北海道美瑛町ガイドの山小屋公式WEBサイト

自転車旅を含む「旧ガイド日誌

最新のブログ「ガイド日誌」

 

  ガイドの山小屋は「パタゴニア」のサポートをいただいております

ニュージーランド 自転車の旅

空、雲、山、川、森、雨、

そして風の国

Southern Highway 2500km

ニュージーランド南島一周

チャリ(MTB)の旅

 

 

亜南極圏強風帯「吠える45度」 南島の南端地方には絶え間なく西風が吹き付ける

 

INDEX 目次

[TOP] 出発前の遠征準備から入国当日まで

[1] 第一週 カンタベリー平野 クライストチャーチから南へ

[2] 第二週 南を目指す道 ダニーデンなど

[3] 第三週 吠える45度 Catrins Coastなど

[4] 第四週 Main South Road クイーンズタウンなど

[5] 第五週 雨の国 西海岸からエイベル・タスマン国立公園

[6] 第六週 海岸国道 ネルソンからクライストチャーチへ

 

ニュージーランド政府観光局 日本語

ビジターインフォメーションセンター「アイサイト 」日本語

 

地図中の赤い線はルート図 右回り1周約2500km

 

 


 

 

 

 

戻る 第一週[1]へ

続き 第三週[3]へ


第二週 南を目指す道 

ダニーデンなど

 

 

 

 

雨、雨、雨・・・

第二週目(1)

海辺のリゾート MOERAKI 人口140

坂だらけオアマルを出発して南を目指す。30分も走ればオアマルは遥か後方に過ぎ去ってしまったが、相変わらず小刻みなアップダウンが延々と続いている。どうやらクライストチャーチからずっと続いていた広い広いカンタベリー平野は終わってしまったらしいことにようやく気づく。これから先はずっとこんな調子で続くことになるのだ。ちょっとうんざりした。

日本の道路との大きな違いはここにあると思う。日本の道路は元々の地形に逆らって作られていることが多い。実際に走っていたときは気付かなかったが、こうして他国の道路を走るとき、日本の道路の特徴がはっきりと認識できる。日本の道は山があれば削り、あるいはトンネルで貫き、谷があれば橋を架ける。何にもないところにもコンクリートで強引に道を作ったり補ったりする。道は概ね平坦で勾配は緩やかに作られている。アスファルトはすべすべしていて凹凸も摩擦も少なく快適だ。道路全般に細部にわたって綿密な計算がされているようだ。国道や主要地方道のほとんどはそのように作られている。

ところがニュージーランド の道は山があれば登り、谷があればどんどん遡って谷を下りていき、川が最も狭まったところにようやく小さな橋を架けるのだ。そしてまたぐんぐん登っていく。登り坂の勾配はけっこう洒落にならない。何もないところはもちろん迂回する。ガードレールはほんとうに危険なところにだけ作り、道路標識も最小限。国道何号線とか次の町まで何キロなどというどうでもいい情報標識は作らない。舗装はとりあえず舗装されていたらいいので荒削りだ。本当にアスファルト?みたいな場所も少なくない。表面の砂利が簡単にポロポロ取れてしまったりする。(上写真)これでは舗装とは言い難いのだが、一応は舗装だ。国道1号線からしてその調子なので他の国道などアタリマエのように未舗装区間がある。山を貫くトンネルはない。山は登るものなのだ。この国じゅうを探しても国道のトンネルはきっと10箇所ないだろう。実際に僕はこの旅を通してトンネルを一度しか通らなかった。2500km、南島の国土を一周したにも関わらず。これは日本の常識とはあまりにかけ離れている。あとは笑うしかない。

坂は続く。登りきったらダウンヒルがあり、そしてまた登る。いつまでも、その繰り返し。笑っちゃうぜ。

きょうも向かい風に嫌気がさす。しかも快晴で暑い。もう笑う気もしない。

お昼ごろ海岸線に出た。南太平洋だ。白い波がビーチを縁取り、なんともいえない開放的な絵になっている。暑いし喉はカラカラだしビーチだし、すっかりヤル気がなくなってしまう。やたらとビールが恋しい。

良さそうなビーチを見つけてランチタイムにする。腹が満たされると逆にモチベーションがすっかり下がってしまった。だらだらモードに突入してしまう。

いまいちど地図を眺めてみるとここから見える半島の突端に小さな集落があり、日本ならば漁師民宿にあたるローカルな宿がいくつかあるらしい。日本でいうならば、その地方だけに限定的ささやかに知られている「○○浜海水浴場」みたいなかんじのところだ。興味がわき、そこへ向かうことにする。国道を離れて5キロほど半島の突端を目指して走る。めちゃめちゃ田舎の集落だが道端には花が咲き乱れパラダイス的だ。最高の道草になるかもしれない。

Moerakiは漁港で、木製の桟橋のそばにはいくつもの小型漁船やクルーザー、あるいはヨットが係留されている。ビーチを見下ろす丘には数件の民家と数件の民宿があり、そのなかにはモーターキャンプ場もあった。オフィスを訪ねて宿泊を問い合わせると、海に面したボロボロの小屋が1泊$25 (2000円)だという。建物は古いものの、ちゃんとキッチンも付いていてコンロも冷蔵庫もある。そして何よりも僕を喜ばせたのはビーチに向かって開放的な大きな窓があったことだ。陽がさんさんと降り注いでいる。これで決まりだ。

近隣に食料品店がないのでキャンプ場のオフィスは店を兼ねている。ソーセージの缶詰ひとつとビールを3本買った。まだ日は高いが、きょうはささやかながら午後はリゾート生活を過ごそうと決めたのだ。

僕のお気に入りは黄色いラベルのDB 英国風のコクのあるビールだ


第二週目(2)

ダニーデンは遠いよ

クライストチャーチとダニーデンの区間を走っている。区間距離は363km。4、5日もあれば到着していなければいけないはずなのだが、いまだダニーデンは遠い。車ならば1日で着いてしまう距離を僕は1週間かけている。節約しているがそれでも宿泊、食費とコストはかさむ。レンタカーの旅との比較で2倍くらい、バス旅と比較すれば5倍近いコストがかかっているかもしれない。自転車の旅は贅沢だ。それでも日本国内と比べればコストは半分で済む。航空券も往復5〜15万円(僕のエアは13万円)の範囲内だからトータルで考えても海外の旅のほうが安くあがる。海外が贅沢だったのは遠い過去の話だ。

ただ、言語という壁がある。これは勢いで乗り切るしかない。僕のいい加減な英語は中卒程度の範囲をいくらも超えないが、それでもここまでコミュニケーションで不便を感じたことはほとんどない。簡単な冗談も通じる。世の中なんとかなるものだ。

ニュージーランドの英語にはAをアイと発音する特有の訛りなどがあるが慣れればどうということはない。全体にはスコットランド調のきれいな英語に接する機会が多く特に身なりのいいお年寄りは優しく聞き取りやすい美しい英語を話す。

このゴミ箱は自分のものだと主張するカモメ

しかし、若年層や気さくなおじさんおばさんと話すときは、ちんぷんかんぷんのことも多く、まるでアメリカ英語のよう。これは文化の急速なアメリカ化が影響しているのかもしれないなと思う。それを裏付けるようにテレビ番組は米国輸入が多数を占めている。マンガはシンプソンだしサスペンスもトレンディドラマもアメリカものだ。 「サバイバー」だってリアルタイムで放送している。

ただしスポーツ中継だけは相容れない。ラグビーとクリケットばかりやっている。それからゴルフだ。残念ながら日本で話題沸騰中の宮里藍などは全く話題に触れられない。女子ならミシェル・ウィーで男子ではやっぱりウッズだ。宮里フィーバーは日本限定のブームなのだろう。イチローもマツイも知られていない。ただコイズミは有名だ。しかしながら多くのニュージーランド人は韓国と日本の区別はいまひとつといったところで、韓国は日本の一地方くらいに認識されているように感じる。韓国製電化製品をメイドインジャパンだと思っている人は多いだろう。島根と鳥取、香川と愛媛、群馬と茨城、秋田と岩手みたいなもので、当事者にとっては大きな違いでも当事者以外にとっては別にどうでもいいことなのだ。だいたい一緒じゃん?みたいな。

ダニーデンはさしずめ小樽くらいの規模の町で、なかなか垢抜けた洒落た都市らしい。最南端に近づくこの先の行程の前にここで食料などを充分に補給したいと思っている。最南端に近い海岸線エリアはCatlingCoastと呼ばれる本当に何もない野生のエリアなので、ダニーデンで自転車の整備と物資の補給を完全にしておきたいと思っているのだ。しかし、そのダニーデンが遠い。今のペースで走ればいったいいつになったら辿り着くのだろうか。

道端お花畑 Moeraki近く


第二週目(3)

カモメはいいなあ WAIKOUAITI 人口900

リゾート生活は1日だけにして南へ向かわねば。出発前、外が騒がしいと思ったら管理人のおばさんが1斤99セントの食パンを集まってきたカモメたちに惜しげもなく与えていた。1斤600g。僕が3日かけて大事に食べているパンをせっせとばら撒いている。たまらず拾いに行きたくなったが、我慢した。なんだか悔しい。おれもカモメになりたい。

ここには日本人はあまり来ないようで、昨日の受付時にはいろんなことを聞かれた。住所の北海道をみて「どこにあるの?トーキョーは近いの?」と聞くから「North Islandです、日本の。とても寒いところだ。」と答えると満足してくれた。きっとNZの北島を思い浮かべたんだと思う。

さて、いざ走り始めると風が強い。西風だから南に向かう僕にとっては横なぐりの風だからバランスに気をつけて精一杯我慢の走りに徹する。1時間もしないうちに風は真正面に変わり、さらにパワーが増した。こうなるとたまらない。たぶん気圧の谷が近づいているか弱い前線の影響だろう。普通の風ではない。

しかも相変わらずの小刻みなアップダウンの延々地獄だ。風とアップダウンに気が滅入り、下ばかり向いて走っていたら橋の欄干にぶつかりそうになってびっくりした。広い 河川敷には低木がびっしり生えていて、それらが満開の黄色い花をつけている。まるで黄色い天の川のようだ。車と一緒に走らなければならないので立ち止まって写真を撮れないのが残念だ。

向かい風に耐えながら重たい自転車をこぐ。時速は10km以下、ときに6kmを下回ることもある。国道1号線は南下するにつれて交通量が目に見えて減ってくる。昨日にも増して交通量が減ったものの、1台1台の車の速度がめちゃめちゃ速いから怖さもひとしおだ。きょうはダニーデンまで行きたいのだが、たどり着けるだろうか。チャリも重いが気も重く、ペダルは すこぶる重い。

縦断鉄道の貨物列車がやってきた

20km走っても国道1号線の沿線には何もない。町が、集落が、全然ない。どんどん人口の少ないエリアに進みつつあるのがわかる。北海道でいうと道北のオホーツク海沿い雄武とか枝幸あたりを走っているような感じだが、こちらのほうが全然なにもない。

正午ごろパーマストンという小さな町に到着。ホッとして道路沿いの公園のベンチで持参したサンドイッチを頬張る。小雨が降り出したので合羽を着てフードを目深に被ってのランチだ。なんだか敗走中の兵士のような鬱々とした気分になる。空は暗く、小雨は細かく全ての物をじりじりと濡らしていくかのようだ。風が相変わらず強く吹いている。

サンドイッチも雨に濡れる パーマストンにて

ポットの熱いコーヒーを飲み、バナナを2本食べ、気を取り直して再び南へ向けて走り出す。強い向かい風、小刻みなアップダウン、そして小雨。まったくついてない。やはり海辺のビーチリゾートでもう1泊するんだったと後悔するがもう遅い。

さらに20km南下するとWaikouaitiという、ちょっとウェスタンな印象のある小さな町に着いた。このころになってようやく雨があがった。パタゴニアパーカーを着ている上半身はいい もののレインパンツは雨水が滲みてビショ濡れだ。国産M社のレインウェアは最初のうちはいいのだが、性能が長持ちしない。そのへんは海外メーカーと大きな格差があるといつも感じる。ヘビーユーザーには向かないように思う。

国道から離れて海の方向へ3キロほど行くとモーターキャンプ場があるらしい。これ以上向かい風に逆らうことに嫌気がさしてしまった。少し迷ったが南へと進むのをあきらめ海に向かう道に入った。はやくシャワーを浴びて濡れたものを乾かしたい。ダニーデンはやはり遠い。

ところがキャンプ場のオフィス(普通の民家)には誰もいない。呼んでも叫んでも家の中には人の気配がない。カギは開いていて誰でも入れる。無用心だと思ったが、やっぱりこの国は治安がいいということの表れだろう。

少し進んで海沿いにあるキャンプ場を覗いてみる。まるで高校のグランドのようなところに部室のようなコンクリートブロックでできた共同棟がありシャワー、キッチンなどはひととおり揃っているようだが、 重たい冷たい雰囲気に包まれている。前述のように高校のグランドのような、工場の中庭のような、微妙な空気が流れている。それに、この設備にしては値段も高めだと思う。

仕方ないので海辺に行ってみる。一気に視界が広がり真っ白なビーチの正面に躍り出た。いつの間にか空が晴れ始め、海と空のブルーがまぶしい。ベンチ&テーブルを見つけて休憩に入ると、もう何もかもやる気がなくなった。海は焦る気持ちを一気に萎えさせる魔法のような力があるのだろうか。そのまま夕方近くまで昼寝をして過ごした。濡れたものをそこらへんに広げておいたら、夕方までにすっかり乾いてしまった。

柵に合羽を干すと案山子(カカシ)のようになった

いつの間にか周囲にカモメが集まっている。別に騒ぐわけでもなく、なんとなくやってきて羽根をすぼめて昼寝をしている。その中心には僕がいる。なんだか変な気分だ。


第二週目(4)

ちょっとリッチな宿事情 Golden Fleece Motel 1泊$50(4200円)

このモーテルの本業は、この町の酒場(パブ)だ。別棟が長屋造りの宿泊棟になっていた。古くからあるパブは安宿を併設していることが多い。モーテルのレセプション(受付)は通常、飲み屋のカウンターを兼ねる。飲んだくれ荒くれ男の横で宿泊を申し込む、なんていうこともザラにあって、けっこう楽しいもの。

ここのリビングには大きなベッドとソファ、チェスト、テレビなどがある。テレビはなぜか、どこも韓国製というところが多くてリモコンが壊れている確率が非常に高い。ここのソファには犬の毛がびっしり付いていて、僕はまずソファの掃除からはじめた。

メインリビングとダイニング、ツインベッドルーム、家事室を兼ねた作業台つきの納戸、クローゼット、バスルームという構成で広さは80uくらいと思われる。日本の平均的な分譲マンションくらいの広さがあるから初めてモーテルに泊まる人はその広さに驚くだろう。夜間、MTBを納戸に運び込むとすっぽり入った。

古くて雰囲気のあるキッチンにはイングリッシュティー、コーヒー、ココアなどが揃えられていて自由に利用できる。キッチンには鍋や皿をはじめ包丁やフライ返しまでひととおりのものが揃っているから、すぐに自宅のように使える。ところによってはウェルカムドリンクとしてミルクやビールが冷蔵庫のなかに準備されていることも多い。ここの電気オーブンは年代もので、たぶん僕よりも年上だと思う。どこでも大抵キッチンは電熱ヒーター式。240Vなのでお水はたちまち沸騰する。電気だからといって火力に不便は感じない。もうひとつベッドルームがあり、明るいオープンデッキまであった。

ここは1泊50ドル。相場は60〜70ドルくらいだが地域差が激しい。西海岸地域はボッタクリ傾向が感じられる。値段は部屋代なので1人で泊まっても2人で泊まってもかわらない。このシステムはどこも同じ。2人で組んで旅をすればお得にリッチになることは間違いない。

バックパッカーは相部屋で1部屋が6〜8人程度 占有できるのはベッドの上のスペースだけ。一人一泊は20〜25ドルが相場となっている。ただし盗難が多いので荷物の管理には注意が必要。キャンプ場はテントサイトの相場が10ドルだから、たまにモーテルに泊まるのも悪くない。間接的に得られる利益も大きいので2人組ならばバックパッカーの旅よりもお得になる場合も多いと思う。

シャワーはホースの繋ぎ目から水漏れがするので修理してから使った。


第二週目(5)

雨のマウントカーギル DUNEDIN

前夜の天気予報では「くもり時々晴れ」と言っていたのに、朝目覚めると冷たい雨がしとしと降っている。冷え込みが厳しく雲は低く垂れ込め、雨はとても上がりそうな気配がない。天気予報は嘘つきだ。 でもそういえば昨日は前線の接近を予感させるような嫌な風が吹いていたっけ。

もう連泊はしない。勇気を振り絞りレインウェアを完全に着込んで出発する。足元にはスーパーマーケットの袋を履いた。これで防水は完璧。足元もあたたかだ。ダニーデンまではわずか50キロ、グズグズしてないで今日こそ到着してしまおう。しかし、国産M社のゴアテックス製レインパンツが心配だ。どれくらい持ちこたえるだろうか。

雨は冷たく容赦なく全身から体温を奪っていく。噴出した汗が冷え内側もまた冷たく濡れていく。M社のゴアテックス製レインパンツは30分もしないうちに雨水にすっかり濡れすぼみ、シミシミのシミテクトになった。足元のスーパーの袋だけが予想以上の働きで体温を保ち続けている。袋は秀岳荘のスキーバンドで縛っているから、多少歩くことだってできる。秀岳荘のスキーバンドは実にヘビーデューティでアウトドアのいろんな局面で活躍する優れた便利グッズだ。計6本を持ってきているが、とても役立っている。ヒマラヤから南極探検まで秀岳荘バンドは世界のフィールドで大活躍すること疑いない。1本500円しないというのに。ちなみにM社のゴアテックスパンツは2万円以上しているけど、秀岳荘スキーバンドのほうがずっといい仕事をしている。

冷たい雨のなか、午前中は休まずペダルを踏み続けた。風はないものの雨の細かい粒子が全身の隅々から体温を奪っていく。それでも小さな峠をこえて入り江の町に出た。この先にはダニーデンへの関所となるカーギル山が横たわっているはずだが、濃い雨霧に遮られて山の様子は全く見えない。それよりもすっかり体が冷え切っていて、このままではMt.カーギル越えなどとてもできそうもない。「休みたい」祈るような思いで雨宿り場所を探す。ふとスクールバスの停留所が目に入る。濃い緑のコンテナのような小屋が民家の門のまえに据えられている。助けを求めるような気持ちでそのコンテナに吸い込まれた。

何か食べなければとサンドイッチを食べ、コーヒーを沸かしたが一向に体の内側が温まる気配がない。僕はきっとひどい顔をしていたことだろう。実はこのときの自分の顔写真を撮っているが、とてもここに載せられるものではない。

一人のおじいさんが近づいてくる。この門がある家の人だろう。頑固そうな人だ。自分の家のまえで怪しい男が雨宿りをしているわけだから、気にならないはずはないだろう。僕は追い出されるのだろうか。まあ、仕方がない。

「おい、おまえさん大丈夫か?」

「はい、大丈夫。問題ないです」

「ほんとに大丈夫か?ただ座っているだけなのか?」

「はい、このコンテナをお借りしています、食べて終わったら出て行きます。」

「大丈夫なんだな?う〜ん、君は日本人なのか?」

「はい。」

「自転車できたのか」

「はい。(MTBのハンドルに手をおいて)これは僕のパートナーです。」

「わお。これからどこへ行くんだ?」

「南へ・・・。きょうはダニーデンに行きます」

「高い山があるぞ。マウントカーギルだ。大丈夫なのか?」

「はい、知ってます。でも私はパワフルですから、それに(サンドイッチを指差して)ここに燃料もある」

「そうか。がんばってな。幸運を。」

「ありがとう。あなたも良い1日を。」

「君もな。」一度、立ち去るそぶりを見せてから再び振り返り、

「ほんとうに大丈夫なんだな?」

「ありがとう、本当に大丈夫です。親切にしてくれてありがとう。」

おじいさんの英語はとてもきれいで、また、ゆっくり話してくれたから僕でもすっかり聞き取ることができた。なんと優しい言葉だろう。追い出されることを覚悟していた自分を恥じた。

おじいさんはそのまま車でどこかに行ってしまった。

僕は感謝の気持ちをこめてコンテナのなかのゴミをすっかり片付けて掃除をした。それから濡れたものを着替えて新しいシャツを着込み、乾いた手袋をはめた。全身が一気に温かくなり元気がでてきた。

それから約3時間後、僕は休まずに自転車を漕ぎ続け、無事にマウントカーギルを越えてダニーデン市街地に到達することができた。

雨宿りの周辺 右端の黒っぽい物体がコンテナハウス


第二週目(6)

天然の要害ダニーデン DUNEDIN 人口114.000

ダニーデンの特筆すべき点は三方を山で囲まれ一方が海に面した天然の要害といった地理的特徴にある。そしてニュージーランドの都市のなかでも歴史が古い。おそらく19世紀的な戦略的条件を満たした都市造りをしたのだろうと推察できる。植民が始まった当初、人々は先住のマオリの襲撃を警戒していたことだろう。ニュージーランドの近世の歴史は 勇敢で知られるマオリ戦士との長き戦争を抜きにしては語れない。北海道における松前藩とアイヌ民族の数度にわたる戦争もまた、これに背景が似る。実際、松前藩も函館という広い平野と良港にめぐまれた地に本拠をおかず三方を山に囲まれた松前という田舎に城砦をおき城下町を形成した。 常にアイヌの反乱を警戒していたという。

天然の要害と簡単に言うものの、それはつまり「険しい」ということ。では何がそんなに険しいかというと、この町、ともかく坂道がすごい。すごいというか、半端じゃない。我々の常識をはるかに超えている。

「山頂」からダニーデンの町。航空写真ではない

この坂道は町の中心に真っ直ぐ突き刺さる

町の中心を囲むように山が迫っているが、その斜面はすべて住宅街になっていて市街地を形成している。とてもじゃないが僕らの常識の範囲をはるかに超えている。大聖堂があるダニーデンの中心「オクタゴン」のすぐ裏から直ちに坂道が始まり、そのままどんどん登って標高はついに200mに達してしまう。しかも、そこまでずっと住宅街になっているのだ。 その先もまた山また山で住宅街がつづく。坂の頂上からはダニーデンの町が一望できる。スキーゲレンデのいちばん上に立ったようなもので、実際に坂道の勾配もスキーに充分対応できるだけの角度がある。MTBでこれを登るには1−1のギアを使わなければならない。それも、よほど心臓が強い人でなければ頂上まで登ることはできないだろう。僕はもちろん自転車を押して歩いた。汗だくだくになって登った。ダニーデンに入るまえにマウントカーギルを登ったが、 かえってマウントカーギルよりも疲労したように思う。だいいち勾配が激しすぎる。写真ではうまく伝わらないのが残念だ。

この町、冬は大丈夫なんだろうか?

小樽?函館?尾道?そんなの全然、目じゃない。ダニーデンは世界一過酷な坂の町だ。実際、ギネス登録の世界一急勾配な住宅街の坂道はこの町にある。こんなすごい坂道が普通だという町を僕はほかに知らない。畑のなかの道や林道ではないのだ。ここは住宅街で人々の生活がある。

ダニーデンのHoliday Top10キヤンプ場には山をひとつ越えていかなければならなかった。山ひとつとはいっても、その山はすべて住宅街だからヤマとはいえないかもしれない。ダニーデンでは2泊して自転車の分解整備と休養、補給にあてようと思っていたのだが、ちょっと町までお出かけなど、とんでもない。

結局、滞在中はキャンプ場の周辺徒歩10分以内から外に出ることはなかった。ちなみにキャンプ場の標高は170mであった。

ダニーデンの町の中心、大聖堂のまえの広場「オクタゴン」のベンチで地図と睨めっこしていたら、隣に東洋人の男女が座った。ダニーデンは観光客が多い町だし東洋系といえば韓国人か中国人であることが多いから別に気にしてはいなかったが、知らず知らずのうちに聞き耳をたてていたらしい。聞こえてきたのは何と日本語だった。久しぶりの日本語!思わず、声をかけた。

「日本の方ですか?」

もちろん相手をびっくりさせてしまった。

僕にとって2週間ぶりとなる生の日本語だ。この夫婦はシンガポール在住で休暇でダニーデンを訪れたのだという。話をしたのは時間にして2、3分というところだっただろうが、久しぶりの日本語の会話が嬉しくてたまらず、しばらくは頬がゆるみっぱなしだった。


第二週目(7)

ダニーデンには懲りごり MOSGIEL 人口9.200

3日目の朝はまたしても小雨模様。でも日程に焦りがあるため出発をきめる。それにこの雨は止むのではないかと思った。

住宅街から「下山」して、再びダニーデンの町を訪れた。ダニーデンはクライストチャーチに次ぐ南島第二の大都市でいろんなものが揃う。専門的な部品などはここで準備しておかなければこの先 は当分の間、入手は困難だろう。

前日にマウンテンバイクを分解してクリーンアップとメンテナンスを施したのだが、そのときMTBのペダルの調子が思わしくないことを発見して、修理が不可能なためにペダルごと交換しようとダニーデンの町の自転車屋を探しに来たのだ。MTBの専門店はすぐに見つかった。これらもすべて「ペダラーズパラダイス」に情報として載っていた。情報源としてとても役に立っている。

残念ながらペダルはあまりにも値段が高くて手が出なかった。日本で購入するよりも3割ほども割高になる。仕方がないので様子を見ることにした。しかしCatlins Coastへ問題を残したままのMTBで進んでいくことには不安があるが仕方がない。まあ、何とかなるだろう。右のペダルは中のベアリングが損傷しているようで回転が悪くなっているが、とりあえずベアリングをオイル漬けにしてある。なんとか持ちこたえてくれることを期待しよう。

ダニーデンの町のインド料理屋でカレーを食べようと以前からとても楽しみにしていたが日曜日だったため店は休みだった。非常に残念。ニュージーランドでは土日パニックというのがあって、ほとんどの店が休んでしまうことがある。14年前に訪れたときは午後5時以降あるいは土日に営業している店はほとんど見かけなかったが、さすがに現在はそうでもない。それでもお目当ての店が休みなんてことは決して珍しいことではない。もし田舎の町で3度の食事を外食やテイクアウトに頼ったりしたら2日間まったく食事にありつけないことも有り得るから注意が必要だ。この日はとても寒かったこともあり、通りがかりに偶然みかけた日本料理屋の店先の鍋焼きうどんの写真に心をうばわれてそのままふらふらと吸い込まれてしまった。店員はみんな日本人でちょっと古くなりつつある日本のヒット曲が店内に流れている。ダシのいい香りが漂っていてたまらない。

鍋焼きうどんが運ばれてくるまでの間は地図を眺めながら店員たちの私語に耳を傾けた。日本的常識に照らし合わせたら厨房から私語が聞こえてくるなど失礼極まりないことだが、そんな他愛のない日本語の会話でもなんだか懐かしくて心地いい。鍋焼きうどんはまあ普通だったが、そんな普通もまたいまの僕にはありがたい。

体が温まり、時間も昼をすぎたので出発することにする。しかしダニーデン脱出もまた大変だ。標高100m、200m、350mといった峠をいくつも越えなければならない。峠とはいっても住宅街だ。心理的にもこれはきつい。いっそ普通の山のほうがいい。雨はあがっていたが苦痛に唸りながらこれら通称Three Mile Hillを越えていく。もうダニーデンは懲り懲りだ。

隣町のモスギルに到着する。まだ時間は早いが宿泊することにした。この先しばらくは宿のない地域になるから決断は早いほうがいい。

町外れにキャンプ場があるようなので探してみるが見つからない。地元の人に聞いてみるが、みな知らないという。地図を眺めながら思案していると、そういうときは必ず「You lost?」と声を掛けられる。そういったNZ人の素朴な優しさがとても素敵だと思う。残念ながら日本人はそういう優しさを20年くらい前から忘れてしまった。もっとも、今どき知らない人に声など掛けようものならば、逆に不審者として疑われることだろう。なんという世知辛い世の中だろうか。

ようやくキャンプ場を見つけるが、異様な雰囲気に驚く。まず目にしたのが、「永住禁止」の看板。そして場内を見て回ると、いったい何年そこにあるの?ふうの錆びたキャンピングカーが並んでいて、そこには確かに生活があることがうかがえる。共同棟のキッチンは外から見ただけで大変なことになっていることがわかるし、シャワー もトイレも見るまでもない。完全に彼らのモノになっていることに疑いはない。

まさにヤバさ満載だ。こんなところでテントを張ったなら、どんな目に遭うかわからない。興味はあったが冒険はできない。退散することに決めた。

しかし困った。この町には他に安い宿がない。バックパッカーもユースホステルもない。安宿を探すのならばもう一度3つの峠をこえてダニーデンに戻るか、ここから40キロ先の町まで行かなければならない。仕方ないのでモーテルに泊まることにする。80ドル(6500円)もしたが、独立したコンドミニアムタイプでリッチな気分だ。庭には花がいっぱい咲いていた。たまにはこんな贅沢もいいかもしれない。

戻る 第一週[1]へ

続き 第三週[3]へ


北海道美瑛町ガイドの山小屋公式WEBサイト

自転車旅を含む「旧ガイド日誌

最新のブログ「ガイド日誌」

 

  ガイドの山小屋は「パタゴニア」のサポートをいただいております