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ガイド日誌、しばらく休みますzzzz

美瑛も十勝連峰もオフシーズンに入りました。

12月中旬までこの「ガイド日誌」を休載します。

店舗は11月6日(日)までは細々と営業していますが、カラマツの紅葉が終わるころ店舗も御休みに入ります。

なおガイド日誌はクリスマス前後に休載中の記事をふくめて再開の予定です。また「ガイドの山小屋」の業務全般は、HPのトップページに案内のありますように、11月7日から12月22日まで休業いたします。そしていよいよ12月23日からは冬プログラムに衣替えして今季の活動を開始する予定です。

この冬は、「しゃちょ〜」こと僕と、おなじみの「U田」の2人で3月下旬までのパウダーシーズンを皆さんとともに遊び倒す予定です。また知床のイケメンガイド「ニッシー」もちょこちょこ遊びに来たりするんではないかと思ってます。

それではみなさん、よい晩秋をお過ごしください。次にみなさんとお会いするころには美瑛も十勝連峰も真っ白な白銀の衣をまとっていることでしょう。いやあ、それにしても待ち遠しいですねぇ。

ご愛読ありがとうござしました。


2005年10月18日(火)

さようなら1号車

この夏には寂しい別れがあった。

僕が駆け出しのプロガイドだった97年ごろ、いよいよ念願の「ガイドの山小屋」を開業することになり、店の名前入りの車を新車で購入したのだ。設立したばかりの会社の資本金300万円を投じて購入したピッカピカの10人乗りの小型バスのような、トヨタ・ハイエースというワゴン。毎日、参加者を満載してガイドツアーに出発していった。ピーク時には週4回、紅葉シーズンには週6回も富良野岳または十勝岳に登山していたし、冬でも同じくらいの頻度で山に入るので、この日誌を見る方のなかには「ガイドの山小屋」という冠の入ったそのハイエースを十勝連峰のどこかの駐車場で見たことがある人もいるかもしれない。

この夏、とうとう、その最初のハイエースと別れる日がきた。今、ガイドツアーの中心になっているのは3台目のハイエースなのだが、この1号車はいまだ無事故で故障がなく、隅々まで非常に程度がよいので予備として維持していたのだ。こいつはまだまだ10年は無故障で働いてくれると思う。よく車には当たり外れがあるというが、この1号車はまさに「あたり」だったと確信している。

それでも別れがやってきた。この春に決めていた新規事業への参入を急きょ取りやめたので、必要になるはずだった1号車が不要になってしまったのだ。プライベートの車は別にあるから1号車は完全に余剰要員に陥ってしまい、リストラの対象になってしまったというわけだ。もう事業を拡大しないという決意の現れもあったかもしれない。

誰かこの車を必要としている人がいれば安く譲ろうと思い、しばらくはHPにささやかに広告を出していたのだが、反応はなかった。そこで、もしかして高いのかな?と思って試しに中古車売買で有名な「ガリバーの無料査定」を軽い気持ちでお願いしたのだ。

「いくらで売りたいのですか?」と、査定にきた営業マン。

「いちおう50万円で広告を出していたのです」と、僕。

ああ、いいですよと、ほとんど検討する暇もなくあっという間に引き取られることになってしまった。しまった〜・・・もっと高く売れたのかもしれないと気が付いたが、あとのまつり。やはり非常に程度がいいことと整備手帳などのメンテの記録が完全だったことABSやエアバッグが装備されていたことが即買取の決め手になったらしい。10万キロも走っていたのに、ちょっと驚きだった。

あっという間にイケメンの整備士ふうのお兄さんがやってきて、一礼すると僕の1号車に乗って走り去ってしまった。去っていく1号車の後姿を見るのは辛かった。8月上旬のある夕方のことだ。

あれから2ヶ月が過ぎたが、今でも走り去っていく1号車の後姿がまぶたに焼き付いて離れない。開業以来の怒涛の数年間を共に走ってきたパートナーだったのだ。楽しいこともあったがあまりにも苦労が多くて思い出したくない日々なのだが、1号車だけはいつも僕のそばにあって裏切るということがなかった。だから、もう用がないからと、たった50万円の端金で手放すべきではなかった、多少無理をしてでもそばに置いてやればよかったと後悔した。あの車もきっと僕のそばにいたほうが幸せだったのではないかと、人格があるはずもない1号車に対してそんな感情をもったのだ。

なぜかはわからないが、自分は間違った決断をしたような気がしてならない。できるものならば取り戻したい。あいつは僕の、かけがえのないパートナーなのだ。

いま、とてつもなく寂しい。

いまどこにいるだろうか。営業マンの話では海を渡ったらしい。


2005年10月17日(月)

スタッドレスタイヤ

ついにタイヤを交換した。僕なりの「雪ごい」の儀式でもある。

除雪機もスタンバイした。タイヤも交換した。あとは雪が積もるのを待つだけなのに、まだ当分降りそうな気配はないなぁ・・・。

きょうから十勝連峰の望岳台(美瑛町)―吹上温泉(上富良野町)を結ぶ道路が冬季閉鎖に入った。しかし、右を向いても左を向いても氷もなければ雪のかけらも微塵もない。いまだ紅葉がなかなか美しい。

いったいどこが冬やねん

 


2005年10月16日(日)

雪が降らない

例年であればそろそろ平野にも初雪がある頃。しかし、いまだ雪が降る気配はない。

今月の初めには十勝連峰もいったん冠雪したのだが、白いものはもうとっくに消えてしまった。一足さきに雪化粧していた旭岳もまた、数日前には完全に雪が消えた。いつの間にかもう10月も後半に入ろうとしている。そろそろ雪が欲しいこの頃だ。

昨年は10月末に寒波がやってきて平野にもまとまった積雪があった。なかなか降り止まないものだから、さあこれから自転車旅行に出かけるぞと待ち構えていた僕をさんざん悩ませたものだが、今年はまだそんな様子が微塵もない。だいいちあたたかすぎる。

きょうもいい天気で十勝連峰の稜線がくっきり見えていた。夜になると満月が光り輝いていた。夜中にはめっぽう冷え込むが、それでもまだ霜が降りるほどではない。

99年なのか2000年だったのか記憶は定かではないけど、そのころ実施していたカヌーのツアーが雪に遭ったことがある。あれは確か10月上旬の体育の日前後の連休で朝8時からのカヌーツアーは満員のお客さんを連れて元気にガイドの山小屋を出発していったのだ。

「雪景色のカヌーだね〜」

「キャ〜きれい!素敵っ!」と、黄色い歓声に包まれたツアーご一行。

しかしながらこの一行を悲劇が待ち構えていた。

雪が積もると河畔林の木々が雪の重みでズッシリと垂れ下がる。河畔林はヤナギと白樺を中心に構成されているが、この時期はまだ紅葉半ばの葉が存分に繁っていて、降り積もった晩秋の水分に富んだ重たい積雪がズッシリと木々に圧しかかったのだ。それによって木々はさらにダラリと垂れ下がり美瑛川の決して広くはない水路はそんな垂れ下がった木々にそこここで分断されてしまった。そうとは知らないカヌーツアーのご一行。キャーキャー楽しそうに川を下っていく。流れの速い美瑛川はカナディアンカヌーにとっては常に刺激と興奮にあふれている。そのスリルがまた楽しいのだけど・・・。

午前9時頃、気温5度。リバーガイドPが漕艇するアパラチアン2号艇が川幅いっぱいに垂れ下がった白樺に煽られるように転覆、乗員3名(ガイドPと女性2名)が美瑛川に投げ出された。いや、まあ、川は意外と浅いので、あっさり立ち上がることができたのだけど、しかし雪景色のなかでビショ濡れというのは、ちょっとタイヘンだっただろうと思う。

それでもその後ツアーは何事もなく続けられたというから、いったん修羅場をみた人間というのはやたら強いものらしい。のちに妙にハイテンションな人たちがガイドの山小屋に帰ってきたのだが、もちろんビショビショなのに超ご機嫌だったと記憶している。そのときは笑って一行を迎えたものだけど、今おもえばちょっと冷や汗モノの出来事だったと思う。

雪ってみんなを幸せにするものなんだろうか?それはそうと、早く降らないかな?ただし、雪景色カヌーには要・注意だ。

ガイドの山小屋のカヌーツアーは2001年に好評のうちに終了した。現在、ガイドの山小屋で使用されていたカヌーおよびラフティング用ボートは釧路川源流域でガイドツアーに使用されており今も元気に活躍しているらしい。


2005年10月15日(土)

ちゃんちゃん焼

秋はスーパーに行くのが嬉し楽しい。秋は何を食っても美味いからスーパーでの買い物が狂おしいのだ。あああ、食いてぇ〜〜、と呻きながら身をよじりながら買い物をする。また、そう感じる食材があれば迷わず買わなければならない。そういうときは、これが出会いの運命なのだと思わなければならない。また、そういうときは買ってもまず失敗するということがないように思う。

きょう僕の「運命」は「鮭」だった。北海道ふうに呼べばアキアジ。なぜ鮭のことをアキアジと呼ぶのかはわからないが、北海道にもっと溶け込みたいボクとしてはぜひアキアジと呼ばせていただきたい。アキアジ!う〜ん、北海道だ。

そのアキアジは半身に切られて売られていた。半身だから結構でっかい。頭から尻尾の先まで60センチ近くもある。頭まできれいに真っ二つなのだけど、鮭特有の尖った顎がなんともいいかんじ。身は真っ赤で光沢を放ち、ヒレもピカピカしていて、まさに「いま近海で獲ってきたばっか!」というカンジだ。まったくもうピチピチしそうなのだ。これは、こういうのは買わなければいけないだろう。

そのでかいアキアジの半身が、なんとたったの680円なんである。680円ですよ。塩鮭ならば30切くらい取れるだろうか。ちなみに塩鮭の作り方はめちゃめちゃ簡単で、この半身の鮭に一握りの塩をまんべんなく振ればそれだけでいい。ほんの一晩なじませば旨い塩鮭の出来上がりだ。あまり塩が浸かり過ぎないうちに食うと特にうまい。焼くときは皮をこんがりカリカリに焼き枯らすと身が締まり、これまた旨い。皮までおいしく食べられる。

さて、半身のアキアジの身の処し方について話そう。僕は想像力豊かなので、鮮魚売り場でこいつに出会ったときから、ああして、こうして、こんなことしちゃって、あっは〜ん。みたいな想像を張り巡らしておいたから、話はカンタンなのだ。いろんな想像をしながら買い物をするのは楽しいもんですね。

さて、アキアジ氏が台所にでんと載せられた。ニヤニヤいやらしい笑みを浮かべたボクが近づく。と、いきなり包丁でドンと真っ二つに叩き斬った。そしていきなり皮を下にして鉄板に載せてしまった。そこへ、エイやっと赤味噌ベースの味噌ダレを塗りたくる。塗り塗り塗り塗り、塗り塗り塗り・・・。

塗り終わったら、まずタマネギを載せていく。タマネギは身に密着させるように載せていく。その上にエノキやらシメジやらシイタケをのせていく。載せるのはやっぱり大量がいい。鮭の身が見えないくらい載せるのがうれしい。

鮭の身がすっかり隠されてしまったら、火をつけるのだ。盛り上がった物体はアルミホイルやら巨大な鍋やら、何でもいいから密着性の高いもので蓋をしてしまおう。そのまま30分の蒸し焼きだ。じりじりじりと焼き続けるのだ。

その間にボクは長ネギを刻む。これはお好みでいいのだが、こいつができあがったときには赤味噌が香ばしく焼けているので、焼いた味噌には葱だよと信じているボクとしてはぜひここは長ネギ刻みを主張したいと思う。焼けた赤味噌に長ネギまぜて、こいつをゴハンに載せたなら、う〜〜〜ん、こりゃたまらない旨さなのだ。

さて、30分、いや、もうちょっと長くてもいいだろう。ただ、焦がさないように気をつけなければいけない。そのころになると味噌がほんのり焦げるような香ばしい香りがあなたを狂わせているころだと思う。狂ってください骨の芯まで。ええ、もう少しですからね〜。

よ〜し焼けたなと思ったら、腹ペコが待つテーブルに一気にこいつを運ぼう。そして大胆にホイルを破るのだ。立ち上る湯気。ジュゥ〜クツクツと今だ沸騰を続け香りを発し続ける味噌ダレにみんなの目は釘付けになるはずだ。このとき歓声というかどよめきがあがるに違いない。気の弱いヒトならばきっと失神するね。うん、間違いない。

金属のヘラを取り出そう。せっかくの美しいアキアジだが、これからグチャグチャにこねくり回すのだ。まずはガンガンガンと縦にヘラをいれて切れ目をいれる。急激に温度が下がるから、ボクはここで素早く刻んだ長ネギを投入することにしている。品のいい食べ方をするならば、ここで形を崩さずに皿へと取り分けるのだが、おいしく食べたいならば、さらにこねくり回さなければならない。

熱い蒸気のような激しい吐息を吐きながら、鮭は君に語りかけるだろう。めちゃめちゃにして〜ん、と。おおよしよし、お言葉に甘えようではないか。ここで引き下がればオトコが下がるというものだ。めちゃめちゃにするのだ。よし!

金属のヘラでがんがんがん!ぐあっぐあっと鮭の身を切り刻み、上下左右に具材を混ぜ混ぜする。焼けた味噌が素早く馴染んでいく。このとき飛び出してくる巨大な骨などは取り除いてもいいだろう。食べるときにラクだから。冷めてしまったら味が落ちるから、作業は素早く行う。また、このとき観衆からは早く食わせろと脅迫じみた野次も飛ぶはずだから、否応なく急ぐことになるはずだ。ただし気をつけなければならないのは、ぐっちょぐっちょになるほど混ぜすぎないこと。おいしいけど、ねっちょねっちょの物体では、さすがに食欲が落ちてしまうからね。そこそこ固形は残しておいて。

さあ、混ざったかな?それでは思う存分腹いっぱい食っていただきましょう!

北海道の秋は幸せだ。

*  *  *  *  *

《味噌ダレの作り方》

赤味噌と普通の味噌が3:1の割合、これがベース。基本は漁師料理なのでこれだけでも充分。味噌だけで作る家庭も多い。お好みでこのベースに醤油、砂糖、味醂を加えて味を調える。甘めにしたほうが美味しいし、また味醂は味をまろやかにするので欠かせない。醤油は香りを増す。

《残ったちゃんちゃん焼は?》

すでにぐっちょぐっちょ物体になっていると思うので、思い切りぐっちょぐっちょにしてよろしい。これを一口ハンバーグのようにまとめる。刻んだ長ネギをのせてごま油をひいたフライパンで両面を焼く。ちょっとした酒肴になるだろう。


2005年10月14日(金)

病院へGo

妻の通院に付き添った。車で40分、旭川市にある医科大学の付属病院に妻は通っている。内科系の病気治療と、それから彼女のお腹のなかには3人目の子供がいる。2科に通わないといけないから、なかなか忙しいのだ。

妻の運転手ついでに僕も耳鼻科を受診することにした。薬局で市販の薬を買うよりも受診してから薬を出してもらうほうが断然安いのだ。調子にのって1ヶ月分もらう。滅多に飲まないくせにもう治った気分になるから不思議だ。

さらに医大病院の隣にあるリハビリテーション病院にも行く。この冬に僕が3ヶ月入院した病院だ。すっかり良くなりましたねと先生に言われた。なんだか褒められたような気がして嬉しかった。

朝早く行ったにも関わらず、妻の診療が終わったころには昼を大きく過ぎていた。それにしても病院とはいえ2人でいるのは随分と久しぶりであることに気が付いた。まるで病院デートじゃないか。待合の時間にも英会話クイズなどで結構楽しく時間を過ごす。

「ホワッツ ザ マター」の意味は?と、妻。

「その股は何ですか?」と、答える僕。馬鹿ですみません。

なんとなく楽しい気分になったので、神楽岡にあるお菓子屋さんSUN蔵人に、大好きな饅頭を買いに行くついでに隣にあるフランス料理屋でランチを楽しむことにした。ちょっと服装がラフすぎるとは思ったが、ランチだからまあいいだろう。僕はモンベルのジャンパーにウェストバックという格好。イケてないと妻が文句をいうが、嬉しそうだ。僕は魚のソテーを、彼女はチキンのトマトソース煮をオーダーした。食後のフルーツのタルトが運ばれてくるころには窓の外は雨になった。ポプラ並木が強い風に揺れている。

憂鬱になりがちな病院通いだけど、夫婦でいくと結構楽しかったりする。また、家にいるときは忘れがちだけど、一緒に病院に通うとお互いに相手のことを思いやるという気分が沸いてくるような気がするのだ。

 


2005年10月13日(木)

MTBでGo 城砦に興味津々

きょうは美馬牛からいったん美瑛に向かい、ケンとメリーの木、セブンスターの木、親子の木といった豪華観光名所ゴールデンコースをMTBで走ってみた。気分はすっかり「るるぶ」なわけだ。ルンルン♪

ビート(砂糖大根)の山。まるで石垣みたいに巨大なものもある。親子の木の近くにて

自転車の観光客とすれ違うことがあれば手をふって喜びを分かち合ったり、出会いふれあいなど期待していたのだが、どういうわけか誰にも会わない。レンタカーだってほとんど見かけない。なるほど、どうりて暇なわけだ。レンタサイクル屋の経営者(僕のことですね〜♪)が店を空けちゃって遊びに出かけてしまうくらいなのだから。ルンルン♪

仕方がないので意地になってバンバン飛ばす。トレーニングじゃ〜、みたいなムキな世界に自分を追い詰めてみる。でも、すぐに馬鹿馬鹿しくなってダラダラモードに突入してしまう。僕は飽き性なのだ。あまり頑張らない。

あまりダラダラしているものだから体が冷えてきた。夕方16時近くなると、めっぽう冷え込むのだ。さすがに半袖ではきつくて鼻水がとまらなくなった。

眺望がすばらしい。ところで言うまでもないがこの眺望の主役はヒトが作り出した農地であって「雄大な自然」ではない。このへんを勘違いしている人が意外に多いことには閉口するが、新ためて認識してほしいのだけどここに広がる景観は農業の姿であって自然の景観ではないのだ。

だから年々姿を変えていくし、場合によっては観光にふさわしくない変化もあるかもしれない。景観云々を語る人のなかには、例えば農地を整地して平坦にする事業に激しく反対する人がいる。まあ観光客が言うならば無邪気なものだけど、どういうわけか観光業者のなかにも笑えない強硬反対派がいたりする。

でも、よく考えてほしい。開拓第一世代の人たちが生きるために血の滲む思いで猛獣と吸血虫の棲みかであった原野を開いて農地を伐り拓き、その子孫が受け継いだ農地をさらに良くしようとする努力に対して「景観が悪化する!」などと文句をいい、己の利益のみに固執して反対運動に精を出すというのはいささか無神経で無責任すぎるのではないか。まったく馬鹿馬鹿しい。

原風景のままでいいじゃないかと僕は思う。観光に媚びない原風景だからこそこの美しい景観が生まれたのだと思うのだ。もしも観光業界の言いなりになってしまえば、あるいは美瑛は全域が下品な「観光お花畑」になってしまうかもしれないじゃいないか。そんなの気味が悪いし、ありえない。

観光業の手で風景をコントロールすべきではない。これは自然環境についても同じことがいえるわけで、たとえば知床に大規模な熊牧場が開設されるという笑えない話も現実味を帯びてくるわけだ。僕は半ば本気で心配しているのだ。近い将来、知床には熊を観るためのサファリパークが出来てしまうのではないだろうかと。まったく愚かな話だが、全くありえないとは言い切れない。日本の観光業というのはせいぜいその程度の成熟度にすぎない。さらに利害関係や政治的思惑が魔の触手を伸ばしてきて人の心を蝕もうとする。美瑛、知床、屋久島。どこも同じだ。悲しいことだけど。

ああ、話題をかえよう。秋は気持ちいいよね〜。ルンルン♪

ところで秋は農作業が忙しい。じゃがいも、にんじん、豆類。毎日どこの畑にも収穫に精を出す人たちが見られる。10月中旬のいまはビート(砂糖の原料になる大根のようなもの。甜菜てんさいとも言う)収穫の全盛期で、あちこちの畑では急ピッチの収穫が行われている。ハーベスター(特殊な収穫車両)の行進をみた。めちゃめちゃ旧型のボンネット型トラックが現役で畑のなかを走りまわっている。丘のあちこちにはまるで石垣のような、一見すると小規模な城砦と見違えるような巨大なビートの山が築かれていた。

16時を過ぎると気温がどんどん下がり、どこからともなく雪虫が大量に沸いてくる。雪虫というのは羽虫の1種なのだが、尾に暖かそうな真っ白な綿がくっついていて、この虫が舞うとまるで純白の雪が舞っているように見えるのだ。そして、この虫が舞うと2週間ほどで初雪があると言われている。

しかしながらこの雪虫には参った。MTBで走っているとき、鼻やら口やらに遠慮なく飛び込んでくるのだ。息を吸うと一緒に雪虫を吸い込んでしまうから何度も激しく咳き込んだ。ゴーグルをしているから目には飛び込まないけれど、ゴーグルがないとさらにタイヘンだろう。目のなかが雪虫だらけになってしまう。

雪虫の襲来に苦しみながら坂道を駆け下りて国道を横断して、美瑛の市街地に戻った。ここまで来ると雪虫もサンドフライ(吸血虫、ブヨのこと)も追ってはこない。ほっとした。さらにここから美しい夕焼けが見られることで有名な新栄の丘を通り、美馬牛に戻ったのは出発してから2時間ほど経ったころだった。

本日の走行距離は37km、楽しかったが、とっても寒かった。自転車の季節もそろそろ終わりだろうか。

 


2005年10月12日(水)

紅葉うどんとカメムシ

きょうは快晴であたたかな日本晴れの1日になった。今朝のMTBダウンヒルツアーで望岳台へ向かったら、あまりに紅葉が美しいことに興奮した。お客さんそっちのけで「すっげ〜すっげ〜!」とわめく僕はアホそのものだっただろう。でもそれくらい美しかったのだ。今年は高山帯の紅葉は平年並みくらいだったが、中腹〜山麓にかけての紅葉は当たり年であることは間違いない。きっと今週の中頃がピークだろうと思う。

ガイドの山小屋に戻ってから僕は叫んだ。

「山に行こう、いますぐ!」

弁当をつくり折りたたみ椅子やら何やらを車のトランクに放り込んだ。オフィスには臨時休業の札を出した。こんな機会は滅多にない。きょうの売上のことなんかどうでもいいのだ。きょうの売上よりも1年に1日だけしかない今日という日を逃すほうがはるかに惜しいと思う。

昼飯を食う場所はあらかじめ目星をつけておいたから迷うことなく車をそこにつっ込んだ。車に放り込んで連れてきた妻と母はキャーキャーウッソーウッソーホントニィとか騒ぎながら全身全霊で紅葉を喜んでいる。一方で僕はうまい昼飯を食うことに全力で立ち向かう。

僕は思う。「紅葉」といえば温かいソバかうどんがいい。あるいはコーヒーではなく「緑茶」、あるいは「抹茶」だ。さらには、SUN蔵人(旭川市)のおいしい田舎まんじゅう「釜蒸し蔵」などあればもう言う事がない。カンペキだ。

きょう、僕は弁当にと「さぬきうどん」を作って持ってきたのだ。本場讃岐に暮らす義母から送ってもらった石丸製麺所のうどんはやや固めに茹でて冷や水で〆てドンブリに落とした。ワカメととろろ昆布、温泉タマゴと牛肉しぐれ煮、それから刻んだ細葱をのせてラップで封をした。ダシはカツヲでとり、薄口しょう油で仕上げた。あつあつのダシはステンレスの水筒に詰めて持ってきた。このダシをうどんに注げば、たちまちアツアツのうどんが食える。現地で作るより断然早くてしかもウマイのだ。

望岳台道路のすぐ上、眼下に紅葉を眺める高台でテーブルと椅子を広げて、手にはドンブリをもち、僕らはアツアツのウドンをすする。うまい。やはり紅葉見物にはあつあつウドンに限る。

そのとき事件が起こった。

うまいウドンを3分の1ほど食ったあと、僕はいったんテーブル(というか箱のふた)にドンブリを置き、再びウドンに立ち向かったのだが、いよいよ具を食いはじめたとき、口のなかに何やら妙な匂いを感じた。それは牛肉のしぐれ煮の香りではない。邪悪な気配を感じたのだ。

んん?

このグリーンな香り、もしかして・・・!?

おえ〜〜〜〜!たまらず吐き出しましたねオレは。なんとキタナイと言うことなかれ。この匂いに耐え切れるヒトは人間じゃあありません。間違いない。

ドンブリの中をよ〜く見ると、やはりいらっしゃいました。温泉タマゴの脇に三角のオシリが飛び出しておりまして、そうそう、カメムシ!カメムシさんが頭を美味しいカツオだしにつっ込んだ姿勢のままで果てていました。あああ〜なるほどね、このグリーンな香りはカメムシさんの屁だったんですねえ。

みなさん、カメムシの屁、知ってます?強烈なんッスよコレが。こんなもんが口ん中に入っちまったら、たまんないっす。

いやあ秋ですねえ。カメムシの季節でございます。おいしい讃岐うどんはカメムシの好物らしいので、屋外で食うときは気をつけてくださいませ。

おいしい讃岐うどんを中途半端におあずけさせられた僕はなんだか納得がいかない。自らの不機嫌を諌めようと山の帰りに美馬牛のベーカリーカフェ「ゴーシュ」に立ち寄って、うまそうなパンを4種類買った。焼きたてでいい香りのするバケットをほとんど1本食べ終えてようやくカメムシ・ショックから立ち直り機嫌が直ったのだった。


2005年10月11日(火)

MTBでGo カントリー・ロード美瑛町大村付近

きょう夕方、パッチワークの丘をMTBで走っていたときのこと。なんとなく砂利道が走りたくなったのでフラリと農道に入った。そこは町営スキー場の上部に向かう農道だったので、そのまま進めば「星の庵」という民宿の裏に出るはずだと検討をつけた。その砂利道は畑のなかを貫いていて、道路から見るとまるで丘の風景のなかに吸い込まれていくように見えた。おりしも空は一面の夕焼けだったから、その道を進めば夕焼け色に染まった風景の真っ只中に溶け込んでいくような気がして、とても魅力的に思えたのだ。

マウンテンバイクだから砂利道といえどもあまり問題にはならない。しかしながら舗装道路と比べると抵抗が大きく疲労度は増す。でも、きょうの僕はデコボコを避けながらジャリジャリと走ることが妙に楽しかった。最初のうちはよく締まった砂利で凹凸も少ない道だったが、奥まって行くにしたがってデコボコがひどくなってきた。砂利道というか踏み固められた泥道という感じになってきた。おまけに牛糞の匂いがあたりに少々漂うが、しかしながら思ったとおり、すばらしい眺望が開けていた。

左には牧草地が広がっていて乳牛がのんびり草を食んでいた。牧柵がタテヨコに並んでいて向こうまで続いている。ところどころにひとかたまりのカラマツ林がある。冗談のようなメルヘンチックな風景で、見ている僕のほうが恥ずかしくなってしまう。振り返ると西の空は真っ赤に染まっている。

やがて道は右に折れていく。左が雑木林、右はジャガイモ畑だ。ジャガイモ畑はもうすっかり収穫が終わっていて掘り返された土の香りがあたりに漂う。雑木林にはたくさんの山葡萄のたわわな房があちこちにぶら下がっているのが見える。山葡萄もマタタビも蔓アジサイもすっかり紅葉している。

道は小刻みに上下して、ところどころに水溜りがある。慎重にぺダルを漕ぐが水溜りは避けて通れないから、つっ込むたびにタイヤをとられてしまう。タイヤがグチョグチョ、ジャリジャリと音をたてて泥を巻き上げていく。MTBに泥よけを取り付けていなければひどい目に遭うところだった。特に前輪に泥よけを付けていなければ、跳ね上げた牛糞入りの泥水しぶきが顔面を直撃してしまうのだ。まあ、「運」が付くということで縁起はいいかもしれないけど。

間もなく思ったとおり旅人宿「星の庵」の裏に出てきた。趣味のいいウッディな建物の脇を抜けると道はフラットで締まった砂利道になり、断然走りやすくなった。それにしても気分のいいトレイルだった。僕は満足してスピードをあげて、舗装道路に出ると留辺蘂方面に進路をむけた。 雑木林のなかに伸びていく下り坂、この坂を一気に降れば美瑛川の渓谷に出るのだ。

美瑛にはこんな素敵なカントリー・トレイルが無数にあるから嬉しい。

 

注:車やオンロードバイクで立ち入らないように!!!路面状況がよろしくないのでハマったり、ヒドイ目に遭うかもしれない。


2005年10月10日(祝)

サイクルメーター

きょうは美瑛町の南、留辺蘂・二股方面に出かけた。ガイドの山小屋をMTBにまたがって出発したのがすでに夕方 だったので帰ってくるころには真っ暗になってしまい、ついにライトのお世話になった。秋の夕暮れはつるべ落としのごとく、あっという間にやってくる。

赤い楕円形のものがサイクルメーター

サイクルメーター。またはサイクルコンピューターとも言う。これは簡単にいうとスピードメーターそのものだ。スピードが表示され、走行距離や走行時間、最高速度などがメモリーされる。僕がチャリダーになった高校生のころ(約20年前)にはすでに存在していたが、これまで見向きもしなかったのだ。高かったこともあったが、別に最高速度に興味はなかったし、それに僕はどうやら精密機器の類に若干の苦手意識がある。パソコンを始めたのもデジカメを手に入れたのも、つい3、4年のことで、もちろん今でもテレビはブラウン管だし、カメラ付ケータイを買ったのもつい先日のこと。まったくのアナログ人間なのだ。

そんな僕だったがこのMTBを買うときについ気が大きくなってサイクルメーターを買ってしまったのだ。これまで無くても全然困らなかったから、全然興味がなかったのだ。買ってみたのはいいけど「ちょっと衝動買い、たぶん使わないけどネ」みたいなカンジだったのだ。ところが、である。

使ってみてこれは非常に便利なものだと理解できた。まず、いま自分が使っているギア(変速)が適正であるかどうかがひと目でわかる。どのギアが最適なのかは変速したときの微妙なスピードの変化によって理解できた。これまでは感覚に頼っていたので、時には誤っていたこともあったはずだ。これは登坂時のギアチェンジに威力を発揮するから非常に合理的だ。

また、走行距離が表示されるのもいい。これまでは道路標識などによって走行した距離を知ったのだが、北海道などのように広くて標識類の少ないところでは、いったん何も無いところに立ち止まると、いったい自分がどの辺りにいるのか掴めないことがあるのだ。そんな時もサイクルメーターがあれば区間距離から現在地を逆算することができる。また、出発から何何キロ走行したという情報を得ると頑張りも沸いてくる。辛いときには下を向いて道路ばかり眺めているものなので、かわりにメーターがどんどん距離を増していくのを見ていたなら、よし、あと何キロ頑張れば次の町に着くという具合に元気の源になるだろう。これはありがたい。さらにGPSがあれば完璧だけど残念ながらGPSは現在はまだ日本など一部の先進国しか網羅されていない。将来この問題が解決されれば、旅人にとってGPSはなくてはならないものになると思う。

サイクルメーターは5000円〜7000円くらいのものが中心。かつての僕のように「けっ!」と思っているヒトでも導入してみると目からウロコになることうけあいだ。決して高くはない。ああ、それからそこの奥さん、もちろんママチャリにも装着可能なので万歩計のつもりで付けてみるのもいいかもしれないですよ。

 


2005年10月9日(日)

秋の夕暮れ

夕方になって仕事が暇になったのでMTBで出かけてみた。坂を一気に駆け上ったり下り坂の激走を楽しんだり、完成したばかりで開通していない新しい道路を勝手に渡り初めたり、そんなことをしながら夕方のサイクリングを楽しんだ。空は茜色に染まっている。

夏と比べて秋の空というのはなぜこんなに夕焼けが美しいのだろう?夕焼けが色移りして赤とんぼができるのだというおとぎ話もまんざらでもないと思う。薄紫色の混じったような茜雲が空いっぱいに広がる。十勝連峰の山々が夕焼けを映し出して「でん」と据わっている。噴煙はなかなか景気がいい。

気温が低い。走り始めて15分くらいは手先がかじかんで辛かった。自転車のグローブには指先部分がないから、冷えてしまうのだ。でもそのうち体が温まってきたので手先も気にならなくなった。

夕焼けを見物するためにあちこちの丘の展望所には人が集まっている。それにしても一人で静かに夕焼けを眺めている人というのはあまり見かけないもので、カップルか、または何人かのグループになってガヤガヤと集まっている。彼らを見ているとみんな寂しがり屋さんなんだなと思う。

一人だけ、静かに西の空を眺める女性を見かけた。年齢は20代後半くらいだろうか。遠目で見る横顔は夕焼けに映えてなかなか綺麗な人に見えた。かっこいい。いや、冷やっとするような凄くイイ女に見える。

その人と少し話をしてみたいな、という思いが脳裏をかすめたけれど、思いとどまった。誰にだって静かに一人で過ごしたい時間があるし、きょうの夕焼けはそれにふさわしいと思えた。いまこの瞬間の貴重な時間を他人によって突如乱されてしまうことは彼女にとって不幸以外の何物でもないだろう。誰にだってそういう時はある。

やがて辺りには闇が漂い始めた。その人はまだ遠い西の空に残る僅かな光を見つめていたけれど、僕はふたたびペダルを踏んで走り始めた。ここからは駆け足で迫りくる闇との競争になるからペダルを踏む足にもギュッと力がこもる。何台もの車が僕を追い抜いていくが、夕暮れ時というものは自転車の姿は見えにくいだろうからきっと迷惑なヤツだっただろう。しかしながらMTBの調子はいい。変速もスムーズだし、チェーンの軋みも少ない。フレームにもブレがなく、何もかも快調。このままどこか遠くに走っていってしまいたい気分になる。

美馬牛小学校がある丘を登る急坂をヒイヒイ喘ぎながら上りきったときには辺りはほとんど真っ暗になっていて、周辺の建物はシルエットを残すのみになっていた。ようやく家にたどり着き、MTBから降りたら、いきなりフラッとよろめいた。さらに階段を登ろうとすると、膝がガクンと折れた。

ただいま〜とドアを開けると妻が作る夕飯の匂いが鼻をくすぐった。下の娘が「パパ〜!」といいながら走り寄ってくる。この瞬間で、僕はいつもの父ちゃんに戻ったのだ。


2005年10月7日(金)

冬の準備

いよいよ冬の足音が迫ってきた。いよいよ冬準備の季節の到来というわけだ。レンタルの自転車をガレージの奥にギッシリと詰め込んで、奥から除雪機を引っ張り出す。半年ぶりに眠りを覚ますためにバッテリーに充電して新鮮なガソリンをたっぷり注ぎ込みエンジンのテスト運転を始める。入れ替わりに冬眠に入るオートバイもエンジンを燃焼させておいてからバッテリーを外して自転車と一緒に奥に押し込んだ。また草刈り機は残り燃料を消費するために季節はずれの草刈りを少しばかりする。そのほか、あれこれ除雪道具を引っ張り出して手入れした。

暖房用ボイラーの試験燃焼を行ったり、暖炉の調子をみたりする。いまのところすべてオッケー、幸先がいい。あとは車のオイルやタイヤを交換すれば何とかなるだろう。そうこうしているうちに、いつの間にか冬になってしまうのだ。

秋が深まり店が暇になったものだから、これを待ってましたとばかり本州から母が遊びにきた。窓からは雪を頂いた旭岳が見えるものだから「旭岳に連れてけ」と言う。それを聞いて長い入院生活から開放されたばかりの妻も「層雲峡温泉に連れて行け」と言う。さらには間もなく妻の両親もやってくる。なんでも12月まで滞在するらしい。こうなったら僕は居場所がなくなってしまうので、冬準備が済めば旅行にいこうと思ってる。

バッタと赤とんぼとてんとう虫が大量にうろうろしている。夕方には、雪虫が舞っていた。まもなく平野にも初雪があるかもしれない。


2005年10月3日(月)

祝・初冠雪!

あまりにも暇なので午前中は 登山用の灯油やガソリンのストーブを分解掃除したり残り燃料を燃焼させたりして遊んでいたのだ。天気は曇りで、たまに日が射す程度。肌寒いので僕はもうフリースを着ている。コインランドリーにやってきたバイク旅のお兄さんはカッコいい革ジャンに身を包んでいるのだけど、「さぶいさぶい!」とイケメン顔を強張らせながら呻いていた。秋も深まるこのごろ。

午後になって空が明るくなった。本格的に晴れてきたのだ。

ふと振り返ると、いつの間にか雲が消えて十勝岳連峰が姿を現していた。しかし、どうもいつもと様子が違う。標高1700m付近から上がおかしい。

「お!おおおおお・・・・!!」

ええ、ええ。祝・初冠雪です。おめでとー。もうすぐ冬ですね♪

写真はガイドの山小屋スタッフルームから見た風景 不鮮明だけど中央が三段山、左が十勝岳、右が三峰山と富良野岳の肩


2005年10月2日(日)

旅の荷物考

北海道におけるバイクやチャリ旅では、どういうわけか

「荷物が多いやつ=旅なれたやつ=偉い」

という不文律があって、この戒律はナゼかいまも忠実に守られている。だから尊敬されたいヒトとかキャンプ場で目立ちたいヒトはわざわざ荷物を多くする傾向があるのだ。テントの前にドカシートでターブを張ったり、中華鍋を持ち込んだり、折りたたみ椅子くらい当たり前なのだ。

いまの僕はなるべくシンプルに旅をしたいと思っているのだが、しかし、 昔はそうではなかった。僕の750ccのバイクは決して大きなバイクではないのだが、「これでもか、これでもか」というくらい荷物を載せていたのだ。ドカシート・ターブもあったしキャンピングチェアも持っていたし、中華鍋も持っていた。天麩羅油も持ち歩いていたし、まな板も包丁も、ちょっとした一人暮らしくらいの荷物が満載されていたのだ。

より快適に過ごしたいと思っていたこともあるのだが、やっぱりどこかで、そういうのが旅慣れたヤツの証しなんだと勘違いしていた時期があったのだ。まったく、今思えば恥ずかしいばかりだけど。

その昔、僕らの祖先は狩りの道具だけを持って旅をしていただろう。現在でも老練のマタギのなかには2、3合の米と小さなリュックひとつ、鉄砲かついで山に入り、何日も 山に篭もる人がいる。鉈1本だけで小屋作りから調理まで全てこなす。食料は自然のなかからいともカンタンに調達してしまう。登山好きの人のなかにはナントカ山の縦走では何十キロを担いだと自慢する人がいるが、30キロを担いで10日間の縦走をする登山者よりも5キロに満たない小さな幌袋を担ぎ腰には鉈を1本 ぶらさげて10日後にイノシシの肉を担いでひょうひょうと山をおりてくるマタギの爺さんのほうが絶対にかっこいいと僕は思うのだ。

マタギの爺さんにはとてもかなわないが、やはり荷物は少なければ少ないほうがいい。


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