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オーストラリア 自転車の旅

そこは、灼熱地獄だった。

Stuart Highway 3080km 

オーストラリア大陸縦断 チャリの旅

2006年10月下旬〜12月中旬

 

19世紀、オーストラリア大陸内陸部は未踏の地で、内海があると考えられていました。

多くの探検隊がときに全滅するなど失敗を繰り返しながら踏査の挑戦が続きます。そしてついに、その未踏の大陸縦断に探検家、J・M・スチュアートが成功します。

スチュアートがラクダ隊で踏破したそのルートは、現在スチュアート・ハイウェイと呼ばれています。(「恐るべき空白」から)

暑さに耐えきれず、大陸縦断鉄道の線路下に埋設された土管に身を隠す私


 Stuart Highway 3080km 

 INDEX 目次

 TOP PAGE 旅の準備

 [1] 第一週 

 [2] 第二週 

 [3] 第三週

 [4] 第四週 

 [5] 第五週 

 [6] 第六週

 [7] 第七週 最終週 旅のおわり

 


第五週 灼熱地獄 

シンプソン砂漠〜グレートビクトリア砂漠

灼熱の気温45度地帯を行く

 

 

 

赤茶けた風景 グレートビクトリア砂漠

第五週目(1)

遠い補給 南オーストラリア州ハイウェイ事情

ノーザンテリトリーから南オーストラリア州に入ってより難易度があがったように思う。前項で述べたように補給の間隔が広がったことが大きい。

ノーザンテリトリー州では、RHは50〜100kmごとにあり、1日走れば次のRHに辿り着くことができた。RHには必ず個性的なパブがあって食事をとることができたし、その気になればビールを飲みながらおしゃべりに興じることだってできた。RHは単にパブと呼ばれることも多くて、僕は好んで「きょうは次のパブまで行くんだ」と言った。なんだか馬で旅している開拓時代の旅人のような気分になれるのだ。旅スタイルは極めて似ている。

馬のかわりにMTBをパブのまえにつなぎ、ウェスタンドアを押して入るのだ。

「きょう泊まれるかい?」

ベッドだけの簡単な部屋を提供される。そんな毎日だ。

オーストラリア奥地では、馬で1日歩けば次のパブに辿り着く。そうやって奥地の開拓が進められていったという。つまりパブは宿場のようなものなので、今でもその役割を担っている。もちろん現在では馬の飼葉のかわりに車にはガソリンの補給がされるが、そのほかはあまり変わっていないという。おかげで現代の旅行者もロードハウス(RH)と呼ばれるようになった現代のパブを利用して安全な旅行をすることができる。

ところが、南オーストラリア州(以下SAに入って状況は一変した。RHの間隔が一気に開いたのだ。100kmどころか、例えばカルゲラからマーラまでは180km、この先には300km近くも何もない区間もある。

豪大陸縦断道路スチュアートハイウェイは、ノーザンテリトリーとSAをまたいで大陸を縦断している。そのうちSA側のハイウェイが舗装を終えたのは1987年のことで、それまでここは未舗装のマイナーな道だったという。そのため、開拓時代のパブはあまり見られない。SA側がナショナルハイウェイに格上げされたのは、つい最近のことなのだ。

スチュアートハイウェイは未だに開拓半ばであるノーザンテリトリーに物資を輸送するための陸上交通路という性格が強い。南オーストラリア州政府にとってはあまり面白い存在ではないようだ。

いまだ開拓精神の濃いノーザンテリトリーに対してSAはぐっと垢抜けており、華やかな反面、幾分冷めた印象もある。旧道(ウードナダッタ道など)にはいくらかヒストリックなパブやホテルが残っているようだけど、これまで何もなかったスチュアートハイウェイにあらたにRHを作る気などないようだ。ウォータータンクの数も減ったし、休憩エリアの設備もいくぶん格下げされた印象がある。

パブがない。補給が遠い。これは僕らプッシュバイカー(チャリダー)にとっては深刻な事態だった。

僕はシンプソン砂漠の真っ只中にいる。雨はまったく降らない。まだ1度も雨らしい雨を見たことがないし、雨雲を見ることもない。水溜りすら見かけることはない。川は干上がっていて、わずかに生えている草木は固く乾いていて瑞々しさが全くない。いま季節は真夏になろうとしている。ここは、ものすごく熱い。

※RH・ロードハウスの略。ハイウェイ補給地点に立地し、水やガソリンを補給できる。またパブがあり食事やビールの提供を受けられ名実ともにハイウェイの憩いの場。また多くの場合、簡素な宿泊施設が併設されており、これらは予約がなくても何とかなる。昔もいまも駅逓と同じ役目を担う。内陸の場合は砂漠のなかのオアシス地にあり、水源の名がつけられていることが多い。

〈その他の略語〉

SA:南オーストラリア州

NT:ノーザンテリトリー準州


第五週目(2)

向かい風 Cadeney Homestead

巨大な大陸のド真ん中。ここではお天道様にあわせて生活するとうまくいく。薄暗いうちに起きて空が白み始める頃には出発する。クッキー6枚とコーヒーだけの朝食を流し込み、今朝も大陸南下のペダルを踏み続ける。やがて日が昇り、完璧に晴れ渡った空が頭上に広がっていく。きょうも暑くなりそうだ。

ずいぶん簡単な朝食だけど、カバンにはクッキーが何枚も入っていて途中の休憩で食べる。僕はちょこちょこ食いが結構好き。

朝はやく出発するにはワケがある。会社勤めのように朝8時始動するとお天道様はすでに頭上高くにあって燦々と輝いているから、たちまち灼熱地獄になってしまい、自転車どころではなくなってしまうのだ。

日の出とともに走り出せば灼熱のなか漕ぎ続けるリスクは幾分減らすことができる。それに、何かアクシデントがあったときに、残された1日の時間がたくさんあると安心だから保険のような意味もある。

実際、タナミ砂漠で万事休すの事態に陥ったとき、まだ午前中だったおかげで対策をたてる余裕が生まれた。運や出会い、いろんな要素があるけれど、すべてお天道様次第だ。自然が最大の味方になる。世界中のひとたちが地球のリズムで生きることができたなら、地球温暖化など起こるはずもなく、世界は平和になるはずなんだけどな・・・。

さて、そのお天道様なんだけど・・・。

5時45分、きょうも日が昇る。毎日のように見てきた砂漠の地平線 からの日の出。きょうも1日、こいつに身を焦がされるのだ。太陽が少し怖い。

日が昇ると次第に大気が躍動を開始、やがて風が動きはじめる。きょうは南東の風。南南東に向かう僕にとっては悪夢。正面からの向かい風だ。

人力の旅では、自然に抗わないことが鉄則。自然に逆らうとロクなことがない。向かい風は、おみくじで凶を引き当てたようなものだ。

やばい。もう1泊するか?すでに20km近く走っているけど引き返すのか?

ここが悩みどころだ。

通り過ぎていく車のドライバーが、すれ違いざまに、ピッと手をあげて朝の挨拶をしていく。僕も同時にハンドルから2、3本の指をピッとあげて挨拶する。こういう何気ない行為が、アウトバックを行きかう者の心を繋いでいると思う。

きょうは80km区間だから大丈夫。でも、もしも困ったことが起こったら、そのときは遠慮なく、誰かオージーの仲間を呼ぼう。

すっかりオージーはみんな仲間だという気になっている。僕は基本的に他力本願とか、他人の物真似とか、他人の善意に依存したり甘えたりとか、他人のフンドシで相撲をとるような行為が嫌いなんだけど、ここでは何とかなるような気がしている。オージーは信頼していいと思っている自分がいる。毎日行きかう車と、ピッと指をあげて挨拶しているうちに自分もアウトバックの仲間のような気分になっているのだ。

決断はやっぱり裏目に出てしまう。楽勝と思われた80km区間は苦行になった。逆風で走ることにはコツも技術もなく、ただ歯を食いしばり、ペダルを踏む。 苦しさは、登り坂と同じくらい。しかしこの“登り坂”にはご褒美ともいえる“下り坂”がないのだから切ないじゃないか。

しかも、逆風時には後ろからくる車の気配を直前まで感じられないから困る。アウトバックは速度無制限のため、たまにレースかと思うような洒落にならない猛スピードの車がやって来る。そういうときは限界まで道端に寄りたい。

な〜んにもない砂漠の風景のなかを、向かい風に耐えながら歯を食いしばってペダルを踏み続けるオレ。ほんと地味。何が楽しいの?ってカンジだ。

時速は12kmくらいしか出ない。ふだんの7割。追い風時の半分以下。

全身に扇風機の風の「強」を正面から浴びている。

やけくそになって、時速11〜12kmくらいで、疲れたら歩けばいいやという気持ちで漕いだ。ママチャリだと思えばいい。

ときどき「チクショ〜」とか、「死ねアホ〜」とか、でかい声で叫んだ。なんだかメチャメチャ悔しかったのだ。 何しに来たんだろう、オレ?

それでも正午頃に到着。キャドニーホームステッド。キャドニー屋敷、とでも言うのだろう。かわいい店構えだ。欧米っぽい。(欧米だけど)

近くを大陸縦断列車の線路が通っていて、「The Gunn」の貨物列車が通り過ぎていった。ものすごく長い貨物列車だった。何百メートルあるんだろう?もしかしたら2000mくらいあるかもしれない。

パブで食事をとる。

サテーチキン&ライス。マレーシア風串焼きチキンと蒸したロング米のバターライスだ。うまい。うまいっすよ。

ついでにコールドチキンも食べる。うまい。うまいじゃないですか。

さらに、ミート&サラダも食べる。ローストビーフとかビアソーとか、いろいろ入っている。たぶん自家製だ。うまいうまい。みんなみんなうまいです〜。

久しぶりに新鮮な肉と生野菜をたくさん食べて嬉しい。スタミナがついた。

パブは夕食どきには込んできたので部屋に戻った。やっぱりメシがうまいから夕方になると人が集まってくるのだろう。

きょうの部屋はコンテナハウスでバストイレもなければエアコンもなく、熱気がこもっていて、こちらは少々辛かった。30ドルもしたのに・・・。

水シャワーを何度も浴びて体を冷やして寝た。


第五週目(3)

地下の街 Coober Pedy

【熱風と死の予感】

11月23日。苦しい1日だった。クーバーピディに辿り着いたときの僕は灼熱と強風と闘い続けた末、生気を失い死神に取り付かれていた。

灼熱に焼かれながら砂漠を吹き抜けてきた烈しい熱風を正面に受け止めながらそれに逆らい続けた154km。 顔は腫れ、唇は割れて血が滲んだ。激しい乾燥のために眼球が乾き、声が出なくなった。朝の5時から14時間ぶっつづけで漕ぎつづけ、干からびる寸前でようやく辿り着いた。 死神はすぐそこにいた。

到着したのは日没直前の午後7時だった。着くなり1.5リットルのミネラルウォーターを買い、そのまま一気に飲み干した。 食事をすることもできず、水のシャワーで体温を下げて裸のままベッドに倒れこみ、そのまま朝まで眠った。

明らかに無理をした。命が助かったからいいものの、あと一歩で死ぬところだった。砂漠の烈風を甘くみてはいけない。

乾いた砂漠にオパールを試掘した跡にできた白いボタ山が山脈のように連なっていた。遠くに白くボタ山がみえたときクーバーピディはもうすぐだと思ったが、それはぬか喜びに過ぎず、 これらを抜けるにはさらに2時間も3時間も費やさなければならなかった。何度崩れ落ちそうになったかわからない。

「最低3泊」そう決めた。あまりにも疲れていたし、次の補給は260km先になる。その間は無人の砂漠が広がっている。ここで十分に回復しておかないと危険だった。油断すれば、砂漠は命をいとも簡単に吸い取ってしまう。

この日はそれをあらためて痛感した。

【地下の世界は夢のあと】

クーバーピディはオパール掘りの男たちによって作られた街だ。この砂漠の町は地上で暮らすにはあまりにも過酷なため、人々は自分たちが掘った穴のなかで暮らすようになったという。乾ききったこの町には雨はほとんど降らず、よって穴が水没する心配はない。たしかにどの穴にも地下水らしきものが見当たらない。水はいったいどこにあるんだろうかと心配になるほどだ。

ここの地盤は思いのほかしっかりしていて、くり貫かれた穴は落盤の心配などないと思われるほど頑丈で、しかもなかなか美しい。

そして何よりも、中はとても涼しい。地下10mでは25度くらいでとても快適、地下20m以下になると室温は20度を切り、ちょっと寒いくらいになる。

そして外は、50度にもなるという。この日は43度だった。

【地下のホテル】

ラデカズ・ダウンアンダーバックパッカーズという安ホテルに泊まった。和訳すればつまり「ラデカおっさんの地下旅館」だ。オパール鉱山跡を利用した安ホテルだ。

地下におりていくと長々と廊下が伸びていた。

廊下のわきには区切りがあって2段ベッドが並べてあった。 なぜかドアがなかった。もしドアのかわりに鉄格子があれば地下牢獄に見えるだろう。

廊下はさらに先まで続いていて、奥のほうでは迷路のように入り組んでいるようだった。このまま廃鉱につながるのだろうか。

電気がないから奥は見えないけれど、好奇心旺盛な人だったら、さらに奥まで潜り込みたくなるのではないだろうか。

壁の岩石のなかにはキラキラ光るものが含まれている。オパールかと思ったが、どうやらこれは石英のようだ。

「もしかしたらこのなかにはお宝があるかもしれない」と思うと落ち着かない。そういうのがこれまた楽しい。

さすがにドアがないのはどうかと思ったので2日目からは鍵のついたドアのある部屋にしてもらった。静かで涼しくて、一発で気に入った。

【生きるために必要なこと。ともかく食べて体力回復を目指す。】

近所のスーパーでは牛タンがベロベロ〜ンの生ベロのまんまでパックされて売られていた。1舌がたったの1ドル40セント(130円)だった。牛タンが1ベロ(舌1枚)130円だなんて!興奮したが、ちょっと買えなかった。ベロそのまんま。少し引いたけど、あとになってやっぱ買えばよかったと思った。絶対うまいし、ネタとしてもおいしいじゃないか。

男たちの夢のあとは、なかなか興味深い。

毎日ステーキを焼き、かつ食い、回復につとめた。

 


第五週目(4)

限界 

【再び砂漠へ】

クーバーピディ5日目。 朝おきるといい風が吹いている。砂をひょいと一掴み、空にむけて放り投げる。

北と出た。

チャンス到来とばかりに出発の準備に取りかかる。ずっと北風を待っていた。160kmを超える今日の区間に、お天道様の味方は欠かせない。

たくさんの水は凍らせておいた。すぐに溶けてしまうけれど、たとえ午前中だけでも冷たい水を飲める幸せは何物にも変えがたい。

水は積載限度いっぱい、全部で17.5リットルを積んだ。自転車の前後左右にぶらさげた4つのパニアバックに各2.5リットルずつ計10ℓ。さらにミネラルウォーター2本を放り込んだ。フレームに取り付けたタンクホルダーやフロントバックにも計4.5リットルを走りながら飲めるように載せてある。

これだけの水を積めば、MTBはかなり重たくなる。無理をしても、あと5ℓくらいが限界だと思う。

しかも、これだけ積んでも1日半しかもたない。

1回の補給間隔が500kmを超える未舗装の砂漠のストックルート3000kmを自転車で横断したという話を耳にしたことがあるが、僕には俄かには信じ難い。というのも、MTBにおける水の積載の限界を我が身をもって知っているからなのだ。フル装備に加えて50リッターの水をどうやって積むというのだろうか。さらには、それだけの重量とプラス悪路走行に耐えうるMTBとはどんなものなのか。

ソノ手の話はなんとなく嘘くさいというか、胡散臭い。貧乏自慢に似ている。

薄暗いうちにクーバーピディを発つ。朝焼けが紫色に染まり、美しかった。

なぜか「動物注意」という日本語の道路看板がある。そういえばノーザンテリトリーを走っているときも「牛に注意」という看板を見たことがあった。

走り始めてすぐに風はいつもの南東向きに変わってしまった。しかし微風だったので気にせず走る。

そのうち風は強くなってきた。90キロを7時間もかけて、ようやく休憩エリアIngomarに至る。ここには給水タンクがある。ここでキャンプしてもいいと思ったが、まだ正午だ。疲れていたが、寝るには早すぎるし暑すぎる。

日よけ付きベンチに先客がいた。僕にとって3人目となるプッシュバイカー(自転車旅行者)だ。嬉しい!

やあプッシュバイカー!元気かい?ペラペラペラ

どこから来たの?どこ行くの?ペラペラペラ

20代の東洋系の顔立ちの男性。日本人?と思ったが、テーブルのうえに広げている資料類がすべて英語だった。

そのうち彼が、ふと言った。「日本人ですか?」

あれれ〜、同胞相手に英会話していた鈍いオレたちなのだった。

【判断を誤り、危険な状態に】

疲れを忘れてつい話が弾み、長居してしまった。Ingomarレストエリアを発った頃には午後3時を回っていた。まあそれはいいとして、僕にとって深刻なのは一層パワーを増した強風だった。しかも、向かい風。

やばい。

気温は42度くらい、暑さの峠は越えたが、非常に強い向かい風が過酷だ。この季節、この地域では通常、風は南東に吹くという。Ingomarで会った彼はそれを知っていて、南から北へと北上するルートを選んだと言っていた。 つまり季節の風をつかまえて走るのだ。

それが賢い選択だ。僕は下調べが甘すぎる。

僕は季節の風に逆らっている。自然を味方に出来ていない。

給水タンクのあるBonBonレストエリアまで77km。日没には間に合わない。

レストエリアというのはパーキングエリアのことで、日よけのついたベンチ(周囲360度どこを探しても日陰はここにしかない)があり、場所によっては雨水タンクがある。300km無人地帯だけど100kmごとに水タンクがあるので命をつなぐことができる。キャンプにも適している。

Ingomarでは十分に休息したつもりだったけど、思った以上に疲れているようで、走り出しても体が思うように動かない。地図によれば35km先に小さなレストエリアがあるようだから、なんとかそこまで行こうとした。

でも辿り着けなかった。

あと2kmのところで過労で動けなくなってしまった。熱風と日差しを避けるために繁みをみつけて潜りこんだ。もう動けない。

どれくらいたっただろう。白人青年に起こされた。倒れているように見える僕をみつけて車を停めてくれたのだ。大丈夫。キャンプをするからといって別れたが、本当は精根尽き果てていた。しばらくは地面に伏せたまま土のうえをダニが歩いているのをボンヤリと見ていた。蝿がうるさいが追い払う気力もない。

ここで行き倒れるわけにはいかない。苛烈な向かい風にもう一度立ち向かう。残された力を振り絞って少し進んだが、すぐに漕げなくなって自転車を押して歩いた。やがて先ほど見つけられなかった35km地点の小さなレストエリアをみつけた。気温はいまだ40度。ドライヤーのような熱風が正面から噴きつける。実際よりも熱く感じる。これじゃまるでオーブンだ。

ベンチにもたれかかって水を飲んだ途端に、僕は気を失ってしまった。今おもえば、かなり危険な状態だったと思う。

死はすぐ近くにある。

小さなパーキング(レストエリア)にも写真のような日よけ風よけシェードがついたベンチがあることが多い

*****

僕は、眠ったようだ。

目が覚めたときには頭がガンガンした。激しい目まいがして、立ち上がれないので、呆然と座っていた。耳鳴りまでする。熱中症だ。

このまま死んでたまるか。生きるさ。リタイヤもしない。

ともかく水をたくさん飲み、ブドウ糖の塊を何個か食べた。点滴効果を期待したのだ。しばらくすると「食べなければ」と思う気持ちが生まれた。 豆の缶詰、コンデンスミルク、クラッカーなど、嘔吐しないよう少しずつ腹におさめた。

さらに、見渡す限りの平原で、隠れるところなんてなかったが、適当に座り込んで大便をした。通りがかったトラックがこちらを見ていたが気にならなかった。それよりも風が強くてペーパーが飛ばされるほうが問題だった。

大便をしたおかげで安心したのか冷静になれた。 飲んだ。食べた。排泄もした。生きる者がやらなければならないことは全てやった。とりあえず、もう少し休もう。もう一度居眠りをした。 少しずつ、生きる気力が戻ってくる。

日没のころになってようやく元気がでてきたようだ。熱風も収まった。

調べると、水は残り4リットルしかない。今すぐ飲み干したいくらいの量だったから、これではキャンプはできない。なんとか水のあるところまで行きたい。

レストエリアBonBonへ行こう。それしかないと思った。

そこは無人の砂漠のパーキングエリアにすぎないけど、そこにいけば雨水を貯めたタンクがある。 非常電話もある。何かあれば助けも呼べる。

間もなく日が沈む。最大の敵である太陽が傾けば大気の躍動は徐々に収まり風はやわらぐ。なんとかなるかもしれない。付きまとうハエも少なくなってきた。

やがて日が沈む。相変わらず頭がガンガン痛かったが、水とブドウ糖と食事のおかげで力が出た。少し風はあるけど熱風ではない。これなら何とかなる。

カンガルーをたくさん見かける。これからは野生の時間なのだ。

夜間は車の通行は極めて稀なので気にならない。それに車の強烈なヘッドライトのおかげで何キロも先から接近がわかるから都合が良かった。

真っ暗なハイウェイをゆっくり走る。もう暑くない。

夜11時頃、レストエリアBonBonに至る。出発から18時間、長い1日だった。

無事を祝って水をたらふく飲んだ。雨水タンクの水を。

きょう1日で14リットルの水を飲み干した。

テントは張らず、マットレスだけを敷いて寝た。さっきまでは大敵だった風が、こんどは心地よかった。

なんとか命を拾った。危険だったと思う。旅で死んでたまるか。明日はもっと慎重になるのだ。

雨水タンクには蛇口がついている

 


第五週目(5)

雨の降らない土地

赤い大地

ここでは水がいちばん大事・・・

砂漠を行く大陸縦断鉄道 The Gunnの貨物列車

わかりやすい看板「そこらへんじゅう穴があるから注意しろよ」

地上は暑すぎるから地下に家がある。クーバーピディにて

地下は涼しくて過ごしやすい。室温は25度くらい。

きょうも気温45℃。注目はここが日陰であること

3人目に出会ったチャリダーは日本人だった

Gとはグレンダンボの略。あと202km、今日中に着くかなぁ・・・

クーバーピディの日の出と「動物に注意」

 

続き 第六週へ


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