくつかにも観光用に整備され公開されたコロニーや保護区があったが、僕はそういうものには興味がなく、野生そのままのペンギンに会いたいと思ってここにやってきた。もちろんペンギンのコロニーは道路脇にあるわけではなく、ずいぶん奥まったところにあるが、ぜひワイルドライフをこの目にしっかり焼き付けたい。

キャトリンズコーストの、とある海岸にそれはあった。

彼らは海からあがると磯のうえをてくてく歩き、巣穴に帰っていく。その様子が垣間見える。

ただ、ある程度の距離を保たなければならないので望遠機能をもたない僕の小型デジタルカメラでの写真撮影は難しい。

しっかり心のフィルムに焼き付ける。


第三週目(6)

クリオ・ベイ   Catlins Coast W CURIO BAY 人口50未満

DOC(環境省管理)キャンプグラウンド

まもなくCurioBayという海岸にたどりつく。道路は海岸に突き当たり、終わっていた。近くには環境省管理のキャンプ場があった。嬉しいことにこのキャンプ場、一部隣接する海岸がペンギンのコロニーになっていた。ワイルドライフの観察には絶好のロケーションだ。運がよければペンギンと一緒に海岸の散歩ができるかもしれない。

テントサイト料10ドル、シャワー5分で2ドル、キッチンのコンロも5分で2ドル。細かくお金を取られる。オフィスにビールは売られていなかった。もちろん食料品店 もないし、そもそも人家がほとんどない。こういうことも珍しくないから食料袋には常に1週間分の食料が積んでいる。特に米は1キロ単位でまめに購入し、残量500gを切らないよう心がけている。

ここはなかなか快適でサイトごとに海風が当たらないよう植物で区切られ囲まれているし波の音 も聞こえてくる。乾燥していてサンドフライ(和名ブヨ)もあまりいない。テントを張るのに適した柔らかい草地もあってすっかり気に入った。ちなみに テントを張ったのは僕だけで、あとはキャンパーバン(小型キャンピングカー)ばかり。僕はここまで、まだ一人の自転車旅行者にも会っていない。少し寂しい。

おばさんの襲撃

歩いて10分のところにペンギンのコロニーはあった。ここは太古の森が化石になった化石の森の岩盤地帯でその岩盤を見学できるよう展望台もあるし海岸に降りられる階段も ある。なにしろ辺鄙なところなのでそれほど観光客が多いわけではないが、それでも車でやってくるハイカーたちが常に数人うろうろしている。こんなところにペンギンのコロニーがあるのは少々信じ難かったが、どっこい確かにペンギンがいた。

「ここに巣があるわよっ」ひとりのオバサンが叫ぶ。たちまち友人と思われる第2第3オバサンが集結してくる。ペンギンはあわてて巣穴深く逃げ込む。それを追い、リーダー 格のオバサンが巣穴の前に仁王立ちする。出ておいで〜かわいい子、出ておいで〜と猫なで声で言っている。そんなんで出てくるわけないじゃん。そのうち、オバサンは本性を現わす。巣穴に腕を突っ込んでかき回している。悪態をついている。

信じられない。上の写真はそのときの光景だ。

どこの国でも同じで、この手のオバサンが一番性質が悪い。一般オバサンのなかにはいい人もたくさんいるのに、その差があまりに激しい。暴虐なオバサンが目立ちすぎ、オバサン=有害な生き物、みたいな認識がされることが多い。いっとき「オバタリアン」という言葉が流行ったが、それはまさにそういう世俗を的確に表現した言葉だった。もちろん、世間のオバサンたちがこれに過激に反応したから最近ではあまり聞かれなくなったが、一部のオバサンが極めて有害であることに変わりはない。あまりにひど過ぎる。

辛くなって僕はここを立ち去った。

磯はおいしい

海岸は磯になっていて、ときどきペンギンが上陸してくるのだけど、それはそれとして、もうひとつ魅力的なことがある。磯の潮だまりでは時々、小型のサザエが見つかって僕を喜ばせた。 サザエ独特の貝の蓋、身の形状、日本のものとやや形が異なり、ふた回りほど小さいが、味は同じ。間違いない。

いっぽうで和名でトコブシと呼ばれる巻貝もおびただしい。甘辛く煮付けて食べるとおいしいのだが、残念ながら味醂も砂糖も持ち合わせていないので採取はおこなわない。

さっそくサザエ探索の開始。磯を飛び歩き、潮溜まりに腕を突っ込んでは底にある岩をめくった。ときどき、サザエが見つかる。5、6個たまったら磯に腰をおろし てアーミーナイフで身を引っ張り出して、これを生で食べた。つまりサザエの刺身。海の塩味だけでいただく。最高の贅沢だと思った。しかもタダなのだ。食ったらまた探す。いくらでも見つかる。

やっぱり海っていいもんだ。

ペンギンと迎えた朝   

翌朝午前5時、寝袋から這い出す。外はまだ薄暗く、東の空がいまようやく朝焼けに染まりだしたところだ。管理オフィスの外灯があたりをぼんやり照らしている。朝の冷たい空気がいっそう静寂を引き締めるかのようだ。

野生動物を見たいと思うならば明け方だと決まっている。ここから歩いて10分のところにあるペンギンの生息地に出かけようと思う。昼間には見られなかったワイルドライフ本来の時間が流れているはずだと思った。

コロニーを見下ろす高台に急ぐ。その高台からはペンギンたちにストレスを与えることなくワイルドライフを観察することができる。すでに先客がいた。三脚に固定した観察スコープを静かに覗き込む寡黙な男性とパタゴニアのパーカーを着た女性。その2人連れからは何も言わなくても野生動物を愛しているというメッセージを感じる。僕らは小声で朝の挨拶をかわしてペンギンたちを凝視した。観察スコープがちょっと羨ましい。

いるいる・・・。10羽、いや20羽はいるだろうか。ペンギンたちの一団が固まってなにやらミーティングをしているようだ。海を眺めながらきょうの漁の相談でもしているように見える。少し離れて眠そうにしているやつもいる。落ち着きのないやつもいる。なんだか他人のような気がしない。

白人男性がスコープのなかを覗かせてくれた。ドイツ製接眼レンズに目を当てると、目の前にペンギンがいた。手が届きそうだ。たまらない思いになる。

すばらしい眺めだ。言葉もない。

 


第三週目( 7)

常に強い西風が吹き続けているため

木々も枝葉を風下に流されて育つ

SLOPE POINT近くにて

風が叫ぶ   Catlins Coast X

TOKANUI 人口150

クリオベイを出発すると砂利道にかわった。物凄い風が吹いているため、たちまち砂埃に包まれる。悪夢だ。

最南端に近い地にいるため、いよいよ風が激しさを増してきた。風をさえぎる山脈をもたないNZ最南端は1年を通してまともに強風の直撃を受ける。このあたりは極地至近という地理的条件ゆえの強風地帯だ。自然は過酷だ。

この西風。地球が自転している以上は停めようがない。

これまで南西に向かっていた僕は、ついに最南端の地域に到達したため、ここからは西へとルートを取らなければならない。なんてこった!またしても逆風、どこまでもついてない。でも、もう戻れない。しかもこのあたり、公共交通機関は皆無で、自分の力で前に進む以外に移動する手段がない。人がほとんどいないから、ヒッチハイクだってできないのだ。

最南端の地「SLOPE POINT」を目指す。国土の最南端の標識があるというので、いちおう押さえておかなければ。北海道における宗谷岬みたいなもんだ。

SLOPE POINTは真に最果ての地で何もない。土産物屋はもちろんのこと、道路すらない。辛うじてちょっとした駐車帯があり、そこから20分ほど牧草地のなかを歩く。荒々しい波が白く砕け散る海岸の絶壁にそれはあった。SLOPE POINTと書かれた黄色い標識。あとは衛星で測量を行うためのビーコンと小さな無線アンテナらしきもの。それだけだ。断崖絶壁のはるか下のほうでは波が砕け散っている。

この向こうには南極大陸のロス棚氷がある。かつて南極点を目指した探険家たち、アムンゼンやスコット、また日本の白瀬隊もまた、この沖を南極目指して旅立っていったのだ。

砂利道をふらり、ふらりと進む。まともに向かい風を受けるため、走っているというよりも歩く速度に近い。ときどき砂利の深いところがあって車輪が埋まり道路の低いほうへと流される。何度も何度も足で車体を支える。派手な転倒こそしないものの、いわゆる立ちゴケを繰り返す。砂利道だから仕方がないが、せめて向かい風が収まってくれたらいいのだが。

南緯ほぼ50度。このあたりは南米大陸に当てはめるとパタゴニア地方の南部にあたる。同じく強風地帯なのだという。パタゴニアもこんな感じなのかなあと想像を膨らませる。だとしたら、とんでもない所だ。

さて、これから最南端地域最大の都市、インバーカーギルを目指す。きっと明日にはたどり着けるだろう。ただ、この風がいくらかでも止んでくれたら有難いのだが。この日はこのまま標高500mくらいの峠をひとつ越えてTOKANUIという小集落を目指す。そこにたった1軒、宿があるだけで、あとは半径50km以内にはホテルはおろかキャンプ場すらない。今日中にそこにたどり着かなければ、ちょっとヤバイことになるのだ。

ちょっと心配になったので沢の水を汲んで2ℓの水タンクを満杯にしておく。これで万一野宿になったとしても何とかなるだろう。沢の水はシダなどの植物性有機質でやや茶色く色づいている。生で飲むにはちょっと抵抗があった。

夕方、無事にTOKANUIに到着。集落唯一の食堂兼酒場で宿泊を申し込み、離れたところにある1軒の家に泊まりにいく。ごく普通の家だ。宿泊は僕一人だったので気楽に過ごせた。夕飯はキッチンでチャーハンを作り、おかずに真空パックのコールドビーフを食べ、近所の食品店で買ってきたミルクを1ℓ飲んだ。

夜を通しても風が強い。まるでちょっとした台風の夜のようだ。ときどき大粒の雨が屋根を叩くので派手なドラミング音に目が覚める。野宿にならなくて本当によかったと思った。

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