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ニュージーランド 自転車の旅

空、雲、山、川、森、雨、

そして風の国

Southern Highway 2500km

ニュージーランド南島一周

チャリ(MTB)の旅

 

 

亜南極圏強風帯「吠える45度」 南島の南端地方には絶え間なく西風が吹き付ける

 

INDEX 目次

[TOP] 出発前の遠征準備から入国当日まで

[1] 第一週 カンタベリー平野 クライストチャーチから南へ

[2] 第二週 南を目指す道 ダニーデンなど

[3] 第三週 吠える45度 Catrins Coastなど

[4] 第四週 Main South Road クイーンズタウンなど

[5] 第五週 雨の国 西海岸からエイベル・タスマン国立公園

[6] 第六週 海岸国道 ネルソンからクライストチャーチへ

 

ニュージーランド政府観光局 日本語

ビジターインフォメーションセンター「アイサイト 」日本語

 

地図中の赤い線はルート図 右回り1周約2500km

 

 


 

 

 

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第四週 Main South Road 

クイーンズタウンなど
 

 

 

第四週目(1)

風の町 Southern South Land

TOKANUIでは快適な朝を迎えた。昨夜の嵐は嘘のように去り、風は収まっていた。まだ空は曇っていていまにも小雨が振り出しそうな天気だったが、出発の準備やら朝食を作っている間に青い空がちらほらと見えるようになってきた。宿の窓の外はいきなり羊の牧場で、すぐ目の前で子羊が草を食んでいる。ふと、こんなとこに住みたいと思うが、軽率だろうか。

チェックアウトのためにカギを返しに昨日のパブに立ち寄る。朝から酒場が開いているのか半信半疑だったが、ちゃんとオープンしていた。パブはこの町唯一の食堂でもあるから、きっと朝食を提供しているのだろう。一仕事終えた牧童が朝食を食べに来るのだろうか。

いつだって走り出しはいい気分だ。昨日は砂利道と砂嵐と強烈な向かい風にさんざん痛めつけられた体もすっかり元気を取り戻していたし、ここからインバーカーギルの町までは大方舗装されているという。そして朝の時間は朝凪になるため、ほんのひととき風が止むのだ。きょうも昨日までの凶暴な風は鳴りを潜めている。しかし、いつまた暴れだすのかと思うと憂鬱になる。

インバーカーギルまで、あと60km。順調であれば楽勝のはず。

午前10時、きょうも風が動きはじめる。にわかに空が騒がしくなり、やがて猛烈な西風が暴れ始めた。電線がヒューと唸り、道端の草は風になびいて倒れてしまう。きょうの風は正面ではなく右からの側面方向。やや前方寄り。ときどき強烈なカウンターパンチを浴びせてくる。

WILD RDだって?はいはい、その通り!

風にもたれるように車体を右にやや傾げて走行するが、時々ドンという衝撃とともに壁のようなタックルを受けてしまう。ふいにパワータックルを受けてしまうと一気に完全装備、重量40kgのMTBごと路外に押し出されてしまう。道路中央に放り出されるよりはいいが、ときどき溝だってあるし土手になっていることも、川があることもある。路側帯はいつもいつも広い緑地になっているとは限らないのだ。何度も路側帯の砂利や草地に放り出されるが、次は道路から転落させられるのではないかと冷や冷やする。しかしこのタックルに対抗する術は残念ながら無い。祈るだけだ。

昼飯はきょうも缶詰のパスタだ。道路脇の柵にもたれてさっさと食ってしまう。休憩できそうなところはどこにもなかった。せめてもと考え車道の風上に移動してトレーラーが巻き起こす砂埃だけはやり過ごす。

凶暴な横風になんとか耐えながらふらふら、ふらふらとMTBを漕ぎ続ける。インバーカーギルまであと15kmまで迫ったとき、事件は起こった。

それは心配したとおり、風のパワータックルの不意打ちだった。ドンという衝撃があり、僕は総重量40kgのMTBもろとも路肩の土手を転げ落ちてしまったのだ。僕とMTBは完全にひっくり返り、頭を下にして滑り落ちる。体勢を立て直す余裕なんて0.1秒だってなかった。ほんの一瞬の出来事だ。

この冬に骨折をして、1ヶ月前にようやく完治宣言を受けたばかりの右足がMTBに挟まったままMTBごと2回転してようやく転落が停止した。最後にハンドルが左にガクンと折れ、そのとき右足に衝撃が走った。ハンドルのあるフロントにはテントなど野営用品等が詰まった小型リュックサックくらいのバッグが2個装着されている。2つあわせて20kg近いから、決して軽いものではない。衝撃は大きかった。

また、やったのか?一瞬、絶望とあきらめが入り混じったような複雑な気持ちが脳裏を突き抜けた。

幸い足は無事だった。起き上がり、2mほどの土手をMTBを担ぎながらよじ登る。土手はやわらかく、なかなかうまく登れない。僕の転落を目撃した車が数台、心配して道路を徐行していたが、僕が立ち上がったのを見てとると去っていった。あとには風と僕が残された。

僕の体は大丈夫だったがMTBはポンプが少し破損した。それ以外には目立ったダメージはなく、ふたたびインバーカーギルへ向けて走り出す。風はインバーカーギルの町の入り口あたりから少し衰えたが、それでもずっと唸り続けていた。


第四週目(2)

旅のお共に。 あるチャリダーのお食事

ベジタブルサンド$5。

国道沿いのカフェにて

DUNSANDEL

 

コフェルが痛むから

肉はハサミで切りましょう

 

サーモンの刺身にお粥に味噌汁。

野菜のかわりにメロン。

なんだか北海道と一緒だ。

 

サーロインステーキ2枚

それからアスパラガスをたくさん

さらに牛乳と果物

まずいポテトチップス

昼飯がわりにしたけど喉が渇いて・・・

 

きょうの朝食は

トーストにヒレ肉ステーキに

それからアスパラガス

牛肉は安くておいしい

和牛よりも香ばしく脂肪も少なめ

 

魚肉ソーセージは安いけど塩辛い 

ダニーデンにて

缶詰の豆 ソーセージ入

 弁当がわりによく利用する

栄養価が高い

$2.50(200円)くらい

 

 

こちらはパスタの缶詰 

BIG EATシリーズはいろんな種類がある。

おなじく$2.50(200円)くらい

 

 

キッチンのあるモーテルは利用価値大。

たまには豪華に!

クイーンズタウンにて

 

 

 

NZのランチといえば

名物フィッシュ&チップス 

魚のフライにフライドポテト

揚げ物ばかりで僕は苦手

 

鶏を1羽まるごと食べよう

スーパーの惣菜売り場にて

$8(700円)くらい

とてもうまい


第四週目(3)

ニュージーランド・キャンプ場事情

キャンプ場はタイプによっていくつかに分かれている。テントからコテージまで施設が充実しているホリデーパーク、キャンピングカー専用サイト中心のモーターキャンプ、テントとキャラバンサイトだけのキャンプグラウンド、そして自然公園のなかにある野営場としてのDOCキャンプ場(環境省管理)など。DOCキャンプ場以外の各施設には共同棟があり、キッチン、温水シャワー、トイレット、コインランドリーが完備されていて、これらの施設の充実度は日本のキャンプ場の比ではない。キッチンには必ず電熱器具から電子レンジ、トースター、冷蔵庫もあるし給湯器だってある。食器や鍋フライパンまで完全に揃っているところも多い。大きなオーブンがあるところもあり、ダニーデンのキャンプ場ではドイツ人青年がパンを焼いていたことがあった。キッチンには大抵、隣接して食堂(ダイニング)があり、カフェのような素敵なところもある。テントやキャビンに持ち込まなくても自炊した料理はダイニングでいただくことができるから、まるで家庭にいるように過ごせる。ほとんどの場合、施設にはホテルのように毎日1〜2回清掃が入るので清潔だ。そして料金にはこれらの施設使用料が含まれている。

日本のキャンプ場のキッチンは水場と呼ばれ流し台に蛇口があるだけ。調理に必要なものは何もなし。たまに時代錯誤な釜戸があるが、いまどき薪で飯盒炊爨するような古風なキャンパーはいないから、不要だと思う。 だいいち薪はどうするのだといいたい。炊事のたびに森に入るのだろうか?しかも国有林内で薪を集めてもいいのだろうか。矛盾だらけだ。こういうことはサバイバルおたくだけに任せておけばいいのだ。もちろんシャワーなどあるはずもなく、トイレは臭くて不潔。買出しに行きたくても町は遠い。最悪だ。

ニュージーランドと日本。大きな差を目の当たりにすることになる。この点だけを見ると日本は後進国だと感じる。 薪の釜戸と240Vの電子レンジつきオール電化キッチン。2005年と明治時代くらいの違いがあり、その差は圧倒的だ。

NZのキャンプ場は全国各地にたくさんあり、有名観光地であれば5箇所それ以上もあって競争もあるからレベルは高い。観光案内所にいけば何種類も無料配布の全国キャンプ場リストがあるから、それらを参考にすればいい。

これはキャラバンパークありの道路案内看板。

ホリデーパークの場合はこれにベッドマークが加わる。

全国チェーンのキャンプ場もあり、ネットワーク加盟のキャンプ場ではどこでも同様のサービスが保証されているから失敗がない。キャンプ場には当たり外れがあるから、心配ならば全国チェーンのなかから選べばいいと思う。

値段はテントサイト・キャラバンサイト(電源付)$10、キャビン(いわゆるバンガロー 寝袋持参)$40、ツーリストフラット(プライベートキッチン・ シャワー・トイレ付)$60、モーテルユニット(コンドミニアムタイプ)$70〜90が標準的な料金相場。

ただし施設や地域による差は非常に激しい。鍋や食器まで全て揃っているキッチン付キャビンが$25というところもあれば、寝具のないベッドがあるだけのキャビンが$50というボッタクリもある。有名観光地のキャンプ場は残念ながらボッタクリ傾向が強い。○○氷河など世界遺産の町とその近郊などは特にひどい。悪質さを感じることすらある。ここで名指しは控えるが、許せないところもある。

いろんなところに泊まったが、不思議な法則がある。それは、

高いところは大抵ロクなことがない。見た目重視で中身がなく、何かと小銭をむしり取る。安いところがかえって良心的でありがたい。 細部に心配りがされている。コインシャワーだったりすることもあるが、当然納得がいく。

「安い=質が低い」という世間の一般的な常識とは逆のようだが、キャンプ場に限っては、どうやらそんな印象がある。

※ニュージーランドドルは$1=85円で計算


第四週目(4)

最南端へようこそ   Invercargill 人口57.000

インバーカーギルは平坦な町で鉄道の駅を中心にタテヨコに区切られていて整然としている。最南端地域では最大の町で空港があり大きなスーパーがあり、銀行もある。そして1週間ぶりにボーダフォンが使えるようになった。

ここは北海道でいえば稚内みたいなものだ。さらに南にはブラフという港があり、そこからスチュアート島という自然いっぱいの島へ定期便がでている。スチュアート島はさしずめ礼文島といったところだろうか。ここも島を周回するトレッキングが盛んらしい。ただ、10日間テント持参というから、ちょっと礼文島と比べるのは失礼かもしれない。むしろ西表島を想像するほうがピンとくるかもしれない。島全体が独自の進化を遂げてきた動植物の楽園で、絶滅を逃れた飛ばない鳥が繁殖し、海岸にはペンギンが自由に生息し、沖合いにはクジラやイルカが回遊している。人が住むのは港周辺に限られ島のほとんどの地域には人は住まない。まさにワイルドライフの楽園、ここが世界遺産に登録されていないのは何故だろう?不思議だ。

というか、世界遺産とは無縁のほうがいいかもしれない。注目を受けないほうが幸せな、そんな気がする。

インバーカーギルはスチュアート島への玄関口として利用されることは多いようだが、観光に適した町とはいえないかもしれない。ダニーデンのような華やかさがなく地味な印象だが、それがいかにも過酷な自然条件下の最南端地域の町らしくていい。それでも立派なミュージアムがあり観光案内所も充実している。食料も種類も豊富だ。

町とその近郊にはホリデーパーク(キャンプ場)がいくつもあって宿泊には困らない。そのうちのひとつに泊まる。

ところがオフィスに人がいない。「4:45に戻る」という張り紙があるので観光案内所で時間を潰し、ふたたび4:45に出向いてみると、今度は「10分後に戻る」という張り紙。なんだか腹がたって他のキャンプ場に行こうかと思ったが、風も強いし、意地でも泊まってやろうとオフィス前のベンチで辛抱強くオフィスマスターの帰りを待った。それから30分待って、ようやく受付をすることができた。

僕に当てがわれたのはオフィスや共同棟から最も離れたところにあるエリアだった。え、そこも敷地の一部なの?と疑うくらい離れている。歩くには遠すぎるから、キッチンやシャワーに行くためには自転車に乗らなければいけない。これじゃまるでキャンパス内の教室移動みたいじゃないか。400mくらいある。料金もちょっと高いんでないの?と思う。さらに、トイレはなるべく共同棟のものではない別の公衆トイレを使うよう指示された。好意のようでもあるが、ちょっと違うようなニュアンスも感じる。しかしここで交渉するのはかえって逆効果のような気がして、僕は黙って従うことにした。

どうやら僕は、やんわりと他の利用者から隔離されたらしい。もちろん他の利用者はみんな白人だった。

よくあることだ。日本人は微妙に差別をうける。露骨なことは滅多にないが、白人と同等に扱われるわけではない。いろんな局面で自分が黄色人種であることを強烈に実感することになる。

「隔離」は露骨と言えなくもないが、しかしキッチンやシャワーの使用を制限されたわけでなはないし、結構静かに快適に過ごせたので、まあ良いとしよう。

かえって田舎のほうがプチ差別に会う機会が多いように思う。アジア系の住人が住んでいないと思われる町のスーパーに行くと何げない注目を浴びることもある。きっと、「あ、ガイジンだ!」みたいな感じなんだろう。


第四週目(5)

南の風にのって   Lumsden 人口600

今日からは北上を開始することになった。きょうからは走れば走るほどに暖かくなっていく。それがなんとなく嬉しい。

さらに僕を喜ばせたのは風。これまでずっと南西の風を真正面に受けて苦しんできたのだけど、その向かい風から開放される。効果はてきめんだ。きょうのインバーカーギルからラムズデン区間は徐々に標高をあげていく登り行程にも関わらず快走する。いくらでも走れる。区間速度も一気に上昇する。

国道6号線はサウスアイランドの北端ピクトンから西海岸を経由して南端のインバーカーギルまで人口の少ないエリアを縦貫している。かつては鉄道があったようだが廃止されていて線路跡の土手が残るのみ。 廃線跡は国道に平行して同じく北を目指している。

インバーカーギルでは2日間滞在した。久しぶりに新鮮な玉子や牛肉、生野菜をたくさん食べ、携行食料も補充して、さらにMTBのメンテナンスを行った。心配していたペダルのトラブルもさほど深刻ではなく、ベアリングのオイル漬け対処法で何とかなりそうだ。チェーンを洗浄して新しいオイルをくぐらせたので調子がいい。加えて追い風、走りは快適そのものだ。

インバーカーギルの町を出発したのは日曜日の朝で、多くの人が教会に向かっていた。小さな町なのでたちまち郊外に出る。町外れの道路脇にフォルクスワーゲンのワゴンが停まっていて、紳士然としたおじさんがバラを売っていた。あまり商売っ気はないようで、木製のセンスのいいデッキチェアに座って聖書を読んでいる。ツイードのジャケットを着ていて足元はトレッキングシューズだ。どう見ても農夫には見えない。日曜日に道端でバラを売るのがきっと趣味なんだろう。「グッモーニン!綺麗なバラですね」と挨拶をすると、にっこり笑って手を振ってくれた。

Southern Highwayは交通も人も極端に少ない。Wintonの町を越えると、あとは牧場と荒野が延々と続くのみ。この先数十キロ、町はなく店もなく民家もほとんどなく、ただひたすら北を目指すのみだ。日本のように国道沿いに自動販売機など皆無だし、小さな商店すら数十キロ先といった具合だ。北海道よりもはるかに僻地度は満点だ。飲料水と食料は常備しておかないとえらい目に遭うことになる。

インバーカーギルから80キロ、ラムズデンにはあっという間に着く。まだ午後3時にもなっておらず、もっと走ろうかと考えたが、地図を見るとこの先には50キロ以上なにもない。ちょっとマズイと思い、この町で宿泊を探す。

この町には、町外れにキャンプ場、駅前の酒場の2階に古ホテル、それからモーテルが1軒ある。まずキャンプ場を訪れてみるが、住み着いているホームレスがいて、キッチンもシャワー&トイレも彼の占有物になってしまっている。オフィスは無人で、ここに電話しろというメモが張られているだけ。ちょっとヤバい雰囲気なので町に戻る。 酒場の2階のホテルは日曜日だということで閉まっている。よくあることだ。結局、先住民マオリの中年女性が経営するモーテルに泊まる。古い建物だったが、1960年代っぽいキッチンは古いなりにも完璧で、まるで祖母の家に泊まりにきているような気分だ。

ただ、残念なのはこの町唯一の商店で買い物をしたとき、レジのバイトの女の子が釣り銭ごまかしや架空売りをしたこと。たかだか2、3ドルくらいのものだけど、町の印象はすこぶる悪くなってしまった。

どうやら彼女はアジア人が大嫌いらしい。釣り銭ごまかしだけでなく、レジ袋すらよこそうとしない。お金のやりとりもまるでゴミを触るかのようだ。まあ、渋谷系アホ女の田舎版みたいなもんだからあまり深刻になる必要はないけど、それにしてもかんじ悪い。アホ女が無礼なのはどの国でも同じだ。国の恥だ。

町の中心には鉄道の駅があるが、肝心の鉄道はすでにない。しかし駅は綺麗に整備され、鉄道がいつ帰ってきてもいいよう に準備されているように見える。過去の繁栄の時代をいまに引きずっているかのような、少し寂しい光景だった。人口は公称600人というが、中心部の建物には空き家が目立つ。数年後、この町は残っているだろうか。

クリークに架けられた小さな木製の橋 いまも錆びた線路が残る


第四週目(6)

Southern Highway

いつものように朝9時、ラムズデンを出発。たちまち何もない、ひたすら岩山とハゲ山、そして草のまばらなサバンナのような荒野にひとりぼっちになってしまった。周囲にはやたらと黄色いマメの花が目立つ。

Southern Highwayはただ真っ直ぐ北へと伸びていて、地平線に消えていく。先は見えない。20km以上、そんな状態が続く。民家数軒、ガソリンスタンド1軒と雑貨屋1軒だけという集落ともいえないようなポイントを通過すると、ふたたび数十キロの荒野にひとりぼっちになってしまうが、天気がいいこともあって不安は感じず、かえって気持ちいい。

遠く正面にはサザンアルプスの山々が行く手を阻んでいる。山頂付近には雪が残っている。じわじわと標高があがってきたためか、北上しているというのに気温は下がり始める。道はひたすら荒野のなかを真っ直ぐに続いている。

ときどき車とすれ違うが、向こうからやってくる車の多くが僕をみて片手をあげ「がんばれ!」のサインをよこす。きっと対向車からしてみれば、遠く陽炎の向こうにポツリと見えていた影が、近づいてみたら自転車だったことが驚きだったんだと思う。NZ人はそういうクレイジーなことが大好きなのか、これまでも一般の車からエールを受けることが度々あった。日本では考えられないことだ。

そんな、何気ないエールが胸をうつ。キィウィ(NZ人)は最高だよ。大好きだ。

夕方、国道は湖のほとりに至る。しかし、この先もしばらく町はない。湖はワカティプ湖といい、有名なリゾート地のクィーンズタウンはこの湖の辺にある。でもクィーンズタウンはさらにここから60km先にあって、今日中に到着するのはちょっとキツイと思った。

休憩のためにたまたま湖畔に立ち寄ってみたら、そこが素晴らしい場所だった。ひと目で気に入って、ここにテントを張ろうと決める。この国では指定場所以外でのキャンプは違法行為なので、これまで指定地以外でのテント泊は避けてきたが、あまりのロケーションの美しさについ、「ま、いいか!」という気分になってしまう。花と緑に囲まれた日当たりのいい水辺など、探してもそう簡単に見つかるものではない。おまけに冷たい雪解けの飲み水が無尽蔵にある。

夕方とはいえ夏の南半球の日差しはまだまだ明るく暖かい。西陽を浴びながら湖で軽く泳ぎ、シャワーのかわりにする。夕食にはとっておきの「日清出前一丁」を作る。肉の缶詰と生玉子をおかずに、デザートにはキウィフルーツもある。さらに乾燥フルーツも添えて、キャンプの夕食は豪華リゾートさながらだ。これも僕なりの祝福といったところ。暮れていくワカティプ湖を眺めながら夕刻の時間を過ごした。さざ波の音が心地いい、すばらしい夜だった。


第四週目(7)

旅は折り返しへ クイーンズタウンの休暇

朝起きるとテントは朝露でビショ濡れになっていた。寝袋も湿っぽい。テントはそのまま張りっ放して朝日で乾かそうとするが、 周囲が2千m以上の高い山々に囲まれたフィヨルド地形のため、この湖畔のビーチまでなかなか朝日が届かない。 さらに早朝の冷え込みのため周りの山々は稜線から山麓の中ほどまで真っ白になっている。雪と霜のためだろう。寒いので朝日が届き始めた10時ごろまでずっとテントのなかでじっとうずくまっていた。朝食にはブロックタイプのコーンフレークを4個たべてココアをたくさん飲む。ブロック型のコーンフレークは携帯には便利だが味気がない。おまけに歯にこびりつくので不快。おまけに腹持ちが悪いのでドライフルーツで口直しをする。そんなこんなで結局、一晩を過ごしたワカティプ湖畔をあとにしたのはお昼前になってから。ここからクィーンズタウンまでは67キロ。ずっとワカティプ湖畔を走り続ける レイクサイドのワインディングロード。決して近くはないが、半日行程といったところか。このあと、旅の走行距離が1000kmを超えたことをサイクルメーターで知る。これでひとつの区切りになるだろうか。

走行距離1000kmの瞬間 このとき時速は26km/h 走りながら撮影

ワナカ湖周辺は地形が複雑で、おまけに結構大きな湖なので対岸のクイーンズタウンへ行くのも大変だ。周りの山々は2千m級で湖に向かって断崖絶壁に切れ込んでいる、いわゆる氷河が創りあげた典型的な地形になっている。それだけに「湖岸道路」といえどもなかなかに手強い。最初のうち僕は「湖畔やし、ちゃらちゃらと湖など眺めながら走っとったらそのうち着くんやろ、楽勝や」と思っていたのだが、そんな甘い観測はたちまち裏切られた。

100〜200mレベルのアップ&ダウンの連続、湖面のさざ波が遠くなったり近くなったりを繰り返す。キャンプ地を昼過ぎに出発したことが悔やまれた。もう少し早く出発して、のんびり走るべきだったと。

途中で缶詰の豆のトマトソース煮を一缶たべて簡単だけど栄養のある昼食を素早く済ませる。昼休みもそこそこに先を急ぐ。これから数日を過ごす宿はじっくり探したいのでなるべく早い時間にクイーンズタウンに着きたいのだ。ちょっと飛ばし気味にペダルを漕ぐが、坂が多いので結構辛かった。

午後4時ごろクイーンズタウンに到着。僕はここでしばらく休養しようと思っている。ずっと走り続けてきたので少し休みたい。休暇中はキャンプではなく、ちゃんとした部屋でベッドで眠りたい。それも安宿の2段ベッドで他人に気を使いながら盗難に神経を尖らせながらではなく、手足を思いっきり伸ばしてのんびりしたい。その点、クイーンズタウンはバカンスにはもってこいだ。ずっと引き締めてきた財布の紐もここでは緩めよう。人生は楽しまなければいけないから。

予約はしていないが、評判のいい湖畔のホテル「The Lodges」に向かってみる。レセプションで3泊を申し込み、料金の交渉。支払いはここぞとばかりクレジットカードを提示する。ちゃんとしたホテルに泊まる場合はクレジットカードがその人の身分と信頼を保証してくれる切り札になるから使わない手はない。それに、落ち着いた対応をしてもらえる。

こうして飛び込み客の僕でも無事にチェックインを済ませることができた。  明るいオール電化のシステムキッチン

レイクビューの大きな窓とテラスがある。30畳くらいのリビングダイニングにはシステムキッチン。ベッドはキングサイズで、ウォークインクロゼットもあり長期滞在に適している。キッチンにはフライパンから食器まで 全てが揃えられ、冷蔵庫にはウェルカムのスペイツ(ビール)まで用意されている。1泊$150、相場の倍だが、クイーンズタウンでこの立地であれば納得がいく。日本で同等のホテルに泊まろうと思えば10万円近いだろう。

冷蔵庫のなかが充実してくるとうれしい

ここでしばらくのんびりする。町のスーパーで買い物をして、キッチンでうまいものを作り、テラスで食べた。テラスの外では決まった時間に蒸気船アーンスロー号が汽笛を残して通り過ぎていった。僕もまた規則正しい生活を送る。ときどき町をブラブラしながら蚤の市を冷やかしたり、カフェでお茶をしたり。観光ツアーにこそ参加しなかったが、この旅ではじめてバカンス客らしい日々を送れたと思う。

蒸気船アーンスロー号 テラスから

今から13年前に妻と訪れたときのことを思い出そうとするがクィーンズタウンはすっかり変貌していてあまり覚えていない。いまや普通の町よりもずっと都会的で洗練されている。この町はNZ随一のリゾート地なので何でも揃うのだ。

中国・韓国などアジア系の観光客が多く、みな群れて行動している。こうしてみると僕らアジア系は群れるのが好きな民族だとあらためて知らされる。みなパック旅行で高級ホテルに泊まっている。もちろん日本人もいる。まるで登山やハイキングに行くような格好をしているのが日本人だ。チノパンツにトレッキングシューズ、それからウェストバッグ。日本人だ。間違いない。いっぽう僕は、いつも短パンでパタゴニアのパーカーを着てナイキの帽子を被りサングラスをしている。天麩羅屋さんなど日系の店に入るといつも店員さんは一瞬考えてから英語で挨拶してくる。面倒なので僕もモーニンとかグッデイとか言ってしまうのだが、レジでは「これなんぼ?」と関西弁をつかう。そうすると笑いが取れる。

旅の中盤になるとそろそろ色々なモノが痛みはじめる。まず、もう限界と思われた国産M社のレインウェアのパンツをあきらめ、マウンテンヘッドギア社のパンツを購入した。ゴアテックスではないがベンチレーションがいっぱいあって長持ちしそうな点が気に入った。さらに痛んだキャンプ用品などの補修をし、一部は入れ替える。さらに土産を買い、いらなくなった資料や物品と一緒に国へと送り返す。エコノミー貨物なので僕が帰国するころに着くはずだ。

旅はいよいよ後半に突入する。

 

 

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