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2011年11月7日(月)

いちごをさがせ!

 

きょう旭川のイオン(イオン旭川西ショッピングセンター)に行ってきました。

たぶん、道北地方ではいちばん大きなスーパーだと思うのですが・・・。

 

やっぱりイチゴは、ありませんでした。

 

なんだかショックだな〜。

 

美瑛の町にも観光客は見当たらず、畑の収穫作業も山場をおえて、

いろんなところが寂しくなってきました。

 

ショッピングセンターはクリスマスムード高まり、山には雪が・・・。

と、言いたいところなんですが、

 

山の雪、少なっ!

 

道を行く地元民の車のほとんどはスタッドレスに履き替えたようですが、真新しいスタッドレスタイヤはすり減る一方で・・・。

 

カラマツの紅葉もほぼ終わり、

早く冬こいこい。

 

さて。これから7週間、本格的な冬山ガイド・トレーニングを開始します。

車のタイヤを冬タイヤに履き替えたら、

貸自転車屋から、本業の冬山山岳プロガイドへの切り替え時期なんです。

 

いったん真剣モードに切り替わったら、しばらくこの日記も閑散としますが、ふだんはNo〜天気なボクにしては珍しく、わりと本気かつ元気にやってます。

1年のうちこの時期くらいはマジメにやらなきゃ、ですネ。

 

クリスマスにお会いしましょう!

 

とか言いながら、たぶんもう1回くらいは日記書くかも、ですけどね!

 


2011年11月4日(金)

いちご大人買い。

 

先日は、奥さんの誕生日でした。

 

誕生日を迎えた本人よりも、むしろ娘たちのほうが浮かれています。

 

そんな家族のために、ケーキを作ろうと思いました。

みんな大好き、大きなイチゴのショートケーキ。

 

やっぱ、ケーキといえば、イチゴでしょう!

 

しかし、すぐに困ったことに。

 

というのも、地元美瑛のスーパーに、いちごを売っていないのです。

旭川の大きなスーパーにいけばたぶん売っているんだと思います。

でも、美瑛には、ないんです。

 

イチゴがないなんて!

まさか!イチゴが!

 

思い当たることがありました。

 

この3月まで、北海道で売られているイチゴの多くは、産地が宮城県と福島県でした。なかでも特に多数を占めていたのが、宮城県の「仙台いちご」です。

 

宮城県亘理町、宮城県山元町が主要産地でした。

 

あの津波で、その多くが壊滅しました。

北海道のスーパーマーケット。

果物コーナーが、少し寂しくなりました。

 

残念ながら今年はイチゴのショートケーキを作ることができず、

かわりにレモンケーキと、マドレーヌを焼きました。

 

亘理(わたり)のいちご。

 

震災1ヶ月後の宮城県亘理町。

僕たち災害ボランティアが派遣された現場のいくつかは、いちご農家でした。

でも、

その時点ではほとんどの方が、いちご作りを諦めたかのような言葉を言っておられました。

 

いやね。

もう、ほんとうに、メチャメチャでしたから。

地平線も水平線もあったもんじゃない。

 

あまりに凄惨だったので、僕は偽善者にすらなれなかった。

気のきいた言葉なんか出ないんですよ、そういうとき。

ただただ、何かに取り憑かれたかのように働いた日々でした。

 

僕たちはいったい何に腹を立てていたんでしょう。

 

11月の落葉松の紅葉を眺めながら、ふとそんなことを思い出しました。

現実離れしすぎていて、遠い昔のような、つい昨日のような、

不思議な記憶です。

 

もうすぐ冬。

 

クリスマス頃にあわせて再び、商品棚にはイチゴが並べられることでしょう。

 

福岡など西日本の産地からやってくる大粒のイチゴはクリスマスの定番です。

 

でもね。

 

来年か、その次の年か、

奥さんの誕生日には仙台イチゴをふんだんに使って、

でっか〜いイチゴショートケーキを、作りたい。

 

イチゴがたくさん!

たくさん!たくさん!

イチゴの量が多ければ多いほど、子供たちは喜びますよね。

イチゴのあるところ、笑顔があり、幸せがある。

 

「きょうはイチゴ大盛り!」

ね?嬉しいでしょ?

 

いつかふたたび、僕らの町のスーパーマーケットの商品棚に、

以前のように、ごく当たり前のように、

「仙台いちご」、亘理や山元のいちごが並ぶこと。

おなじみの、ピンク色の箱が並べられる日を、

その日を、楽しみにしています。

 

いつまでも待ちます。

 

ああ、みなさん!

そのときは、その日が来たら、

みんなで、亘理のいちごを大人買いしようじゃあ、ありませんか!

 

オトコは黙って亘理のいちごを大人買い。

 

おお〜、カッコイイ・・・。

これ絶対、流行るでしょ!

 

幸せを呼ぶアイテムですよ。

 

 


2011年11月1日(火)

すき焼きに、お麩。

 

みなさんは、「すき焼き」に「お麩」を入れるだろうか?

聞けば、関西風はお麩を入れるという。
聞けば、関東風はお麩を入れないという。

しかし、実体験は全然違っていた。
関東出身の純粋な関東人の知人は、すき焼きにお麩をいれた。

ウチの奥さんは、純潔種の四国讃岐の人で、すき焼きにお麩をいれる。

もちろんうどんも入れる。
影響を受けたであろう義母は、徳島県と香川県の県境に近い山村の出身だ。義母は、あまりうどんに興味がない。でも讃岐の海辺の町で育った義父も、讃岐高松の城下で育った実父も、その息子であるオレも、うどんで出来ている。

おっと話が逸れた。うどんの話になると長いからやめよう。

奥さん実家は純粋な讃岐の人で、すき焼きにはお麩を入れる。
オレは土佐と讃岐の雑種で、すき焼きにはお麩をいれない。
実父は純粋な讃岐高松の人で、すき焼きにはお麩をいれない。
実母は純粋な土佐高知の人で、すき焼きにはお麩をいれない。

土佐の母の実家。祖父がまだ元気だったころ、すき焼きは家長たる祖父が作るものだった。
身長180cmもある大男の祖父自身がまず自ら菜箸を手に肉を焼く。砂糖をまぶし、醤油をジャーツとかけて醤油の焼ける香ばしい香りが立ち上ってきたところで子供たちの皿にほい、ほいと言いながら肉を放り込んでいった。

お麩は入れなかった。祖父は土佐の中村の出身である。

学生のころ、宝塚(兵庫県)で教授を囲んで座敷宴会をした。
武庫川に張り出した料亭がいくつか並んでいて、大正時代のような趣だった。一見さんお断りだけど、教授のおかげで座敷にあがることができた。

今おもえば貴重な体験だ。
残念だけど、あの大正時代の街並みはバブルの再開発で間もなく消えてなくなった。宝塚歌劇に近い、阪急・国鉄の駅周辺の再開発だった。

料亭のお母さん(お姉さん)は、まず長ネギを敷き、そのうえに見事なサシの入った肉を敷き、砂糖をまぶして一気に焼いた。祖父の作り方に似ていたが、長ネギの香りと相まって感動的にうまいすき焼きになった。お麩は入らなかった。

すき焼きを食いながら、芸妓さんのお琴を聞き、舞を眺めた。
みな母親くらいの年齢の人たちだった。所作が見事だった。
いま思えば最後の昭和の灯だった。

昭和の終焉はバブルとともにやってきた。バブルが昭和を容赦なく破壊していった。俺のなかの昭和は記憶のなかにしか残されていない。みんな壊されてしまった。そのバブルも自ら勝手に壊れていって、無秩序で不摂生で、恥ずかしい時代になってしまった。

何も、残ってないじゃないか。残っているのは反省だ。
返せよ昭和を。

いやいや。ノスタルジーじゃない。すき焼きとお麩の関係についてだった。

関西の別のお店では、お麩は入らなかった。
京都の名店では・・・。いやいや行ったことない。

よくわからない。
地方色じゃないのかもしれない。

俺は、すき焼きにお麩派ではなかったが、今じゃお麩を入れたい。
24歳で結婚した。ユミちゃん(奥さん)の作ったすき焼きにお麩が入ってたのが初体験だ。驚愕したし反発もしたけれど、たちまちとりこになった。愛の力はすごいのだ。愛は大袈裟なのだ。
こうして俺は体重60kから一気に現在へと成長の階段を駆けのぼる。愛はパンをおいしく発酵させ、お麩をおいしく膨らませる。オレのお腹も大きく膨らむ。心も丸くなる。

お麩がウマウマの汁を吸い、大きく膨らむ。もっと肉を食いたい感をうまくカバーしてくれるように思う。庶民派の、貴重な脇役だ。すき焼き界の大滝秀治だ。

ところで。
北海道に引っ越してきた前後のころ、お肉売り場には牛肉コーナーが僅かしかなくて、選択肢はなかった。すき焼き肉といえば豚肉だった。ところが今ではスーパーの肉売り場に並ぶすき焼き肉は牛肉にかわりつつある。ここ15年の変化だ。

我が家では、すき焼きは牛肉だけど、肉じゃがは豚肉で作るようになった。なんだかそのほうがウマイような気がするのだ。

食文化は変わりゆく。

みなさんのお家では、すき焼きにお麩は入れるだろうか?
かわったものを入れたりするだろうか?

まさか、すき焼きにあんこ餅を入れたりとかは、しないよね?

 


2011年10月28日(金)

日本に国際スタンダード(欧米水準)は定着するのか!?

 

自転車の車道走行の徹底について、世間がにわかに騒がしくなってきました。

 

???

 

当たり前のことが今日までうやむやにされて、ついに本格的に周知されることになった、という印象です。

 

これまで現状は、ニッポンの交通マナーは総じてアジア的でした。

ニッポンは先進国だ、欧米並みだと言われていますが、憧れの範疇を出ず、実際の公共マナーはきわめてアジア的だと思います。

 

さて。

自転車は 車道を走る。もうずいぶん前から欧米では当たり前のことです。

ヘルメットを被って車道の端を走る。

何も特別なことではありません。

 

ニュージーランドなど、右折レーンをつかって右折したりするんです。

(ちょっと怖いです。 あ、Okというだけで強制ルールじゃないです)

 

ただ、ひつこいようですが、ニッポンは、アジアです。

道路は車のもの。という考えがしみついています。

道路(車道)は自転車を含むすべての車両でシェアしているという考えをもつのは、よほど教養のある方か、海外生活の長かった人だけでしょう。

 

路上駐車のやられ具合もアジア的。

欧米には程遠い現実。

自転車に車道を走ってくださいと言われても・・・。

 

道路は車のもの。

 

オートバイは邪魔。

 

自転車は歩道を走ってろ。

 

無意識のうちに常識になってしまったアジア的ニッポンの道路事情。

明治以来、血のにじむような努力で欧米化をすすめて国の繁栄を築こうとしてきたニッポンですが、公共性など意識はなかなか追いついていない現状。

 

しょうがないです。アジアなんですから。

 

TPPに続いて、道路事情にも黒船到来?

 

ニッポン人は欧米スタンダードに意識変革できるんでしょうか?

 

試される大地、日本。

 

でもね。

 

そんなに無理しなくていいんじゃないかな?なんて思うんです。

 


2011年10月14日(金)

最後のひまわり

 

 

きょうの十勝岳です。

標高1900〜2100m付近の様子。

 

きたきたきたきた!

 

 

きょうの美馬牛小学校。それから、ひまわり畑。

 

夏のような、冬のような!?

 


2011年10月13日(木)

雪の季節がやってくる!

 

今朝、美瑛市街地の道路に2箇所、雪のかたまりが転がっていました。

 

???

 

はは〜ん。

 

どうやら山から下りてきた車の落し物らしい。

山は雪だったようです。

 

 

 

吹上温泉にきてみると、日陰に雪が残っていました。

 

 

紅葉がきれいでした。

美馬牛では雪虫が飛んでいました。

 

写真は俵真布林道近くにて

 


2011年10月10日(月)体育の日

移住、それから職業

 

秋が深まる美瑛です。

 

木々が物凄い勢いで葉を落としています。

ナナカマドも赤く染まり、早朝には0℃近くまで冷え込み、今年も冬がやってこようとしています。

 

毎年たくさんの旅人がやってくる美瑛ですが、移住したいという夢を持つ方も少なくないと思います。しかし、ほとんどの方が次の言葉として繋ぐのは、冬はどうしたらいいのか。それから、仕事はあるのか。

 

冬については、何も心配することはありません。期待どおり雪は多くて寒いです。それ以上でもそれ以下でもなく私たちは至極平和に過ごしています。

 

ただ、仕事だけは、誰かにどうにかしてもらうものではありません。

 

それぞれのスキルと努力で切り拓いていくものだと思います。

就職はとても難しく、立派な大学を出ていたとしても、正社員の道は険しいでしょう。北海道での就職に学歴は二の次です。本気でガツンと勝負するしかありません。

 

自分はかつて、ロッジの経営と美瑛移住を夢みていました。

しかしいま、貸自転車屋をやっています。

 

たまたま自分が現役のチャリダーであったことと、少し英語が話せるようになったこと。この2つの偶然が後押しをして、気がつけばレンタサイクル屋になっていました。最初のプランにはなかったことです。

 

ただし10年後も安泰ということはないと確信しています。

 

ロッジを経営するはずだったボクですが、開業時のガイドの山小屋はロッジでも貸自転車屋でもなく、アウトドアガイドオフィスというものでした。

時はアウトドアブームで、僕たちはカヌーツアーやトレッキングツアーを行うガイド会社でした。

それから時代の流れとともに変化して今のようになりました。今はたまたま自転車ブームに乗ったように見えますが、ブームのあとには決まって長い停滞が待っていますから、それは流行遅れともいいますが、このまま貸自転車屋を続けていくことはできないでしょう。

 

10年前に貸自転車屋ではなかったように、これから10年後のガイドの山小屋は貸自転車屋ではない。それはきっと間違いないと思います。

 

じゃあ何なのか。それはまだはっきりとはわかりませんが、その頃に皆さんが必要としている何かをやっているんだと思います。

 

ロッジの可能性もあります。初心に戻るとしたら、それもアリでしょう。

 

ニュージーランドによく見られる「バックパッカーズ」、それからニセコの外国資本がせっせと建設を進めている「アパートメント・ロッジ」は、これからの北海道に必要とされる滞在の形だと思っていますので、誰もやらないのならば自分がやる可能性はあります。現に、もう15年もアイデアを温め続けていますから。

 

移住したいけど仕事がない。

しかし見つからない。

 

いっそ独立を目指す。

 

宿、カフェ、写真家、農業、酪農、木工や家具の職人・・・。

 

人の数だけアイデアがあり、選択肢はいろいろあると思います。

それぞれに波乱万丈の物語が待ち構えていることでしょう。

うまくいくもいかないも自分次第ですし、きっと面白おかしい人生が待っていることと思います。

 

いろいろ大変でしょうけど、何をやっても不幸な人生が待っているということはないと思います。

私たちのまわりを見回してみても、面白いくらいに「成功しているひと」に心当たりはありませんが(笑)、

だからといって不幸なひともそう多くはありません。

 

美瑛に移住したい。

もし、そう思うのならば、あとはひたすら突き進むべし。

 

未来は最初から決まっているものではなく、切り拓いていくものだと思います。

 

ただし。

 

よそ者がフラリとやってきて、のんびりおしゃれな田舎暮らし。

そんなことができるほど北海道は甘くはありません。

美瑛もまた同じ。

 

どんなに苦しくても逃げ出さない覚悟は、必要かと思います。

 

 


2011年10月7日(金)

冬の準備と草食系

 

十勝岳連峰の山々はすっかり雪景色となりました。

ガイドの山小屋の夏季営業もあとわずか。

 

そろそろ冬の準備をすすめる季節になりました。

 

すでにHPの表紙が冬用に模様替えしたことにお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。気持ちはすでに冬!そわそわ、そわそわ・・・。

 

冬季に向けたトレーニングの準備も始めました。

12月下旬のシーズン始めまでに余分なお肉を10k以上そぎ落とし、僕自身も全身頭の先から足の先まで完全に変身しなければならないわけです。

 

まっ、毎年やっていることなので、今年もなんとかなるでしょう。

 

ガイドの山小屋は夏と冬ではほぼ完全に違うお店になります。

夏は貸自転車屋さん。

冬はバックカントリースキーガイド。毎日、粉雪もとめて十勝連峰に出かけます。

 

受付カウンターの位置もかわります。

夏は、靴を脱ぐ必要がないように、外向けの位置にカウンターがありますが、

冬は、ロッジ形式で、暖炉のある室内に受付が移動します。

 

つまり冬は、仲の良い友人を自宅のリビングに招く、という気分なのです。

 

お客さんもまるで違った方たちになります。

95%以上が入れ替わります。

 

冬のお客さんといえば・・・。

 

ガイドの山小屋のお客さん男子チームは、圧倒的に草食系が多い!!

ナゼなんでしょう?

 

婚活関係のトコロに登録しようものならば何十倍もの倍率がついてしまうような男たちが多いように思います。

それぞれの職場に戻れば、ニッポンの第一線で活躍するデキる男たち(たぶん)が、粉雪にまみれて「フォォォォォ!!」などど叫んでいます。異性にはほとんど関心を示しませんが、雪質には敏感。

 

デキる男であればあるほどに、遊びにも集中力が半端ないように感じます。

 

実にイイ!

 

実に気持ちのいい人たちです。

 

もちろん、お客さんの半分は女性です。

女性も、そうですねえ・・・なぜか・・・やはり、

草食系女子が圧倒的に多いように思います。

 

やっぱり、異性にまるで関心がない。

 

清楚系草食系女子のみなさん、鼻水が垂れるのを気にすることもなく、全力で粉雪に飛び込んでいく。

そんなガイドの山小屋女子チームです。

 

冬のガイドの山小屋には、異性に関心のない方たちが集まってくるんだろうか?

 

なぜだー????

 

理由は、僕のほうがむしろ教えてほしいくらいだな。うん。

 

面白いこと目白押しの季節が、すぐ間近までやってきました。

今シーズンはどんな出来事が待っているのでしょうか??

 


2011年9月28日(水)

土佐の男と北海道のカニ

 

(ご注意:きょうは長文ですよ!)

 

 

今から14、5年前。美瑛に移住してくる前の2〜3年の間、僕は高知県で営林署関係の仕事をしていました。

 

四万十川流域、仁淀川水系、石鎚山系、魚梁瀬地区などが主な担当域でした。

 

それは30年前に亡くなった母方の祖父が残した遺業で、その当時もなお、祖父の部下だった屈強の土佐の男たちが多数残っていました。平均年齢は57歳といったところです。

 

四国山地の奥深くで大木を相手にチェンソーを振るい、倒した原木を引き出して土場(どば)まで運び、自ら重機を操ってトラックに積み、苔ついたままの大木を泥だらけのトラックで、場合によっては遠く大阪・名古屋・東京の市場まで運搬する。そんな仕事をする荒 くれた山男たちでした。

 

それはまるで、現代に蘇った長宗我部の荒武者の姿そのものだったと、今でも強く思います。

 

「ミウラのオッサンの子(正しくは孫)が戻ってきたで!」

ということで僕はたいそう可愛がられ、屈強の山男たちは僕の取ってきた仕事をバリバリこなしてくれました。

 

運行管理者、つまり現場の旗振り役だったボクは現場の割り振り、伐り出した原木の運搬指示などという仕事をしていましたが、年に一度の社員旅行の企画、というのもまた僕の仕事でした。

 

ある年の春、僕は北海道に行きたい想いが募って土佐の男たちを北海道に連れていくことにしました。

 

その日の夕食はススキノで、90分3大カニ食べ放題飲み放題でした。

エビカニ合戦、という名前のお店だったと記憶しています。確かススキノの東急ホテルの前にありました。今でもお店はあるでしょうか。

 

土佐の男たちに思う存分に北海道のカニを食べてもらいたいと思って企画したものでした。

 

そして当日ー

いざ、宴が始まりました。

 

土佐の男たちイン、北海道!

長宗我部の末裔たち、荒くれ山男たち存分にカニを食う!

 

興奮の時間が始まりました!

 

!!!

 

男たちの宴はまず、うがいの儀式から始まったのです。

 

土佐の男たちはビールのことを、うがいといいます。

酒を飲むまえの準備というか、土佐ではビールは口をゆすぐ程度にすぎないのです。

その日もいつものように、水を飲むようにビールを流し込み、カニを眺めてはドヤドヤ笑うばかりで手に取ろうとしない。

 

嫌な予感・・・。

 

そして的中。

 

「お姉さあん。酒わぁ、ないがかね?」

「うんとぉ持ってきとうせ」

 

「たまるか、こんなちんまいお猪口はいかんぜよ」

「湯のみはないがかね湯のみは!」

 

い、いかんぜよ。これはいかんぜよ。これはいかんぜよ!

僕はうろたえるばかり。しかしこうなればもう止まりません。

 

てゆうか、止めようがない。

 

まもなく北海道の日本酒「高砂」が大特利で大量に運ばれ、土佐ではさんざん見慣れた光景が目の前で展開されていきます。

 

おいおい、ここは北海道、ススキノなんだけどぉ!(心の叫び)

 

やがて土佐の男たちは両手に徳利を持っては席を立ちあがり、あちこちで返杯を強要し始めます。

ガハハと笑い、コップや徳利をひっくり返しては笑い、飲み、また笑い。

そこらへんじゅうで阿鼻叫喚の状況が繰り広げられていくのです。

 

3大カニはそのまま。沈黙。

 

誰も手をつけようとしない。

 

男たちがめいめい自慢のカニの爪を握りしめて

「タラバと毛ガニで今こそ天下分け目の決戦ぜよ!」

 

エイエイ、オゥゥゥゥ!!

とか、雄たけびとか。

 

雌雄を決するカニの早食い競争とか。

負けたらカニのハサミで切腹とか。

 

そういうこともなく。

 

やがて

 

おまんワシの酒が飲めんがかぁ!?

 

幹事の僕のコップにも酒が容赦なく注がれます。

返杯し、さらに注がれ、さらに返杯し・・・。

 

わああああ、カニが、カニが、カニがぁぁぁぁ・・・。

 

90分後、土佐のオッサンたちはいつものようにしたたかに酔っ払い、土佐弁で大声でわめきながらススキノのネオンに消えていきました。

 

ええもちろん!

目の前の大皿に盛られた3大カニにはほとんど手をつけることなく。

90分さんざん日本酒を飲みつづけ。

 

* * * * * * * * * * 

 

土佐には、「皿鉢(さわち)料理」という豪快な宴会料理があります。

観賞用のような有田焼の大皿いっぱいに土佐の魚介はじめうまいものを山盛に盛り付けた、いかにも土佐らしい、豪快な郷土料理です。

 

皿鉢料理は観光用ではなく、ごく一般的に宴席に登場する定番料理ですが、酒をこよなく愛する土佐の男たちにとって皿鉢料理とは、せいぜい箸休め程度に過ぎず、ほとんど箸をつけることなく宴が終了することも珍しくはありません。

 

坂本龍馬も中岡慎太郎も後藤象二郎も、土佐の皿鉢料理を年に何度も堪能したはずです。

高知において皿鉢は宴席には欠かせないものです。

でも、どうしても大量に残されてしまう。

 

じゃあ残された手つかずの皿鉢料理はどうなるのか?

 

なんという、もったいない・・・。

全然エコじゃないではないか!

けしからん!

実にけしからん!

 

と、皆さんはお思いではないでしょうか。

 

チッチッチ。

それが違うんですね。

 

土佐の男たちは言います。

皿鉢ばあ、女子供に食わせりゃあええがじゃ。

 

おっと男尊女卑!

それも違うんです。

 

男たちが去ったあと、のこされた皿鉢料理には女たちが群がります。

せっせと分けてはそれぞれの家に持って帰るのです。

あるいは飲み屋さんならば、お開きになった宴会場で女中さんが手際よく皿鉢を容器に分けていき、酔っ払って帳場やトイレの周辺で騒いでいる男たちにチャッチャッと素早く手土産として持たせるのです。

 

男たちはその手土産をぶらさげて夜の町に消えていくのです。

 

さて、男たちのそれぞれの家では子供たちが待っています。

 

わーい!

皿鉢!皿鉢!

 

こうして高知の子供たちは幼いころから皿鉢に馴染んでいきます。

 

僕は、言われたことがあります。

 

皿鉢は、眺めるもの。

男はめったやたらと食うもんでない。

 

土佐の男にとって目の前の料理は目で楽しみながら酒を飲むものであって、食うものではない。(暗に、女子供のために残しておけという意味が含まれます)

そう教えられました。

香川県(さぬきうどん県)で生まれ育った僕は、無性に感動しました。

 

土佐の男ってカッコイイ・・・

 

皿鉢料理が豪勢であればあるほど酒がうまい。

 

それがススキノでも展開されたにすぎません。

 

男たちにとっては目の前の大皿に山盛りに盛られたカニは、

北海道の皿鉢料理だった。

 

でっかいカニが幾重にも盛り上がった大皿を眺めて、

「さすが北海道。たまげた!」

 

こうして土佐の男たちは、北のうまい酒をたらふく堪能したのです。

 

しかしながら・・・

タラバ、毛ガニ、ズワイガニ。

大量のカニは手つかずでお店に残されたまま。

ただススキノの夜に消えていくのでした。

 

あのカニはその後どうなるろう・・・。 (どうなってしまうのだろう?)

 

愛すべき大酒のみ、土佐の男たちと、

北海道のカニの、出会いの物語でした。

 

 

土佐の皿鉢料理

 


2011年9月27日(火)

ある秋の朝

 

 

末っ子の三女はオートバイで保育園へ。

「行ってきまーす!」

 

 

 

美瑛の丘にも秋の訪れ。

木々の葉も、ゆっくり黄色に染まり始めました。

 


2011年9月26日(月)

努力したで賞

 

 

きょうは美馬牛小学校のマラソン大会。

次女は1年生女子で1番になることができました。

 

ダラダラの性格で、何をやっても2番までにしかなれなかった次女が、

生まれて初めて獲得した1番でした。

 

毎日の練習を、十勝連峰はじめ大雪の山々が見守ってくれました。

 

その成果は出たかな?

 

まあまあ、努力したで賞。

 

写真:さんざん特訓したラストスパート。美馬牛小学校グランドにて

 


2011年9月22日(木)

祝!初冠雪

 

きょう夕方も、次女 のマラソン練習に付き添って美馬牛小学校※のグランドに行きました。

 

丘のうえの小学校、美馬牛小学校。

旭岳やトムラウシなどの大雪の山々や十勝連峰の眺めがとてもいいのです。

 

台風が去った大雪山。夕刻、徐々に山並みが姿を現しました。

 

ふと見ると、旭岳やオプタテシケ山やトムラウシ山が真っ白に!!

 

初冠雪です!

 

どうりて寒いはずです。

 

旭岳の初冠雪観測は昨年と同じ、平年よりも3日早いそうです。

 

※美馬牛小学校敷地内は、一般の方は立入禁止です。

写真撮影などは、美馬牛小学校の裏、ペンション・ウィズユー周辺、または四季彩の丘からの眺望がおすすめです。

 


2011年9月21日(水)

台風前夜、すごい夕焼け

 

マラソン大会をひかえた次女。

スポーツがあまり得意ではない次女にとって、唯一、努力の結果を出せるスポーツが、長距離走かもしれません。

 

実は自分もかつてそうでした。

得意なスポーツは、長距離走と水泳、それから剣道。

以上!

次女は、顔だけでなく、まぁ笑ってしまうくらい、諸々父ちゃんに似ています。

 

「よっしゃ。」

父ちゃん、ひと肌脱ぐことにしました。

 

不器用ながらがんばる次女の、その気持ちをかなえてやりたくて、ここ10日ばかり、練習に付き添っています。

だいぶサマになってきたところです。

 

しかし、たった10日ではやっぱり、練習不足。

 

そのマラソン大会が、台風接近のため順延となりました。

 

ラッキー!!

 

ドタバタな我武者羅親子は、きょうも地味に練習に余念がありません。

 

夕方、

通学バスが去って子供たちの姿がなくなった美馬牛(びばうし)小学校グラウンドに行ってきました。本番コースでの練習です。

 

やがて日没の時間。

 

すごい夕焼けが美瑛の空一面を覆い尽くしました。

燃えるような、炎のような、夕焼けでした。

 

明日、台風15号がやってきます。

台風前夜、

これは嵐の前触れでしょうか?

 

美瑛の丘は、天の炎に照らされて、神々しいばかりに輝きました。

年に何度もない、奇跡の10分間でした。

 

俺たち、すごいところに住んでいるよね。

 

北海道に生まれ、丘の風景なんて生まれたときからずっと見ていてそれが当たり前、という完全道産子の次女なのですが、

さすがにきょうばかりは全面的に同意したようでした。

 

夕焼け空に浮かぶ美馬牛小学校。

ひとりグランドを走る次女。

その姿が赤く照らされています。

 

奇跡が、起きるような気がします。

親馬鹿ですね。

 


2011年9月17日(土)

冬が近づいて

 

きょうはお天気が1日ぐずつきました。

 

雨が降ったり、止んだり。

お店を閉めてしまうわけにもいかず、

かといってレンタサイクルをおすすめすることもできず。

来店されたお客様も、なんとなく迷いながらお店に入ってこられます。

 

私たちもモチベーションが下がっていますから、

「あまりおすすめしませんよ」なんて言ってしまう。

なんという商売っ気のなさでしょう・・・^^;

 

でも、自分がいいと思わないモノを売ることができないのと同じように、

雨の日におすすめはできないのです。

 

秋の長雨、でしょうか。

9月に入ってからというもの、なかなかスカッと晴れません。

雨降るたびに気温も下がってきました。

冬は確実に近づいているようですね。

 

☆薪ストーブのある宿は素敵です

 

ガイドの山小屋では、冬のお客様と、夏のお客様、客層が全然違います。

美瑛での過ごし方も全然違うようです。

 

冬のお客様は滞在型の方がほとんどで、美瑛に何泊もされます。

あそこもココも行きたい、というふうに動き回りません。

旅慣れた方が多く、1箇所に滞在しながら暮らすように過ごし、とことん楽しむ、という過ごし方の方が多いように思います。

自立した方が多いのも特徴です。変なお客さんもいません(汗…)

 

冬のお客様が好まれる宿のスタイルにも一貫した共通点があります。

 

@相部屋、個室不問。ただし自分の空間は確保したい。

A洗濯できること 干すことができること (洗濯機の有無)

B安さよりも快適さが大事

 

特に、Aが重要視されているように感じます。

冬は何かと濡れますし、滞在型ですからお洗濯の要望が増すのでしょう。

旅慣れた冬の旅人は荷物がコンパクトです。ですから3泊に1回は洗濯したいと思うそうです。

 

そういえば、自分が旅行者のときも、そのへんとっても重要でした。

 

冬が、近づいてきましたね。^^

 


2011年9月16日(金)

ことりっぷ 北海道

 

きょうは、“ことりっぷ”さんが取材に来られました。

 

天気予報では「雨」だったんですが、なんと取材の間だけは奇跡的に!晴れていました。

 

来年発行の“ことりっぷ”に、ガイドの山小屋も掲載されるそうです。

嬉しいなぁ!

 

ことりっぷは、なんたって写真が綺麗

持っているだけで、小さな旅の気分が味わえるガイドブックですね。

電車のなかで手に取るだけで、たちまち、ちょっとした旅の気分が味わえます。

 

今シーズンは、6月のBS日テレ「北海道すたいる」から始まって、いろんなところに取材していただきました。

 

そうそう。

 

先日の9月2日夜10時からオンエアされた、NHK総合「Small Trip」で、

ひそかにガイドの山小屋の・・・、ご存知でした?

 

「ピチカート ファイヴ」の野宮真貴さんが、電動自転車で美瑛の丘を巡りました。

とても、とても綺麗な映像でした。

 

ガイドの山小屋の電動自転車も、なんだかお洒落な乗り物に見えましたよ。

ゴーシュのシーン、カッコよかったなあ!

 

いつも事後報告ですみません。

なんとなく、こんどテレビに出るかも〜報告は、苦手なんです。

実はチョびっと出てました、のほうが、気楽だな。

 

YouTube NHK 「Small Trip」 小さな荷物で週末旅 予告編 1分

http://www.youtube.com/watch?v=WWfz5UUJbV4

 

あれ?Small Trip = 小さな旅 = co trip = こ とりっぷ 

コンセプト同じやー!

 

 


2011年9月15日(木)

綺麗になろう

 

 「ま、マジ?」 ドロドロです。

 

こんなになっちゃった自転車のクランクを、

 

 お風呂だけでもかなり綺麗になります。

 

分解して洗浄油(灯油やガソリンでOK)のお風呂に一晩漬けたあと、

ワイヤーブラシでゴシゴシします。

 

 ピッカピカ。

 

組み上げて、元の位置に戻します。

こんなに綺麗になりました!

 

写真:ゲイリーフィッシャーMTB 「フクイク」 2005モデル

撮影:RICOH 防水防塵耐衝撃デジカメ G700 マクロ撮影

 


2011年9月14日(水)

晴れても、涼しいです。

 

よいお天気なのですが、日中とても涼しいです。

 

朝、子供をオートバイの後ろにのせて保育園に送り届けたとき、

ジャンパー着ていても肌寒いくらいでした。

 

そのときの気温は16℃。(朝9時)

夕方、迎えに行ったときは、19℃でした。(夕方6時)

 

きょうは、電動自転車のタイヤを交換したり、チェーンを洗浄したりしました。

夏シーズンを終えたレンタサイクルはどれも、かなりくたびれてきています。

 

「お疲れさま!」

 

心をこめてチェーンを洗います。

 

ついでに、自分のバイク(自転車)のチェーンも洗浄することにしたんですが・・・。

 

す・・・

 

すごすぎる・・・

 

汚れが!!

 

昨年12月にニュージーランドから帰ってきて、それ以来ずっと片づけっぱなしで、プライベートでも全然乗っていなかったボクのチャリ旅専用バイク。

当然、全然お手入れをしていません。

9か月前のまま。

 

いくつもの山々を越えて走り続けてきた自転車は、砂埃や油汚れや得体の知れない汚れをガッツリ浴びて、凄いことになっていました。

 

いやぁ〜、今さらではありますけれど・・・、

 

「お疲れさま!」

 

半日かけて、ようやく少しマシになりましたが、まだ半分ってとこです。

 

明日も引き続き、整備や洗浄を続けます。

 

※バイク=バイシクルの一般俗語、自転車

写真は、NZオタゴ地方、ダンシーズ峠に向かう道 2010年12月


2011年9月13日(火)

かわいいヘルメット

 

タレントの「絹代」さんが来店されました。

 

絹代さんのMy ヘルメット、かわいい〜!

 

 

 

帽子のうえから付けられるんです。素材はシックなレザーです。

いろんな色、デザインがあるそうです。

 

 

収納時はこんなに小さくなります。ちょっとしたミニ座布団みたい。

トートバッグのなかに普通に入るサイズです。

 

 

ほら、こうしてヘルメットになっちゃうんです。

「かわいい〜!」

 

本気っぽいヘルメットには抵抗がある方でも、

これなら、 アリ!じゃないでしょうか。上品で気品があって、女子力up!

 

先進国のなかで自転車にヘルメットが義務づけられていないのは、

たぶんニッポンだけです。

このへんやっぱり、「アジア」って感じがします。

 

いずれヘルメット着用が義務づけられるようになるんじゃないでしょうか。

 

これは要チェックアイテムです!!

 


2011年9月12日(月)

アウトバック(荒野)

 

 

今年もチャリ旅に行こうと思い、計画をたてています。

 

オーストラリア1周・1万5千kmの続きをしようと思うのですが、

いかんせん真夏のアウトバックは過酷。

(南半球なので季節が逆。これから夏がやってきます)

 

ダーウィン→ブルーム経由→パースまでの4048kmは、

計画を中止しました。

 

気温40℃とか、45℃とか、無補給250km〜300km区間が連続します。

ありえない〜。

水もないです。

 

フル装備の自転車に積める水の量は20リットル(灯油缶1本分!)が限界です。

それ以上は無理〜。

 

気温が35℃を超えると、1日あたり最低でも10リットル。

余分も含めて1日17リットルは持ちたいところです。(実体験に基づく経験値です)

250km区間であれば、35〜40リットルの飲み水を積むことが求められ。

でも、それは不可能。

 

みなさん、灯油ポリ缶2本分の水+特大スーツケース1個を自転車にのせて

気温40℃のなか、1日100kmペダル漕げますか?

 

俺ですか?

 

・・・・・・。

 

ぜ、ぜ〜ったい、無理!

 

てゆうか、自転車の車体がもたないと思う。バラバラになりそう。

 

やばいです。ビビリまくり。

 

でも、ですね〜

オーストラリアは、すっごく、痩せるんですよ。

リスク高いぶん、結果はキッチリでます。

 

だからといって、安全マージンは犠牲にできません。

これから計画を練り直します。

 

写真は2008年11月の大陸横断、ナラボー平原でのひとコマです。

何百キロも、な〜んにも、ないですよ。

次のスーパーマーケットまで、1000kmっていう世界です。^^;

 


2011年9月11日(日)

美馬牛のお祭り(先週の日曜日)

 

 

先週は、美馬牛のお祭りでした。

僕は、かわいいハイカラさんを乗せた御所車を牽きました。

 

大雨があったり、お祭りがあったり、台風12号が来たりして、

この1週間燃え尽きてしまった感のある山小屋です。

 

丸々1週間、ガイド日誌お休みしてしまいました。^^;

 


2011年9月3日(土)

台風の前夜祭

 

「やさいの日」に続いて、今夜は ぜ ん や さ い。

全然違うや〜ん!

 

まっ、それはおいといて。

 

台風から遙か北に離れた北海道ですが、

どうやら台風とは一切ご縁はアリマセン、というわけにもいかないようです。

 

前線が刺激されて蒸し暑くなり、激しい雨が降りました。

 

昨日9月2日は大雨に見舞われ、

美瑛町・上富良野町ともに、24時間雨量の9月の観測史上最高を更新しました。

 

え〜、たしか、7月にもそういう日があったような・・・。

まさか亜熱帯化してる?

 

してる?

 

してるよね?

 

昨日の出来事をおさらいいたします。

 

JR富良野線が不通

国道237号線 美馬牛峠土砂流出のため美瑛−上富良野間で通行止

美瑛町、上富良野町では、多くの畑が土砂流出の被害に遭いました。

収穫前の畑で作物ごと流されてしまって、流れ出た土砂が道路をふさぎ、あちこちで混乱が見られました。

国道が通行止めになったために多くの車が丘の道(パノラマロード)に入り込んでウロウロ、ウロウロ。その道にも土砂が流れ出したり冠水したため一部の丘の道はこれまた通行止めになったり。

一部の小河川や排水溝は水があふれて畑や森林や住宅が浸水しました。

大きな被害が出ました。

 

ガイドの山小屋も!

南側の側溝と、西側の側溝(美瑛美馬牛川に接続します)両方があふれてお店の前の道路が20mほどにわたって冠水、周辺が水没してしまいました。

ガイドの山小屋は一時、水に浮かぶ離れ小島になってしまい。

 

は、は、は・・・。

 

昨年は大雨で地下室(倉庫・機械室)が水没してしまいました。ここに引っ越してきて十数年、初めてのことでした。

また同じようなことが起こるような気がしたので、苦い教訓を生かしてコンクリートの防壁を自分で作りました。それから増設した2台の強力排水ポンプの活躍で 、今回は辛うじて浸水を免れました。

 

やれやれ。

 

しかしまあ、まだ台風が来たわけじゃないんですよね。

これって前夜祭なんですよね。

 

まだ続くのか!

 

まだまだ!

 

まだまだ!

 

なんのこれしき!

 

どんとこい!

 

きょうも素掘りの溝を掘ったり、せっせと土のうを作ったりしてます。

なんだか災害支援ボランティアの続きをやってるみたいです。

そう考えたら、これくらいの作業など、軽い軽い!

 

ガイドの山小屋、闘います!

 

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