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オーストラリア 自転車の旅

そこは、灼熱地獄だった。

Stuart Highway 3080km 

オーストラリア大陸縦断 チャリの旅

2006年10月下旬〜12月中旬

 

19世紀、オーストラリア大陸内陸部は未踏の地で、内海があると考えられていました。

多くの探検隊がときに全滅するなど失敗を繰り返しながら踏査の挑戦が続きます。そしてついに、その未踏の大陸縦断に探検家、J・M・スチュアートが成功します。

スチュアートがラクダ隊で踏破したそのルートは、現在スチュアート・ハイウェイと呼ばれています。(「恐るべき空白」から)

暑さに耐えきれず、大陸縦断鉄道の線路下に埋設された土管に身を隠す私


 Stuart Highway 3080km 

 INDEX 目次

 TOP PAGE 旅の準備

 [1] 第一週 

 [2] 第二週 

 [3] 第三週

 [4] 第四週 

 [5] 第五週 

 [6] 第六週

 [7] 第七週 最終週 旅のおわり

 


第三週 タナミ砂漠 

アリススプリングへ(ノーザンテリトリー)

 

 

 

延々と地平線。 

第三週目(1)

灼熱地獄 エリオット〜テナントクリーク

今おもえば、この区間がいちばん暑いところだったように思う。昼間の気温が40度以下だったことなど1日だってなかった。おまけに進めば進むほどに乾燥が進み、ささやかな木陰すら得られない日が続いた。

タナミ砂漠は岩と赤い土と、1年にわずかな雨がふればそれで生きていけるという異常に生命力の強い潅木とわずかなブッシュで構成されていた。

わずかな草木はいちおうグリーンなのだが、近づいて触れてみると、おそろしく固くて刺々しいもので、瑞瑞しさのカケラもない。これで水分など含まれているのだろうかと疑問に思われる。言うまでもなくこれらの植物は毎日、40度以上の過酷な昼間に殺人的な直射日光を浴びても平気という変態的植物なのだ。

きょうも気温は正午を待たずに40度を超える。わずかでいいから日差しが陰ってほしいと、そればかり願う。いったい、いつになったら体がこの暑さに慣れてくるのだろうか。

出発して2週間がすぎ、3週目に入ると体がみるみる痩せて腹の周囲の肉が寂しくなった。それはそれで結構うれしいけれど、この暑さはどうにかならないだろうか。

10キロくらい痩せたんじゃないだろうか。それはそれで、けっこう怖いことだ。いくらなんでも病的だから。そんなに急激に痩せたら、体が参ってしまうんじゃないだろうか。手痛いしっぺ返しがあるような気がする。

Renner Splingsへ

朝5時起床、6時出発。日の出とともに走り出す。うまくいけば午後の灼熱を浴びるまえに目的地に辿り着けるだろうかと期待している。熱射病がこわいが、午前中の快適な時間をうまく味方につけることができれば今後の砂漠の道もなんとかなるだろうと思う。無理はしない。

午前11時半。気温が41度に達した。ちょっと上昇ペースが早い。給水ピッチをあげて体内温度調整をはかる。

50m前後の標高差を繰り返し登ったり下ったりする。つらい。平均標高が300mになる。かなり内陸なのに、標高はずいぶんと低い。

午後になると内陸特有の内陸風がはじまる。砂漠で熱せられた空気が正面からぶつかってくる。喉の奥だけでなく鼻の穴や眼球まで乾いてくる。ドライヤーみたいだ。息がつまる。

昼すぎ、予定より30分遅れてレナースプリングスのパブ(ロードハウス)が見えてきた。砂漠の中に、そこだけ樹木があり緑が生い茂っているから遠くからでもひと目でわかった。看板には「砂漠の奇跡、レナースプリングスへようこそ」と書かれている。まったくもって、よくこんなところにオアシスがあるものだと思った。奇跡だ。

ここは砂漠のなかポツンとある1軒宿というか1軒パブ。しかしまあ、よくこんな値段でと思えるほど何もかも高い。しかしながら灼熱の赤土のうえにテントをたてて目玉焼きが焼けそうな地面に体を横たえるような超人趣味はないから部屋を取る。8000円はあまりに高いが、どうしようもない。それが嫌ならこれから60km移動するか、灼熱の赤土にテントをたてなければいけない。牛乳1ℓ350円。せめてエアコン全開にするが室内は32度までしか下がらなかった。

Tenant Creekへ

テナントクリークはこのあたりでは最もマトモな町らしい。大きなスーパーがあるしバックパッカーもあるという。旅がはじまって1000kmに達するころ、そろそろ体はオーバーホールを求めていた。自転車もそろそろ整備しなければ、あっちこっちのネジやら何やらが狂い始めるころになっている。

頭のネジも狂い始めている。

灼熱の日中に重たいMTBのペダルを踏みながら考えることは、そうめんや冷やしうどん、ざるそばといった冷たい日本の食べ物のことやエアコンのきいた快適なホテルの部屋のことばかり。キーンと冷えたコーラや氷水のことを考えただけで目が回りそうだった。よく極限の旅をしていると性欲が増すといわれるが、ちょっとコレは極限すぎて性欲どころか女性に全く興味がもてなかった。ここでは美しくセクシーな女性よりも1杯の氷水のほうがはるかに有難い。

テナントクリークには氷水があるぞ。

コーラもあるぞ。

ちゃんとエアコンが効く部屋を借りよう。そうだ、キッチン付きのアパートメントがいいな。食うぞ自炊するぞ。

肉を食うぞ。スイカも食いたい。うどんも食いたい。トマトも、りんごジュースもおなかいっぱい飲みたい。

もう、そればかり考えて毎日ペダルを踏んだのだ。もちろんテナントクリークは、これらの全ての願いを充分に満たしてくれた。

テナントクリークこそ砂漠の奇跡。心のオアシスだった。


第三週目(2)

寂しさと切なさ Banka Bankaの夜

日本を出発して17日目、僕はタナミ砂漠にいる。最後に日本語の会話をしたのは2週間前で、そろそろ寂しさが募るころだろうか。

ダーウィン以降、ボーダフォン携帯電話は目覚まし時計と化している。メールも電話も一切着信しない。僕はただ、大陸を南北に貫く1本のハイウェイでのみ、なんとか外部と繋がりを保っている。

1日のうち人と言葉を交わすのは、辿り着いた1軒宿で部屋の交渉をするときに限られる。それ以外はただペダルを踏んでいるだけだ。

Banka Bankaはテナントクリークの北90kmに位置する個人所有のオアシス地で、農場主の家の敷地がキャンプ場として利用されている。周囲の砂漠のなかにここだけ緑が生い茂っていた。名称を「Banka Banka Station」といい、この場合のStationとは、大農場の中心という意味である。

周囲の砂漠では牛が放牧されている。砂漠に牛。牛もなかなかタイヘンだ。

個人の私有だし、お世辞にも大きく立派なキャンプ場というわけでもないのだが、けっこう有名なようで、なんとなく「ナントカ青少年野営場」みたいな印象がある。シャワートイレ棟からもキッチン棟からも「共同生活」「みんなで力をあわせて」みたいな標語を感じる。

でも決して悪くない。

ここはどうやら本気で大農場の中心のようで、夕方になるとカウボーイの1大キャラバン隊がやってきた。20名くらいのグループで、炊事と水回りをつかさどるでっかいキャンピングカーのようなトレーラーバスを中心に数台のキャンピングカーとピックアップトラックと犬たちで構成されていた。たちまちキャンプ場はカウボーイたちの一団で賑やかになった。

つづいて「アドベンチャーツアーズ」と書かれた4WDバスがやってきた。こちらはキャンプをしながらオーストラリアをディープにまわるアドベンチャーな少人数ツアーの一団らしい。なかなか面白そうな企画だと思った。

このキャンプ場のなかで、ひとり旅は僕だけ。きょうもひとりぼっち。

夕食をおえたころ、アドベンチャーツアーの一団から韓国人の青年2人が僕のテントに遊びにきた。自分たちと同じアジア人が自転車でやってきて端っこのにポツンとテントを張っていることに興味をもったらしい。いろいろ話しているうちに、アドベンチャーツアーには何人か日本人がいるということがわかった。

女の子が3人と、男の子が1人。みんなそれぞれ一人旅で、偶然このツアーで知り合いになったという。どこから来たの?とか、あそこはどうだった?とか、そういう他愛のない会話だけど、久しぶりの日本語に胸が熱くなった。

久しぶりに日本語で話しをして僕はちょっと興奮したらしい。なかなか眠れなくって、夜空に南十字星を探した。

そして、その逆方向をみた。みえるはずのない北極星の位置を探した。

この、ず〜っと先には、「日本」がある。


第三週目(3)

行動不能。 故障、破損、予備部品全滅・・・。

暑さというのは、人体だけでなく思いのほか装備にも影響をあたえる。

自転車は単純な構造をした乗り物で、言うまでもなく人力で動く。特別なハイテクノロジーも用いられていないから、あまり故障も起こらないと考えるのは尚早なのだ。

ここで難敵となるのはやはり、暑さ。

テナントクリークでは人間だけでなく自転車のメンテナンスを行った。空路を5回も乗り継ぎ、お世辞にも丁寧とはいえない積み替えを経て、さらには重たい荷物と重たい人間を1000kmも運搬してきたわけだから、この単純な機械はそろそろガタがくる頃合いだったことは間違いない。テナントクリーク滞在中にネジやボルト類の締め直し、ギアの調整を行った。砂で汚れたチェーンは洗浄して新しい油を馴染ませ、波打つようにいびつに回っていたタイヤはきれいに丸く回転するようスポークの調整を行い、最後に空気圧の再調整をした。

ところが、直後から頻繁にパンクするようになってしまった。タイヤが釘などを踏んで穴が開いたわけではない。暑さのために破裂する。これをバーストといい、車でもよく起こる。当然、夏に多い。

はじめのうちは「仕方ないなあ」というカンジでてきぱき作業を行っていたのだが、あまりに頻繁なので不安になってくる。たくさん持ってきていたパンク修理接着剤や補修パッチをどんどん消費する。タイヤチューブには無数の亀裂が走っており、急速に劣化が進んでいることを示していた。

亀裂は広がって穴があき、空気が漏れる。穴を塞げば、あらたな亀裂が広がり始めて空気が漏れ出す。 堂々巡りなのだ。しかしながら空気圧を下げれば、タイヤはぺしゃんこになり、ペダルは絶望的に重たくなった。

どうしようもなかった。

しかし、前方にも後方にも自転車屋がある町はない。300km四方に町らしい町はない。耐えるしかなかった。

タイヤチューブは新品の予備をもってきておりローテーションして使用していたが、予備も同時に急速に劣化が進んだ。

そのうち、30分ごとにパンクするようになった。背中に嫌な汗が流れる。

やばい。勘というか、もはや確信だ。

オーストラリア大陸のちょうど真ん中にある都市、アリススプリングスの手前300kmの位置のタナミ砂漠の真ん中で、恐れていた通り、とうとう3本のタイヤチューブはすべて劣化してダメになってしまった。たくさん持っていたパンク修理剤も補修パッチも使い果たした。この頃になると僕の体はだいぶ暑さに慣れてきて40度くらいの炎天下でも自転車を漕ぎ続けることに耐えられるようになっていたし、体重も10kg減って自転車にかかる負担も10kg軽減されていたはずだったが、もう遅かった。

タイヤが駄目になったということは即ち、旅の断念を意味する。努力でどうなるものでもない。足がなければ歩けないのと同じことで、自転車からタイヤを外せば、ただのお荷物以外の何物でもない。

最後の修理をおえて30分もしないうちにタイヤの空気圧はみるみる下がったが、もうどうすることもできなかった。すべてのチューブは亀裂だらけでどうしようもなかった。それでもタイヤが完全にペシャンコになる一歩手前で空気漏れは止まった。手で押したらフニュフニュするけど、どうにか100%ペシャンコだけは免れたらしい。

仕方ないのでフニャタイヤでよろよろ走る。時速6〜7kmくらいだから早歩き程度の速度だけどまだ動くだけマシだ。よろよろ走りながら「どうすればこの難局を乗り切れるか」について考えた。タイヤのなかのチューブを外してそこにタオルやTシャツを詰め込んでみてはどうかなど、いくつかのアイデアが浮かんだ。とりあえず少しずつでも前進できるならば、あとは水の補給さえできれば何とかなるだろう。とりあえず300km先のアリススプリングに到着できればいい。少しずつ、しかしながら確実に前進する。昔の探検隊と同じ方法だ。可能性はゼロではないと思えた。

今度は前輪のブレーキがキィキィと鳴き始めた。タイヤが変形しているわけだから、車輪の回転がおかしくなってどこかが擦れているのだろう。

ブレーキ本体に一発蹴りをいれたら治るかな?と思って(往々にしてそういうふうにすれば良くなることがあるのだ。古いテレビのように)走りながら左足でディスクブレーキ目がけて蹴りをいれた。途端に左足が車輪に突き刺さり、そのまま自転車ごと僕はハイウェイのうえで前転して投げ飛ばされてしまった。

前方へ投げられるように、吹っ飛んだ。しまった!足の甲を折ったと本気で思った。でも、足は折れていなかった。ホッと一安心。

でも、ちゃ〜んと別の場所が折れていたのだ。体ではなく。

一安心もつかの間、ひっくり返った自転車に駆け寄る。前輪をチェックする。ひと目でそれとわかるくらい、前輪が変形している。そして、車輪を構成する骨にあたる、傘の骨のような部分をスポークというが、それが何本も折れているではないか。

僕が持参した予備のスポークより数が多い。しかも、変形があまりにひどすぎる。もう直せないかもしれない。

あああああぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・・・・・・。

終わった。お手上げだ。

 

どうしよう。ここは砂漠の真ん中なのだ。

水はあと5リットルくらいしか残ってない。


第三週目(4)

タナミ砂漠の真っ只中で 

いちおう修理に取りかかる。何もしないよりはマシだから。

自転車をひっくり返してタイヤを回しながらスポーク調整をする。折れたスポークは仕方ないから放置するしかない。それでも、なんとなく走れそうなくらいには丸さを取り戻した。やってみるものだ。

そんなことしている間にも太陽は高度をあげ、気温がどんどん上昇を続ける。

相変わらずタイヤはダメだし変形もひどいけど、とりあえず走ってみよう。それしかないじゃないか。南へ向おう、可能な限り。

僕はつとめて冷静に自分の置かれている状況の把握につとめた。のんびりスポークの締め直しなどしていると、落ち着いて物事を考えることができた。なんとかなるんじゃないか。そんな気がするのだ。

クルクルとスポークを締めたり緩めたり、回しながらいろいろ考える。

とりあえず次のパブまでは行けるだろう。次のバロークリークは町ではないから工具もないし自転車屋もないけどパブがある。水も手に入るし、食い物もある。それに深夜に大陸縦断のバスが通りがかるから、それに乗ればアリススプリングスの町まで行ける。

あと数十キロ走ればいい。いよいよ走れなくなれば、自転車を押して歩けばいいじゃないか。簡単なことだ。いよいよ困ったことになれば、通りがかったロードトレインをヒッチハイクしよう。明け方までにはまだ12時間以上あるから。

そう決めたら元気がでてきた。

自転車も、なんとか形になったような気がした。いちおう車輪が回転する。ブレーキは相変わらずおかしいので、ワイヤを緩めて開放した。

さあ、行こう。

キイィィィコ、キィィィコ・・・。惨めな自転車が再び動き出した。

タナミ砂漠の太陽で焼かれて赤茶けた道を、僕は南へ向かう。なんとかなるような気がしている。ボクは生まれつき楽観的だから。

***********

ガタガタでタイヤがぺしゃんこのミジメなMTBをキィキィ軋ませながらも、せっせとペダルを漕いだ。

ありがたいことに、少し薄曇気味。気温は40度止まり。水の消費も抑えられている。今がチャンスだ。

90km走る。思ったよりも早く、バロークリークが見えてきた。これでなんとかなる。ほっとした。

思わずペダルを思い切り踏む。途端に前輪がグラッと揺らいだ。いかんいかん、タイヤがペシャンコなのだ。スピードをあげるとグニャリとなってしまうのだ。

砂地の道では押して歩いた。

バロークリーク。人口0人。パブとガソリンスタンド、売店を兼ねたロードハウスが1軒あるだけ。いわゆるハイウェイの補給中継地。周囲は砂漠。ただ、砂漠とはいうものの私有地になっていて、家畜が放されている。たまに、「ええええ!」とのけぞるような場所に牛が歩いていたりして驚かされる。牛もなかなかタイヘンなのだ。

バロークリークには1日1往復、大陸縦断バスが立ち寄る。こういうこともあろうかと思って出発前にグレイハウンドパイオニア(長距離バス会社)の時刻表をダウンロードして印刷したものをロンリープラネットに貼ってきてあるのだ。

南へ向うバスは明け方4時ごろにここを通る。これに乗ってアリススプリングまで行こう。自転車は分解して「輪行バッグ」に収納すれば手荷物扱いになる。バイクや車の旅だと万一の場合は車体を放棄しなければならないが、自転車の場合は持って帰ることができる。

バックパックと同じだ。このフットワークがいい。その気があれば、世界中どこでもいける。道さえあれば、どこまでも。


第三週目(5)

砂漠の旅人にとって癒しとは?

癒しとは?自分の写真を撮ること。(目が虚ろ)

癒しとは?とスイカをおなかいっぱい。 テナントクリークにて

癒しとは?うどん。(焼きうどん しょうゆ味) テナントクリークにて

癒しとは?全力で押してみること。 デビルズマーブルにて

癒しとは?「タンクあったー!!」

癒しとは?おもしろい看板。「注意:この先、牛が跳ねています」

癒しとは?100kmごとに冷たい水3ドル。WauchopeのPub

そして癒しとは、ゴールが少しずつ確実に近づくこと。

 

続き 第四週へ


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