ガイド日誌

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2009年5月31日(日)

その男、ひっぢ

その男と知り合ったのは、ひょんなことだった。僕たちは実際に会う前から妙にウマが合った。感性が似ているとでもいうのだろうか。

その男ひっぢはニュージーランドに住んでいる。学校を卒業してすぐに日本を飛び出して、しばらくは12月〜4月は日本、5月〜10月はニュージーランドというふうに冬冬の生活をしていたらしいが、今では1年中NZに住んでいて夏はトレッキングガイド、冬はパウダーガイドをしている。結婚して子供を育て、しっかり納税もして社会に貢献しており、完全なるニュージ-ランド市民、すでに永住権も得ているという。

初めて実際に会ったのは2007年のことだ。僕らはまだ顔を知らない間柄だったのに滞在先の湖畔のユースホステルのフロア(常に各国からの若い観光客でごったがえしている)でボクの顔を見つけるなりニコニコしながらどっと突進してきた。

僕ももちろん、その男がひっぢだと説明されるまえからわかってしまった。

ビールを飲みながら、歩きながら、メシを食いながら、いろんな話をした。ひっぢの友人のところにいくと何も言うまえから「あなた、ひっぢの友だちでしょ?」といわれた。雰囲気が似ているのだという。

ひっぢは白人のNZ人よりもマオリのNZ人に強い共感をもっており、マオリの世界観にきわめて高い敬意をもっていた。そういうひっぢの姿に僕はいちいち同意をおぼえた

マオリの世界観はアイヌの世界観にきわめて似ている。

同い年で同じトヨタのハイエースに乗って同じガイド業を生業にしていてパウダーが大好きでこの仕事についたというあたりもそっくりだ。別に驚くことではないけれど、食べ物の好みまで似ていた。

(右写真)ひっぢはルートバーントラックのガイドをしている。2007年12月

住んでいる場所がニュージーランドと北海道という大きな違いがあるけれど、思考がきわめて似ていた。こういう似た人間がこの世にはいるもんなんだなーと、 僕たちはお互いに妙に感心し、納得しあったものである。

こうして僕らは親友になった。

さて、北海道の季節はあっという間に春がおわり初夏になった。山の雪は痩せ細っていく。美しいコントラストを描く雪渓だけど、あと1か月ほどでバックカントリースキーの季節は終わるだろう。

これからは、ひっぢが活躍する季節になる。

ニュージーランドの季節はこれから冬へとうつりかわっていく。今ごろきっと美しい紅葉を見せてくれているに違いない。

美瑛・富良野の風景はNZ南島の、とくにオタゴ地方やカンタベリー地方にとても似ている。ボクの住む美馬牛もそうで、ときどき錯覚しそうになる。

南の空を眺めながらニュージーランドのお天気や季節を占うのも、今では僕の生活のひとつだ。

ひっぢのオフィスのホームページ


2009年5月30日(土)

13年の遺跡から

最初は、そんなはずではなかった。

10人乗りのトヨタハイエースを買って登山のガイドツアーをはじめたのが1996年。翌年に法人登記をして、1998年に「ガイドの山小屋」、いまの店舗を開いた。僕がプロのガイドになって今年で13年になる。

夏に訪れるお客さんの多くはココがレンタサイクル店だとおもっているし、実際そのとおりなんだけど、店名との間に少しギャップを覚える人も少なくないと思う。

よく、「ペンションですか?」と聞かれる。宿泊業を兼業しているのかと。

そりゃあそう。山小屋=自転車店なんて、おかしいもの。

店舗兼住宅の建物の床下、半分地下になっているコンクリートの中の空間はそのまま倉庫として利用しており、そこには開業以来13年分のいろんなものが突っ込んだままになっている。

ここに、名前の由来となった13年分の歴史が詰まっていてみんなの目に触れることはないけれど、見ればなるほど納得すると思う。

ココが確かに「ガイドの山小屋」だった時期があるのだ。その証が地下の倉庫に大量に埋蔵されていた。

GWの仕事が終わって今日まで、土日をのぞいて僕はずっと地下室のような肌寒いコンクリートの穴のなかにいた。

粗大ゴミと闘っていたのだ。

登山のガイドからはじめた僕は、探検ツアー、カヌー、ラフティング、MTBのツアー、遠征登山、ネイチャーツアー、はては夜中のツアーまで何でもやった。 最初のうちはレンタサイクルはたくさんのプログラムのひとつにすぎなかった。朝は4時に起きて川の下見に行き、カヌーの早朝ツアーのガイドをやってから登山ガイドに出かけて夜にはナイトハイクのガイドをやって、近くのユースホステルにツアー案内に出かけて夜遅くに寝るという怒涛の生活をしていた時期もある。多いときは6人以上のガイドと居候が暮らしたココだけど、そういう生活は長くは続かなかった。

てゆうか、続くはずがない。

やりたいことは山ほどあったけれど欲張りすぎて財布の中身のほうが続かなかった。お金がなければガイドも居候もおいてはおけず、お金がなくなると同時に誰もいなくなり、火が消えた。ボクは一文無しになって心と体も壊してしまった。前半の6〜7年間、今日までの半分以上がそういう時期だった。

まるで昔の苦労人話みたいだけど、数年前までの現実のボクの姿。ここには書けない酷い話もトラック5台分くらいある。

倉庫には、そんな13年分の遺物が眠っていた。

GWがおわって今日までに売却しきれなかったカヌーラフティング用品や破れたり痛んでしまった登山靴やテントやターブや、ほんとうにいろんなものを捨てた。勿体ないとは思ったけれど、客観的に見ればどう考えてもガラクタで、まともに使えそうなものは少ない。

13年分のゴミは凄かった。山用品、川用品、昔ハマっていた渓流釣りの道具類はじめ、北海道に来る前に使っていた素潜り漁のシュノーケルや手銛もあった。 渓流釣りのツアーをやろうとして大量に購入したまま開封すらされていない釣り竿などが出てきて痛々しかった。猛烈に反省。

さらには、ここを始めたばかりのころの手書きの看板や一番最初につくったリーフレットが出てきたりしたけれど何も考えずに捨てた。最終的にはトラック1台分相当の粗大ゴミが出てきて何回かに分けて美瑛町のゴミ回収車に引き取られていった。

やれやれ〜。

13年ぶんの遺物との対面は失敗の連続だった13年を振り返る良い機会になったけれど、むしろ、もういちど新しいことに挑戦してみたいという気分にもさせてしまった。妙な興奮が湧いてくる。

こういうのがあぶない。

重ねて、ここ数年は国際チャリダー(自転車旅行者)として旅人に現役復帰したから、魅力的なアイデアが次から次へと湧いてきて、ますます危険物満載に。

う〜む。せっかくすっきりした倉庫だけど、10年後またまた失敗の物品で一杯になってしまうんだろうか?

悩む。


2009年5月7日 (木)

トノカリ林道 (新得町)

週末の下見(オプタテシケ山テレマークツアー)の下見のために、GW前に続いて、きょうも新得(トムラウシ温泉近く)のトノカリ林道へ行ってみました。

燃費が車の4倍以上と、とってもエコなのでオートバイで行ってきました。

 

 

 

 

 

 

十勝川に沿って北上すると、トムラウシ山やオプタテシケ山がみえてきます。

 

 

 

 

 

 

 

途中から林道に入ります。トノカリ林道は十勝連峰の新得側の山麓にあります。

 

 

 

 

 

 

 

明るい林道。道端には雪が残ります。ときどき鹿が飛び出すのでびっくり!

 

 

 

 

 

 

 

道端には普通にミズバショウが咲いています。保護されてるわけではありません。

 

 

 

 

 

 

残念ながらこの先は除雪されていないので通行不可能。隣に写っている車のオーナーさんはたぶんオプタテシケに向かったものと思われ、

 

 

 

 

 

 

 

真新しいスキーの跡がうっすら残る林道。ここからオプタテシケ山までは5時間以上と、なかなかどうして遠いのだ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新得は、

桜が満開でした。

 

ところで、空知川の源流にシーソラプチ川という美しい川があります。狩勝峠の富良野側、JR落合付近、国道38号からシーソラプチを上流に1kmほどいったところに「レストランたるきいとな」さんがあります。(HPなし)

まさに隠れ家。リアル開拓時代。ボクのなかでは上半期MVP間違いなし。

笑っちゃいますよ〜。そしてクセになること間違いなし!

ちなみにテーブルにのる鹿肉は、そこらへんを歩いているヤツラです。指でOK

観光客相手の無駄におしゃれっぽいレストランにうんざり、本当においしいものを食べたくなったらぜひココを探し当ててみてください。

それだけで「探検」ですが。

食べ物も旅も、本物志向の方にオススメです。


2009年5月6日 (水)

三峰山テレマークツアー

三峰山・・・。近いようで遠い山。

「外堀」がなんとも歯がゆい障壁で、最大の難所になっており越えることがとても難しいし、面倒だし、時間がかかるし、危険。

難所としてあまりにも有名な、凌雲閣裏の崖。(写真/建物の直下をロープで下る)

もし落ちたら、谷底には巨大な岩が待ち構えているから無事では済まないし、おまけに崖を下りきったと思ったら今度はもういちど谷底から這いあがらなければならない。尾根は遥か に頭上にある。

勘弁してよ〜。

だから三峰山に入山するひとが少ないわけだ。

谷底から這い上がった僕たちを待ち構えていたのは、カミホロカメットク、三峰山と富良野岳へと連なる十勝連峰の雄姿ど〜ん。

全員が声にならない呻き声をもらす。

広大な雪原を我々13人が歩く。空は真っ青で眩しい。これから向かう三峰山が正面にあり、目的地がはっきりしていていい。

お昼頃、三峰山の大雪田に到着。

いまは数メートルの分厚い雪に覆われたボウル状の台地になっているが、7月になると、ここは高山植物のお花畑になる。

概ね平坦なので、焼肉ベースに最適だ。

じゅうじゅうじゅう

じゅうじゅうじゅう

三峰山に焼肉ののろしがあがる。うどんも焼かれ、うどんトークも炸裂する。みんなの笑い声がやまびこになって響き渡る。

僕たちは幸せだ。

あああ、今シーズンも楽しかったな。なんだか胸がいっぱいになった。

みんな、ありがとう。

僕たちをみて、山がほんとうに笑っていた。


2009年5月5日 (火)

ドッキリ!? 焼肉のあと、予告なし冬山ガイド試験が待っていた

きょうは前十勝へ。相変わらずお天気で顔が焼ける。

前十勝へと続く雪渓を登り詰めていくと日差しを顔にまともに受けてしまうのだ。

昭和62年の十勝岳噴火活動の地熱で立ち枯れたダケカバがつづく「カバワラ」を登る。「カバワラ」というのは道東の「トドワラ」に模して友人が勝手に呼んでいたら、本当にそういう名前になってしまった。今ではガイドブックにも載っている。

カバワラを登りきった前十勝の肩に焼肉ベースを構築。ここは千春沢の分岐にあたる要衝の地形で、少しなだらかになっている。

じゅうじゅうじゅう

じゅうじゅうじゅう

前十勝に焼肉ののろしが上がる。

盛大な焼肉が終わって午後の自由時間に入ったころ、急に奇妙な風が吹きあがってきた。

「ガスだ!」

しかし、もう遅い。11人みんな四方八方に散った後だったのだ。ベースには焼肉の片付けをしていた僕しか残っていなかった。

やばい〜。非常にやばい状態だよ〜。

いわゆるホワイトアウトという現象。こういうとき人は平衡感覚を失いやすい。勘で下へ下へと滑っていくと必ずといっていいほど方向が狂っていく。自信があってもそうなる。

やれやれ。ここからは山岳ガイドの仕事だ。四方に散った11人全員を集合させて安全に下山させる。単純なことだけど、これはけっこう難しい。

おいおい。これじゃガイド試験に必ずある試験課題みたいじゃないか。

ここで適当に検討をつけて滑っていったりしたらもちろん試験は落ちるし、それにこれは現実のことだから本当に困ったことになりかねない。

(ただいま試験中・・・)

40分後、全員集合。11人で縦列になってZ移動しながら標高をさげていく。

午後3時すぎ、全員下山。ガイド試験は合格ってコトでいいですか?

オマケつき焼肉ツアーだった。


2009年5月4日 (月)

ああ、シーズン最後の崖尾根へ

シーズン中は何度もお世話になった崖尾根を越えるルートも、きょうが最後になった。

ラスト崖尾根。

てゆうほど大袈裟なものでもないけれど、これ以上に雪どけが進むとハイマツが現れて尾根を越えることが難しくなるのだ。

このように、上部はすでにハイマツに阻まれつつある。

雪はとても良くて、滑りやすいザラメ。シールやステップソールもよくグリップするので厳冬期よりもはるかに歩きやすい。もちろんラッセルは全然ない。

それにしても暖かいなあ!

みんなよく滑る滑る。ザラメ雪は癖がないので誰もが気落ち良く滑れるからいい。初心者に優しいのもいい。

西の谷の西側にあるハタ尾根に着くと先客がいる。やっぱり赤平のHさんだった。Hさんとはここでよく会う。Hさんはいつも一人黙々と登り下りを繰り返しておられる。ここはHさんの庭といっていい。きょうは珍しく友人連れ3人で来られていた。

挨拶をして、付近にベースをかまえて僕らもこの尾根で遊ばせてもらう。

ハタ尾根はボクたちのお気に入りだ。

みんなが遊んでいる間にボクは焼肉ベースを構築する。

じゅうじゅうじゅう

じゅうじゅうじゅう

三段山に焼肉の焼ける音が響き渡る。

三段山の春なのだ。


2009年5月3日 (日)

三段山で焼肉を

昨日が激しかったので、きょうはまったり行こうと決めていたのに、結局がつがつ登ってしまう。

なぜなんだ・・・?

あまり頑張りたくないので三段山夏道ルートを行く。2段目より上の台地は早くもハイマツ原が現れてきた。ギリギリ東谷沿いを進むが、油断すれば谷底に転落しそうで、ちょっとキビシイかんじになってきた。

東谷の全容がみえてきた。そろそろいいかな?と思ったが、いまだ3割ほどビタ止まり雪が残っているようにみえる。

「ビタ止まり雪」というのは、遅い季節に降った新雪が中途半端にとけて腐ったようになり粘っこくなる現象をいう。この雪のうえを滑るとスキー板に雪が粘りついて急ブレーキがかかり、とても怖い思いをする。

ビタ止まりとは、つまり急ブレーキのことだ。

ねっぱり雪とか、妖怪ビタ止まりとか、いろんな呼び名がある。

1週間前にまとまった降雪があった。この季節の新雪は歓迎できるような歓迎できないような・・・。微妙だ。新雪はすぐに腐ってビタ止まり雪になってしまうから。

そんな妖怪だが、ようやく去りつつある。

東谷滑降グループと西尾根グループに分かれて、ザラメ雪で遊ぶ。なかなかいいんでない?ただ、表面がデコボコしてきた感もある。

久しぶりに恒例の焼肉。3日間ほど焼肉をさぼっていたので悦びもひとしお。

これから毎日焼肉を焼く!

天気予報のとおり上空の雲がとれて青空がのぞいた。眺望はいい。

富良野盆地を見下ろすと、もうどこにも雪なんかどこにも見えないし、それどころか新緑がまぶしい。すでに風景は夏山のときと同じだ。

この山にも春が着々と近づいているのを感じた。

明日は快晴になりそうだ。


2009年5月2日 (土)

ようこそ藪へ! 原始ケ原・前富良野岳

この季節だけのワンダーランド、前富良野岳へ行ってきた。

林道も全通していないし、若干、遠いけど、 まあいいや。ということで集合時間を早めて出発。林道の除雪終点は狭いので車は1台にまとめていこう。

先週の下見よりも除雪終点が先に延びていて、林道歩きは1.5kで済んだ。

ラッキー。

それにしても暑い。5月の快晴は日差しがキビシイ。

最初のうち、いわゆる原始ケ原登山道の「林間コース」を進むわけだけど、いつの間にか若いダケカンバやハンノキがたくさん育っていて、これらが道を塞いでいる。夏になれば垂直に立ちあがってあまり気にならないだろうけど、冬の間は分厚い積雪に押し倒されていたものが、いま、まさに立ち上がろうとしていて道を塞いでいるわけだ。

これが、かなり大変な変態でして。

藪こぎ。いつから原始ケ原の登山道はこうなっちゃったんだろう?

藪に行く手を遮られて時間を大幅にロスする。腕や顔は引っ掛かれるわ顔面めがけて小枝の鞭が飛んでくるわで、とんだ拷問になってしまった。変態向きの道。

ようやく尾根に取りついて前富良野の東斜面へ。明るい原生林の向こうに、全山端から端までの広大なオープン斜面が現れた。

富良野岳や下ホロなど、いろんな山の斜面が見えているけれど、どこよりも広くて美しい。

限られた人だけが行くことを許される場所、みたいなカンジがコソバユイ。

いいかんじ。


2009年5月1日 (金)

春は荷が重い

この季節は厳冬期よりも重装備だ。

あんた何いってるの?って思うかもしれないけれど、 そうなのだ。

リュックサックの中身は基本的には冬と変わらない。しかし暑いので、フリースは着ないでリュックの中にねじ込んでいるし、冬と同じジャケットもこれまた着ることはなくリュックの中。冬からずっとダウンベストなんかも入ったままになっている。

冬ならば保温水筒1本だけど、この季節はさらに水を1リットルくらい持っていく。

そこへ、さらに加わってくるのが、

イェーイ!焼肉だ!

MSRドラゴンフライとガソリンのタンク。フライパンなどなど、なかなか忙しい。

かくして、背の高い高ぁ〜いリュックサックになってしまうのだ。

なんでやねん?ってカンジなんだけど、仕方ないのだ。

荷物は重たいが、ココロはウキウキ。

軽い。軽すぎる。(駄)

さて、明日は快晴になるという。

いえ〜い!快晴!

前十勝にでも行くかと思ったけれど、前十勝は例年になく残雪が多いので、後日でも滑れる。おまけに明日は混むだろう。なにも急ぐことはない。

原始ケ原だ!原始ケ原から、富良野岳!

気温の上昇とともに、富良野岳の原始ケ原側の斜面へのアプローチはまもなくハイマツに覆われるだろう。行くなら早いほうがいい。今しかないではないか。

春はあっという間。残雪の春スキーは急速に消えゆく雪との追いかけっこみたいなものだから、思案っているヒマはない。

ところで、原始ケ原といえば、ヒグマの本場じゃないか。

焼肉どうする?持っていく?

う〜ん・・・。


2009年4月30日 (木)

ガイドの失態

またまた、やらかしてしまった。

美瑛岳に行こうと思ったけれど、美瑛富士やオプタテシケの登山口も兼ねる涸沢林道はまだ除雪されていなかった。仕方ないので望岳台に移動。

今朝もすごい快晴。心踊りながらすべての準備をととのえて、いざ板にシールを装着しようとしたら、ないのだ。シールが。

忘れた。

これまでも、いろんな忘れ物をしたが、さいきんは大丈夫だった。やれやれ、ミスなしでシーズン終わるぜ、と思ったらこのザマだ。

面目ない。

仕切り直して舞台も移して再出発。過ぎた時間を取り戻そうと移動して十勝岳温泉から出発することになった。ここなら標高は1300mだ。

ここは十勝岳温泉は、三峰山やカミホロカメットク山、富良野岳本峰への代表的な登山口だけど、この時期にここに来るのは、冬が終わったことをいまだに認めようとしないバックカントリースキーヤーだけだ。

案の定、いた。

「あれ?美瑛岳に行ったはずじゃないんですか?」

さっそく、友人Kちゃんと遭遇。

「シール忘れてぇ、仕切り直してここに来たんっすよ〜」と、ボク。

おでん屋エトリックスさんがニヤニヤしながら、細板とシールならありますよという。

いやいやァ、ご好意だけ受け取っておきますから。

それにしても、すごいお天気だ。太陽に炒られて顔が燃える。

暑くて、今シーズンはじめて半袖になった。

三段山を横断してナマコ尾根に滑りこむ。なだらかな広い尾根だが、今年は積雪が多いので、また一段と広く感じる。

このユルさが、春スキーにはいいカンジ。


2009年4月29日 (水)

十勝岳

きょうは十勝岳グランド火口で焼肉の日。

すごい快晴になった。 サングラスをしていても眩しくて参った。焼肉どころか顔も腕もなにもかも焼肉になりそうな勢いだ。

ザラメ雪の雪面がカリカリに氷結しているその上に先日の積雪がサクッと載っていて、なんともいいカンジの雪。シールの効きもいい。さくさく登れる。

それにしても暑い。暑すぎる。

残雪の量は理想的で、雪渓も途切れていない。沢地形などは例年よりも豪快にワイドでこれまた理想的だ。

十勝岳の避難小屋は昨年秋に取り壊されたと聞いたが、すぐさま再建されていて、そこにあったのはまるで新興住宅地によく見られる小洒落た新築一戸建のよう。新築の家のにおいがする。すばらしい。

ここで暮らせるじゃないか。

仲間たちはグランド火口の大斜面を滑る。ともかく絶好調のコンディション。ザラメ雪でもパウダーでもない、サクサクの雪。うひょ〜、とか、たまらん、とか、ともかく何でもかんでも叫び放題だ。

そのうちMSRドラゴンフライが火を吹き、焼肉ファイヤーが雄たけびをあげる。

戦いは始まった。

じゅうじゅうじゅうじゅう

じゅうじゅうじゅうじゅう

これがなければ俺たちのGWは始まらない。

さて、明日も快晴だという。

どこに行こうかと、うれしい悩み。

GWは始まったばかりだ。

ピース。


2009年4月28日 (火)

明日は何の日?

未明の雪は積もらなかった。

久しぶりに最低気温がプラスになった。なにしろ4月下旬なのだ。いよいよ明日からはゴールデンウィークが始まる。

明日は何の日?と女房が聞くから、俺はマジメに考えた。

う〜ん・・・、春スキーのツアーが始まる日だな。

ガイドの山小屋の春スキーといえば、名物は「焼肉ツアー」。残雪の雪山で盛大にジンギスカンを焼く。この焼肉を楽しみにして毎年たくさんの人が来てくれる。

そうか、そうだったのか。

「なんだ、簡単やんか。」

29日、それは・・・。

「ニクの日!」

自信満々で叫んだのに、女房はニコリとも笑わないし、何も言わない。

というか、冷たい。

でもオレたちにとっては「ニクの日」。

夕方、買出しをした。焼肉の材料をたくさん仕入れる。

明日の焼肉ツアーで盛大に焼くための、お肉。

お肉をひと〜つ、お肉をふた〜つ、お肉をみっつ、・・・お肉をじゅうに・・・、

お肉、もっと欲しい〜〜。

たちまち買い物かごが一杯になった。

う〜む、お肉の大人買いって、なんだか嬉しいぞ。


2009年4月27日(月)

嵐が去って

暴風は明け方まで続いたが、日中にはお天気になった。

植え替えたばかりで気になっていた花は嵐に打たれて少し弱っていた。茎が折れたりしているけれど、よく見ると下から次の花のつぼみが現れている。

なかなか、たくましいではないか。

作業が忙しい。あさってから夏営業の開始なのだ。

夏営業とはいえ、スキーのツアーを並行して実施するから2倍忙しい。

GWは夏と冬が同居している。

自家用車のタイヤも夏タイヤに交換する。

レンタサイクルのタイヤには空気をいれて車体の点検をおこなう。

電動自転車はバッテリーの充電開始。

たくさんあるから大変だ。

さて、だいたいの仕事をおえたころ、明日の天気予報が気になった。

朝には雪?

タイヤ替えたのに〜・・・。

早くも草花の芽が伸びてきた。水芭蕉は花をつけている。


2009年4月26日(日)

大風の吹いた日曜日

天気予報どおり、 荒れた天気になった。予定していた富良野岳ツアーは中止。

前日の夕方から風が出てきて、やがて暴風になった。

朝から暴風が荒れ狂う。

まるで台風のようだ。

ここ美馬牛は峠の頂上付近の集落なので標高が高い。十勝連峰を駆け下ってきた風がまともにぶつかってくる。

朝から晩まで、1日じゅう風が唸りつづけていた。

せっかく植え替えた花がどうなってしまうのだろう?気になって仕方ないけれど、仕方がない。

午後からは吹雪になった。

休日になったからといって、とても外出するような気分にはなれないお天気だ。

山はいったい、どうなっているのだろう?

ストーブに火をいれた。鋳物鉄がじんわり温まってくると、冬のにおいがした。


2009年4月25日(土)

オプタテシケ、新得側

林道の下見に行ってきた。

新得側からオプタテシケにアクセスするには新得〜トムラウシ山に至る広大な樹海に網の目のように張り巡らされた林道網を利用することになるが、4月、5月の 開通状況はなんというか心もとない。

どこまでいけるか?くじを引くような気分で下見に出かけた。

美瑛町からオプタテシケは近い。目の前にどんと鎮座しているが、新得からアプローチするとなると、とたんに遠い存在になる。なにしろ遠いのだ。

南へと車を走らせる。新得の市街地の手前で東へと進路を変えてしばらく走るとと十勝川に出会う。十勝川に沿って、北上するのだ。

山の向こうは上富良野や美瑛なのに、なんという遠回りだろうか。

トムラウシ温泉に向かう道道をひたすら北上する。携帯電話は通じなくなり、民家も見られなくなる。道路脇にはやたらとエゾ鹿の群れが見られる。かなり深い山に入り込んでから、ようやく目指す林道の分岐があるのだ。

東へ行くとヌプントムラウシと沼の原、西へ行くとオプタテシケと十勝岳、まっすぐ北上するとトムラウシ山へと続く林道の分岐点がある。曙橋と呼ばれる橋があるあたりだ。

林道に入って間もなく、鹿の背骨が落ちているのを見つける。羆の狩り場なのか?あまりいい気持ちはしない。(右写真)

雪解け直後の林道は荒れている。落石も多いし路肩は脆弱だ。穴ボコだらけで4WDでも気を使うような荒れた道。いまの季節は源流マニアの釣り人くらいしか立ち入る者はいない。 美馬牛からは150kmも走ってきた。だが直線距離ではその3分の1もないだろう。

オプタテシケにつながる林道は、あと4kmを残して殿刈橋(トノカリ橋)の北、電力会社の取水堰が除雪の終点だった。あとは手つかずで、近日中に除雪されそうな様子は見られない。

標高500mと少し。ここからオプタテシケは・・・なかなか遠い。

春のオプタテシケを滑るには、ここを早朝に出発しなければならないだろう。

原始ケ原といい、オプタテシケといい、なかなか遠いなあ。

つづいて十勝岳方面も下見するが、同じようなものだ。残り4〜5キロを残して林道は行き止まり。あとは歩くしかない。

雪解けの渓流に陽の光が反射してキラキラしている。美しい。

女房の作ってくれた大きな握り飯が2個。一緒に行った友人と1個ずつ分け合って食べた。握り飯2個と、厚く切った沢庵漬けが2切れ。

渓流には、握り飯と沢庵がすごく合うと思った。


2009年4月24日(金)

富良野岳へ下見に

週末に原始ケ原から富良野岳へ行くことになっている。

冬のツアーが終わってしばらく休みをいただき、テレマーク春スキーの季節になった。その第一弾が富良野岳・原始ケ原バックカントリーテレマークツアー。

富良野岳本峰に登ったことがある人ならばイメージできると思うけれど、富良野岳の原始ケ原側は広大な緩斜面になっている。上級者には物足りないかもしれないけれど、雄大な気分を好む旅人気質のバックカントリースキーヤーにとっては、実に魅力的なところなのだ。

冬季はアクセスの難しさがあって容易には近づけない。現実には雪解けのわずかな期間だけ滑ることが許される、期間限定のパラダイスとなる。

きょう、下見に行ってきた。例年ならば、原始ケ原登山口までの林道が開通しているはずだった。しかし・・・。

登山口まで約3kmを残して、林道は標高600m地点で雪の中に消えていた。

半分弱までは除雪が進んでいた林道だが、その先は手つかずだ。今後も除雪の続きが行われるような様子はない。周囲に人の気配はなく、鬱蒼としている。

林道が消えていった先には車輪の跡はおろか、足跡もスキーの跡も一切見られない。この先に待っているのは野生の世界だ。そろそろ熊も歩いているはずだ。

う〜む・・・。

明日は本峰を踏み、所要時間などを確認したいと考えていたけれど、ここから本峰までは遠い。三段山であれば中茶屋から頂上くらい、十勝岳ならば白金温泉のホテル玄関から山頂までと、だいたい同等の距離があり、日帰り踏破は不可能ではないけれど楽しくはない。それに僕らは滑りにきているのであって山岳登頂マニアではない。楽しくなければダメなのだ。

う〜む・・・。

弱気になった。不可能ではないけれど、山岳部よろしく強行軍すべきだろうか。

折しも南から低気圧が発達しながら近づいている。週末は久しぶりに大荒れになるだろう。たぶんツアーは中止になる。どうやら巡りあわせが悪かったと諦めはつくけれど、思いは複雑だ。何といっても一番楽しみにしていたのは僕だった。

ツアー再開の第一回となる日曜日は予約で満員。そのことだけで嬉しい。中止になることは決定的だけど、僕はそれだけで十分に満足だ。

予約をしてくれた皆さん、本当にありがとう。

 途中までは良かった。

 林道が消えた。登山口はここから3km先に…。


2009年4月22日(水)

消えゆく雪

美馬牛にも、ほとんど雪は残っていない。

屋根から落雪や除雪した雪の堆積場所などにわずかに残る程度だが、それも時間の問題だろう。ガイドの山小屋の駐車場はとっくに全面オープンしている。

早くも雑草の芽が顔を出している。

もっともっとスキーをしたい!と思って美瑛に帰ってきたけれど、 近所のお葬式があったり、急ぎの夏季営業の準備があったり、山に通うのには欠かせないガイドの山小屋号は車検で不在と、なかなか切ない。まだ山に行けずにいる。

きょうは仲間と北見峠に行く予定だったが、3つの目玉をもつ低気圧3姉妹が暴れまわって朝から土砂降り。あっけなく中止になった。まったくついてない。

3つの目玉は1つにまとまるらしいが、明日も天気はぐずつくという。困ったものだ。

山の下見には欠かせない250ccのオフロードのオートバイを車庫のいちばん奥から引っ張り出した。バッテリーに充電して、各所に油を差して、新しいガソリンをいれて、試運転をした。点検をおこない、異常がないことを確認した。雪解け直後のぬかるんだ林道は、車体の軽いオフロードのオートバイがいい。

春はあっという間に過ぎ去ってしまう。残雪の春スキーはGW前後が山場で、あとは雪が消える一方だ。

消えゆく雪、過ぎ去っていく冬の名残を追いかける日々が始まる。


2009年4月21日(火)

花を!

雪解け直後は、なんだか寂しい。

緑はほとんど見られず、もちろん野の花もない。雪は消えても、しばらくは雪の下から再び現れた腐りかけの落ち葉や枯れた雑草、そして土だけの世界だ。

モノトーンのような風景。

フキノトウだけがひとり頑張っている。

よく見ると、福寿草もがんばっているが、花はもうすぐ終わりということもあり、圧倒的なモノトーンの勝利。

ガイドの山小屋もしかり、なんだか寂しい。

きょう、花の苗を、買ってきた。

全部で40本。なかなかのボリュームだが、これでも案外不十分なのだ。

それでも、玄関前だけは少し華やかになるだろう。

植木鉢に植え替えて玄関の周辺を飾る。週末には少しだけ賑やかになるだろう。

お天気が下り坂で、少し肌寒い。

山の雪解けもしばらくは足踏み状態になりそうだ。


2009年4月20日(月)

美馬牛教会

週末は、近所の葬儀を手伝った。キリスト教だった。

日曜日はなんとなく仲間と山に行く話があったから、それに間に合うように旅先から急ぎ帰ってきたけれど、山行の計画がうやむやになっていたことを見越したように、ボクが小樽行きのフェリーに乗ったとたんに訃報が伝えられた。

戦後すぐに入植した方が亡くなったという。

どうやら週末の山行とは、最初からご縁がなかったらしい(汗)

集落の葬儀は集落のみんなで協力して取りおこなう。こういうとき、ご近所はしっかり団結する。もちろん我が家も駆けつける。いざ鎌倉!みたいなものだ。

いざ美馬牛!

美馬牛には小さな教会があった。老朽化が激しくいったん取り壊されたけれど、今年中に再建されるという。

本来ならば教会でおこなう信者の葬儀だけど、いまは工事中なので美馬牛のコミュニティホールで行われた。近所の人たち総出でお手伝いをする。

都市部を中心に近年はそういう習慣が否定されたり拒否拒絶するひとも多いというが、美馬牛にはちゃんとコミュニティの助け合いの精神がしっかり根付いていて、今もしっかりと引き継がれている。

いざというときには、みんながしっかり団結する。

こういうコミュニティの行事に関わっていると、ここに骨をうずめることになっても安心だなという気持ちになる。仏教でも神道でもキリスト教でも、宗教は関係はない。

ご近所のみんなに見送られる。いいものだと思った。

キリスト教の葬儀ははじめてだった。もちろん数珠はしないし、献花の方法からして違う。そして、何かことあるごとに、みんなで賛美歌を歌う。

この賛美歌がいい。

全体がなごやかになり、温かい雰囲気に包まれる。

何かの都度、「アーメン」と祈りを捧げる声がひびく。

そのたびに場が引き締まる。ひとつになる。

なかなか、いいものだった。

美馬牛教会は、今年中に再建されるという。

日曜日の朝には美馬牛の里に賛美歌が聞かれるだろう。


2009年4月19日(日)

台湾、それから四万十川

皆様、しばらくぶりです。

遅い正月休みをいただきまして、少し旅をしてきました。台湾と、四万十川に行ってきました。

 

◆台湾はおそるべき食道楽の国でありました。24時間ともかく圧倒されました。

 僕のお気に入りの生春巻の屋台 1個100円

 こちらはスイーツ 蜜と黒ゴマの蒸し菓子 1個60円

 とりあえず、ご飯いただきましょう。全部で360円

 昼も夜も・・・

 常にパワー全開!

 

◆ところかわって四万十川です。太平洋から源頭部まで流域を遡ってきました。

これが有名な、キング・オブ・酷道。 国道439号、通称「与作」です。旧吾川村にて。

 酷道の王様は、こんなカンジです。

 やっぱり、こうなるんです。睨みを利かせる軽トラ。

 「イェ〜ィ!」 僕は、チャリダーです。

 海も山も・・・

 美しすぎます。

 

旅はいいですね。


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