ガイド日誌

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2005年5月31日(火)

どこまでも花花花花花花...  花の道

美瑛じゅう、どこにいってもおそろしいくらいに咲いている花。

タンポポ。

がやがやと、どこまでも咲いている。

道に沿って咲き乱れ、まるで黄色い縁取りをしているみたいだ。ほとんど途切れるということがない。

愉快で仕方がないといった風情を振りまいている。まったく能天気な花だ。

毎朝、次女を保育園に連れて行くために美瑛の丘をドライブする。美馬牛から美瑛まで、美馬牛小学校の丘をくだり、カラマツ林の間をぬけて途中では三愛の丘を通り、まっすぐの道を快走して美瑛川を渡る、とっておきの朝のドライブ。その間ず〜っとタンポポロードが続いているのだ。

このタンポポ、夕暮れが近くなれば花を閉じてしまう。朝になればまた開いて、大騒ぎの黄色を放出する。だから夕方はいまいちインパクトが薄いようだ。

ラベンダーを見に来る人は多いと思うが、タンポポに魅せられてやって来る人はほとんどいないだろう。タンポポ、どこにでもある。珍しくないから。

それにしても、これほどまでも大規模に咲くタンポポを僕は他に知らない。

観光農園に咲くラベンダーやポピーなんかよりも、大地の隙間という隙間から賑やかに顔を出してユーモアを振りまいているタンポポのほうが僕は綺麗だと思うのだ。

どこまでもタンポポの道。なんといっても圧巻だ。


2005年5月30日(月)

団体旅行のお仕事

これからはあまりガツガツと仕事をしないでおこうと思っていたにも関わらず、最近はやたら旅行会社からの問い合わせが多い。場合によっては主催プログラム以外のとんちんかんな依頼もあるのだが、いちおうは何でも用件は聞いておいて、それから心当たりのある然るべきプロガイドに依頼してしまうから僕はけっこう有難がられているのだが、それにしてもナゼこうも急に問い合わせが増えてきたのだろう?

仕事は楽しいのだが、仕事に至るまでの打ち合わせ、特にお金の話の詰めは苦手だ。どうせあれこれ駆け引きが長引いて最終的には値引きが目的の泥沼交渉に突入するのだから、時間の無駄だし互いに消耗するだけなので僕は最初から安い値段を表示するようにしているのだが、そこから値引きに入ろうとする強者もいてナカナカなのだ。

お金の話はやっぱり苦手だ。

それにしてもなぜこうも団体の問い合わせが多いのだろう?アウトドア産業は頭打ちだし観光客も減っているはずなんだけど。

それはともかくとして、お客さんを連れて歩くのは僕は好きだ。自然に関する雑談などしながら時々ギャグをかましながら面白おかしく歩くのだが、そんなときは自分も楽しい。若く美しい女性もいいが自分の親と同じくらいの女性たちとおしゃべりしながら歩くのは楽しいものだ。また、本州のアウトドアガイドや登山用品のショップの方、あるいは山小屋従業員など同業者と歩くのも楽しい。いろいろと共感することも多くて、とても盛り上がるのだ。

団体旅行は仕事に至るまでのやりとりは面倒なのだが、無事に仕事が成立したならば、フィールドでは色々な人に出会うことができる。それがとても楽しい。


2005年5月29日(日)

吹上温泉

朝から快晴の日曜日、きょうはMTBダウンヒルツアーの送迎のついでに吹上温泉で朝風呂を楽しんできた。

咲き乱れる桜と野の花と新緑のなかをドライブすること約40分、午前9時半頃には吹上温泉白銀荘に到着する。まだ入館開始時間直後だから、文字通りの一番風呂だ。

露天風呂の湯は晴れた空が反射してキラキラ光っている。わずかに硫黄臭のある澄んだ湯は5月の山の雪解け水を彷彿させ、あまりに透明で清潔であり、僕の体を浸すのは申し訳なく勿体無いと思えるほどだ。

振り返れば視界いっぱいに残雪の十勝連峰。たっぷりの雪に覆われて、まだまだBCスキーのシーズンが終わっていないことを感じさせる。 今年は雪解けが遅くて、今が例年のGW頃くらいの印象だ。あまりに魅力的なロケーションに奮えを覚える。足さえ自由ならば、今すぐにでも飛び込んでいきたい。

全身に朝の太陽の光を浴びながら透明な湯に浸る。冬以外の、しかも朝に温泉に入ったのはいったい何年ぶりだったろうか。幸せな気分だ。1月に大怪我をして 長い入院期間の間、つとめて前向きになろうとしたが、嫌なこともあったし塞ぎこむことも多かった。ちょっと北海道が嫌いになりかけたり、テレマークスキーが嫌いになりかけたりもした。いつまでもこの狭いエリアに執着している 自分がひどくちっちゃい人間であることに気づいて、いい機会だからそろそろ飛び出したいなと思ったりしたのだ。

しかし、朝風呂はそんな澱んだ思いを幾分やわらげるに十分だった。これからは気楽にいこう、そう思った。

すぐ後ろの岩に小鳥がとまった。

「あ、キセキレイ、かな?」

同行のSさんがつぶやく。正解だ。さすがだよ、Sさん!

小鳥はすぐにチチッと小さな鳴き声を残して飛び立った。真っ白な雪が凛々と輝く山の方向に向かって飛んでいき、すぐに真っ青な空に溶けて姿が見えなくなった。

長い時間、キラキラ輝く澄んだお湯につかっていたおかげでスッキリと気分が晴れわたった。やっぱり北海道が好きだな。

少し、日焼けしただろうか?

ああ、もちろんきょうも夕食にはツクシのつくだ煮を食べた。


2005年5月28日(土)

ツクシとデジカメ

春だツクシだ。僕はツクシが大好きだ。うちの回りはツクシに囲まれているので、おかげで僕はご機嫌だ。もちろん毎日食い続けている。

うまいのなんのって。

そんな僕が作るツクシ料理のレシピの数々を写真に撮ろうと思ったらデジカメが壊れていることに気づいた。今が旬の桜や、エンレイソウやエンゴサクなど咲き乱れる花々もどんどん撮ろうと張り切っていたのに、である。

なんてこった!

©sony

デジタルカメラ、ソニーのサイバーショットU60、完全防水。スイッチ類のボタンが小さくてグローブした手では操作しにくい、今どきズームがないなど気に入らない点も多かったが、とりあえずタフなやつでこれまで故障はなかったのだ。

しかし、ソニーの商品ってやつは、メーカー保証が切れた途端に約束でもしていたかのように故障する。ノートPCのVAIOもそうだった。30万円近かったモノが1年半で壊れたときは呪いたくなった。しかし、保証期間切れではどうしようもない。

それ以来、ソニー商品を買うときには販売店の長期保証を必ずつけることにした。

今回もソニー商品はお約束どおり2年で壊れたから、この「ヤマダ電機」の5年保証が役に立つこととなった。ヤマダ電機の店員のお姉さんは快く修理依頼を請け負ってくれた。

ソニーはいいものを作るが、信用してはいけない。10年無故障という昔のソニーはすでに過去のものになったらしい。販売店保証は不可欠だ。

ということでガイド日誌にはしばらく写真が添付できません・・・。

きょうの昼飯は「つくしの玉子とじラーメン」でした。


2005年5月27日(金)

昔話「ひとつぶのサッチポロ」

 

プクサ(ギョウジャニンニク)

 山に生えている草にも木にも、

 みな魂があり役目があり、

 天国から遣わされてきている。
 なのにプクサを一本も残さず、

 しかも根まで引きぬいてしまったために

 プクサの神は死んでしまった。

 その罪で村長の妻は病気になった。
 

アイヌの人達はすべての物に神(精霊)が宿ると信じていた。

僕もまた、その考え方に共鳴できる。

しかし残念ながら山菜採りの人々には「根こそぎ」とか「手当たり次第」という採り方をする方があまりに多いと感じる。盗り尽くす。いわゆる破滅型だ。

とても悲しい。残念なことだ。

ところで、大雪山のことをカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)と呼ぶのは有名な話だが、ここにもアイヌ民族の世界観が如実に現れている。

一輪の小さな山野草を愛でる人の目にはきっと精霊が見えていると信じたい。共感できる人はきっと多いのではないだろうか。

ふたたびプクサの話。

プクサを入り口にぶら下げると、病気(ウィルス)が家の中に入らないという民俗習慣がある。この種の話は日本全国各地に、また世界中に魔よけの習慣として伝わっている。イワシの頭を玄関に刺しのべておく、などという習慣もこれと極めてよく似ている。イワシ、ギョウジャニンニク、どちらも臭いが強烈という点で共通している。ニオイで悪霊退散。原始宗教の名残だろうか。

そうそう、ドラキュラ伯爵はニンニクに弱いというのも、なんとなく似ているではないか。

 

※ギョウジャニンニクは別名をアイヌネギ、ヒトビロ、キト、プクサという。 アイヌネギとヒトビロは日本人が名付けた和名であるから、古来アイヌ名である「キト」と「プクサ」が名称としてふさわしいと思う。僕はこの山菜を道東で覚えた。そのとき僕に山菜を教えてくれた地元の方がプクサと呼んでいたので、以来僕はギョウジャニンニクのことを日常はプクサと呼んでいる。北海道内で も地方で呼び名が違うようで旭川上川地方ではキトという。東川町にある「キトウシ森林公園」の「キトウシ」とは、「キト」つまりギョウジャニンニクがたくさん採れる場所「ウ・シ」という意味なのだという。ついでながら美馬牛(ビバウシ)とは、「ピパ」=カラス貝がたくさん採れる場所「ウ・シ」という意味なのだという。美馬牛には湿地が多く、昭和30年代までいたるところにシジミ貝の化け物のようなカラス貝が多く生息していたそうだ。


2005年5月26日(木)

美瑛町美馬牛、ただいま「熊」出没注意 

・・・なのだそうだ。

きょうは1日中、屋外で作業をしていた。今年の春はガイドの山小屋の周辺には異常にツクシが多く出て、食っても食っても生えてくる。もう桜が咲き始めているというのに、ツクシの勢いはとどまることを知らない。周辺はツクシの林立するジャングルのようになっている。うれしいけれど、ちょっとコワイ。

さらに最近は年々、イチゴが自生の勢いを強めていて、普通のイチゴに似たワイルドベリーと、僕が8年前に畑に植えて以来すごい勢いで拡大をはじめた早生苺の2種類があっちこっちに群生している。ガイドの山小屋の敷地は野生化したイチゴと、もともと野生のイチゴ、それからツクシに包囲されつつある。

晩飯のオカズにするのだろう。夕方、妻が熱心にツクシをとっていた。途中で面倒になったのだろうか、穂先ばかりを摘んで、それでも紙袋がいっぱいになっていた。そんなにたくさん摘んで馬にでも食わせるつもりだろうか。

それでもツクシは、減った様子がみじんもない。

ツクシの甘辛炒め

ゴマ油で炒めて砂糖・醤油・唐辛子で味を調える

そんなこんなで敷地内にいながら半分アウトドアを満喫している僕らだが、家のなかに戻ってみると留守電が点滅している。内容を聞いてブッ飛んでしまった。それは、美馬牛小学校父兄の緊急連絡網だったのだ。不審者が出没したのか?緊張が走る。怪我の後遺症から、いつも持ち歩いている松葉杖を握り締めた。

どうやら近所に「熊」が出没しているらしい。えええ―――っ!

警察によると、なんでも「拓真館」のあたりに熊が出没したのだという。あの観光名所の写真ギャラリー「拓真館」だ。そうと聞いて僕は、どこでも熊がいると信じているとんちんかんな観光客が単純な勘違いで騒いでいるのではないかと推測したのだが、しかしながらこうして緊急連絡網で伝えられた以上、美馬牛小学校のPTAとしては学校区内の非常事態には備えなければならないのだ。

ふたたび松葉杖を力強く握り締め、身構えてみた。松葉杖というやつは格闘技にはちょうどいい長さなのだ。

ようし、キマったゼ。

拓真館からここまで、距離は5キロ。熊の行動半径を考えれば、ひとっ走りくらいのものだ。振り返ったら熊がいた、なんてこともあるかもしれない。

明日からは、ツクシ摘みも命がけだ。

しかし、拓真館で熊?今回の騒ぎは、やっぱりちょっとヘンだと思う。


2005年5月25日(水)

昼下がり国際言語 「えんがあったでん!」とは?

昼下がりの旭川市内の大型ホームセンター。今朝の安売りのチラシに誘われて僕と妻はこの夏の営業に使用する備品などを買出しにやってきたのだ。まずママチャリを10台どかんと買った。でっかい買い物は楽しい。

ある販促品を探していたときのことだ。いいものが見つからなくて市内であれこれ探し回っていたのだが、ここにきてようやくよさそうなものを見つかりそうな気がしていた。さすがは大型店だ。

と、そこに他の売り場を探っていた妻が「なんしょ〜ん?」と言いながらやってきた。おまけに近づいてくるなり大きな声で僕に向かって言い放った。

「ええでん!」

「えんがあったでん!」

「うまげな」

うわ〜〜〜〜。

妻と僕は高校からの同級生なので故郷は同じなのだ。瀬戸内育ちの僕らは方言にあまりコンプレックスを感じていないので、仕事以外ではごく日常的にクニ言葉を使用している。しかし、そのとき妻はクニでも滅多に使われることがないほどのベタな言葉を咄嗟に言い放ったのだ。僕はクニでは純粋なネイティブではないから、言葉の意味を理解することはできても使用することはない、それはそういう言葉なのだ。

近くにいた何人かの人が振り返った。ひとりのおじさんは不思議そうにじっと見ている。この言葉は北海道人にはまず理解不能だったはずだ。何語なのかも検討がつかなかったんではないだろうか?

・・・さすがの僕も他人のフリをしたくなった。

∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽ ∽

@「なんしょ〜ん?」 ※注:ションベンのことではない

A「ええでん!」 ※注:美しい田んぼのことではない

B「えんがあったでん!」 ※注:円相場が上昇したという意味ではない

C「うまげな」 ※注:馬の毛ではない

妻はそのとき何と言ったのか、みなさんにはおわかりだろうか?

正解は週末をお楽しみに。

 

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国際言語クイズの正解

2005.5/29

@「なんしょ〜ん?

最近どう?のような使い方がされることが多い言葉です。語気を強めると、「何やってんだ!」という責め文句にもなります。

  関西弁:どんな?

  標準語:何をしているのですか?いかがお過ごしですか?

A「ええでん!

表記すると?ですが、実際に聞けばわかりやすい言葉です。感嘆符がつくような使い方が多い言葉です。ポジティブ表現、ヤル気を鼓舞するような用法に使われます。英語ではexcellentです。

  関西弁:ええやんか!

  標準語:素晴らしい!それはいいですね!それ、いいよ!

B「えんがあったでん!

えん=良いもの、用途にぴったりのもの、という意味。・・・でん=ですね、という意味です。繋げると「良いものが・あった・ですね」つまり、「良いものがありましたね」となります。

  関西弁:ええのンがあったやんか!

  標準語:ちょうどいいものがありましたね!

C「うまげな

上手いもの、上手い雰囲気のもの、という意味です。○○気がする(ある)という言葉の使い方がありますが、この場合、漢字で表記すると「上手気」と書くことができます。

  関西弁:ええかんじ

  標準語:それは上等(上質)ですね


2005年5月24日(火)

季節の違い

先週は四国の高知にいたのだ。2月に亡くなった母方の祖母の遺したあれこれ事務手続きを済ませるために数日滞在した。

土佐の高知は暑かった。日中の気温は25度を超え、日差しは鋭かった。なんと、下校途中の小学生が早くもプール袋をさげていた。まだ5月だというのにプール授業が始まっているらしい。

小学生の服装はその土地の気候を如実に表現するものだ。高知の小学生たちには何と、半ズボンにタンクトップという「夏休みファッション」のような子供が実に多い。おまけに、はやくも逞しく日焼けしている。

僕もこの高知に10年前に2年半ほど住んだことがあるが、「こんなだったっけ?」と思わず首をかしげたほどだ。いやいや、こんなんだったのだろう。

北海道に帰ってきて小学生の娘にそのことを話したら、激しく興奮しながら羨ましがる。ふだん穏やか過ぎるくらいの彼女にしては大変珍しいことだ。

夏休みに連れてけという。無理やっちゅーねん。

まあ、彼女の興奮は無理もない。とんがり屋根の美馬牛小学校では、プール授業は年に2回しか行われない。しかもその2回も雨などで中止になり、一度も行われないまま夏が終わることだってある。

美瑛の夏はさわやかに涼しい。しかし小学生には物足りないかもしれない。

それにしても土佐の高知。プール授業があるくらいだからなにしろ暑かった。日差しが強いのだ。もちろん車ではエアコンが必要だった。これで本格的な夏になったらどうなっちゃうんだろう?カラダが溶けるかもしれない。心配だ。

おまけに酒屋にビールを買いに行ったら沖縄限定のオリオンビールを売っていた。あれ?と思ったが特に不自然には思わなかった。だって暑いんだもん。

残念ながらサッポロクラシックはなかった。

週末、北海道に帰ってきたら、ようやく桜が咲き始めたところだった。今朝はカッコウが啼いていた。シラカバの枝から新芽の緑がこぼれはじめた。

日本は広い。


2005年5月23日(月)

寒い春

5月も終盤に入ったというのに、寒い。きょうも冷たい雨が降っている。

美瑛でもようやく桜が咲いた。いま七分咲きといったところ。

それにしても観光客を見かけない。レンタカーなどほとんど走っていないし、観光バスすら滅多に見かけない。名所の丘の道路沿いのカメラの放列も、ない。

静かで美しくていい季節だなあ、といいたいところだけど、天気が悪くて寒い日には「景気が悪いのか」とネガティブな気分になってしまう。

庭におびただしい数のツクシが生えている。これを玉子とじにして食べた。ああ、うまいなあ。

本州は初夏だというのに。


2005年5月21日(土)

ETC初心者のマイブーム

僕はいま、高速道路のETC専用出入り口は、いったい時速何キロまでならスムーズに通り抜けられるのかという限界に挑戦している。入り口の電光掲示板には、「時速20km以下に減速しなさいよ」という指示が流れているのだが、そんなものは糞食らえだゼ。(ちょっとワルな気分)

時速40キロ、全然セーフだ。余裕がある。

時速50キロ、いいカンジだ。スーッと抜けられる。

時速60キロ、ちょっと不安になって思わずブレーキを踏んでしまった。でも次はたぶん大丈夫のような気がする。

とまあこんなカンジなんだけど、何年かたったころ、これを恥ずかしく思い出すような気がする。何事も初心者というのは恥ずかしいものだ。

くだらないチキンレースは、もうやめよう。


2005年5月20日(金)

はじめてのETC

車にETCを装着して5ヶ月。取り付けたのはいいけれど、北海道の、さらに農村地帯に住んでいるわけだから高速道路を走る機会など滅多にあるものではない。だから実際にETCの作動を見たことがなかった。ETCってどんなカンジだろう?興味はつきない。

そして、ついにその日がやってきた。

数日前、札幌方面に向かうために道央自動車道を使うことにした。美瑛から富良野方面に向かい、芦別から山のなかの立派な舗装道を桂沢湖方面に走る。ここから石狩平野に下りて三笠インターから高速道路に入る。

三笠入り口が近づくにしたがい緊張してきた。いったん路肩に車を停めてETCの機械をチェックすることにした。チッカチッカチッカチッカ・・・(左ウィンカーの音)

運転パネルの下を覗き込む。うむ、緑のランプが点灯している。電源は入っているようだ。カードはどうか?しっかり入っているだろうか。入っているようだが念には念を入れて指でカードをさらにしっかり押し込む。これでよし、っと。

しかしまた不安になった。いったんETCカードを機械から取り出してみることにした。もしかしたら違うカードが入っていたりするかもしれないじゃないか。娘のイタズラで「ふたりはプリキュア」のカードゲームのカードなど入っていたら大変だ。しっかりチェックする。どれどれ・・・、うん、大丈夫。「ふたりはプリキュア」でも「ドラゴンボールZ」でもない。ひと安心。カードは確かにDCヴィザカード発行のETCとある。間違いない。

ふたたびカードを挿入口にしっかり押し込んだ。機械じみた女性の声で、「ETCカードを確認しました」という音声ガイダンスが車内に流れる。ようし、これで僕はやれることはすべてやったのだ。あとは料金所に突入するしかない。行くしかないのだ。

料金所が近づいてくるにしたがい僕は息が荒くなっているようだ。1500人の在校生を代表して祝辞を述べる直前のような気分だ。もし、ETCカードに何らかの問題があり料金所のゲートが開かなかったらどうなっちゃうんだろうか?後続の車があればバックして戻ることもできないじゃあないか!それに、それはあまりに恥ずかしいではないか。ああ、どうしよう、どうしよう・・・。

右折レーンを曲がる。車はスロープをゆっくり登っていく。ついに料金所の目の前にきてしまった。入り口は左が一般入り口で、右側、というか直進がETC専用とある。そろそろと、ETC専用レーンに向かう。バックミラーを見る。

ああ、何てこった!後ろの車も僕の車についてくるぞ。これでは何か問題があったときにバックすることはできないではないか!

電光掲示板で「時速20km以下に減速しなさいよ」という指示が流れている。そんなこと言われなくても緊張しまくりの僕の車は徐行しながらそろそろと入り口に近づいているのだ。あああ、それなのに車がゲートに入ってしまうじゃないか。もう戻れないぞ。ああ、やっぱりもう一度、機械を確認するんだった。

赤と白の縞模様の遮断機が降りていて、入り口を通せんぼをしている。開かない。開かないぞ。ああ、やっぱりゲートは開かないじゃないか。

「ぶつかる!」思わずブレーキを踏んだ。

キキッ!

そのとき、車内にピッという電子音が鳴った。さっきまで無慈悲に降ろされていた赤と白の縞模様の遮断ゲートが、さっ!と開いた。

 

おおおお〜〜。

 

それからというもの、ETCでの高速道路の出入りが楽しくて仕方がない。スーと入りスーと出るのが面白くて仕方がないのだ。これでは用もないのに高速道路に入ってしまいそうだ。それに実際のお金のやりとりがないので、使いすぎてしまうかもしれない。

なんとなく、初めて携帯電話を持ったときのカンジに似ているなと思った。


2005年5月17日(火)

誘惑ふたたび

あああ、いけないいけないと思いつつ、またしても買ってしまった。明治製菓の「Fran」シリーズ。

「重ねカカオ」があまりにうまかったから「味わいティラミス」とはどんなもんだろう?という素朴な疑問で手に取ってみたものだが、いやまあ、これがどうして、いやいやいやいや・・・。

味わいティラミスのパッケージ 

ティラミスの断面写真が見る者を激しく誘惑する

繰り返して言うが、僕は決してお菓子フェチというわけではない。しかし、明治のFranシリーズにはちょっと感動しちゃいます。メロメロです。


2005年5月16日(月)

誘惑

あああ、いけないいけないと思いつつ、つい、出来心で買ってしまった。明治製菓の「Fran」シリーズだ。

「重ねカカオ」とはなんという罪深いキャッチフレーズをつけちゃったものだろう!?これでは買わないわけにはいかないじゃあないか!

カカオの写真には、大人の男でさえも溺れるのだ

僕は決してお菓子フェチというわけではないが、こいつにはちょっと感動しちゃいましたね。ロイズの生チョコのような味わいでありました。

え〜、この菓子、北海道限定というわけでもないので、このへんにしておきますが、それにしてもウマかったです。参りました。


2005年5月13日(金)

ギョウジャニンニク 北の春を食おうではないか

美瑛では今週になってようやく春らしい日々が訪れた。ガイドの山小屋の敷地内でも、やっと山菜の類が顔を出し始めた。フキノトウに続いてツクシ、そしてきょうギョウジャニンニクが芽を見つけた。昨年よりも2週間も遅い春だ。

 ギョウジャニンニク(地方名プクサ)

 ガイドの山小屋の敷地内にて

ギョウジャニンニクは北海道では非常に人気のある山菜で、生えているところを知っている人でも容易に他人には教えようとはしないものらしい。以前、カヌーツアーをしているときには川沿いの日当たりのいい木陰などに小規模に群生しているのをよく見かけたものだが、そこは歩いては容易に近づけないような場所で、カヌーであればこそ採取が可能であったといえる。

また、これも以前のことになるが、僕が主催していた「原始ケ原トレッキング」では参加者たちがときどきギョウジャニンニクを見つけて齧ったりしたものだ。もしかしたらこのガイド日誌を読んでいる方のなかには心当たりがある方もいるかもしれない。そう、ニンニク臭ぁ〜い、あの草ですね。僕のガイドツアーはしょっちゅう「道草」や「道木の実」を食うことが恒例だった。僕の場合は「道草を食う」とは本当に「食う」ことで、「酒池肉林」とは本当に酒と肉のことを指す。「酒池肉林」。うまい酒が池のごとし、うまい肉が林のごとし。えええ、まことにもって、素晴らしい言葉ですよね。

さて、他に僕が知っているギョウジャニンニク群生地のほとんどは山道を1時間もかけて歩かなければならない。このギョウジャニンニク、ナカナカの山菜なのだ。それでも山菜ファンたちはこのギョウジャニンニクを求めて山道をひたすら歩く。それだけ人気があるというものだ。

このギョウジャニンニク。いわば野生のニラと考えてもらったらいいだろう。ニンニクというくらいだから相当に強いニオイがある。ギョウジャニンニクという名前は漢字で書くと「行者大蒜」で、その昔、厳しい修験道に励む行者が山中でこれを食べてスタミナをつけたことからその名がついたと言われている。 西日本以北の全国の山岳地に自生するというが、残念ながら本州では幻も同然になっているようだ。

北海道でも野生のものは簡単には見つからない。でも見つけたらちょっと嬉しくなる春の味覚だ。

ようし、今夜はギョウザにするぞ〜。


2005年5月11日(水)

北国の車事情 道路融雪剤の弊害

1週間ぶりに太陽が顔を出した。思い切って車の冬タイヤを交換しようと作業をはじめて、あ〜らびっくり。

ボルトを全て外してもタイヤが外れてくれないのだ。

見ると車軸の芯が激しく錆びており、タイヤホイールと固着している。タイヤを押しても引いても、どつき倒しても、どうしても外れてくれない。切羽詰まって販売代理店に助けを求めてしまった。

僕の住む町から旭川市内の販売店までは片道1時間近い。ちょっとした遠出のようなものだ。タイヤ交換ごときに大変な手間になってしまった。

夕方販売代理店に出向き、ようやくタイヤ交換は済ませたのだが、夏冬タイヤの交換を他人にやってもらったのは初めてのことなので、なんだか堕落したような負けたような複雑な気分になってしまった。おまけに家に帰るころには日が暮れていた。1日を損したような気分だ。

その車は昨年末に新しく買ったもので、ここに来る前は札幌の販売代理店で「展示試乗車」として使われていた。限りなく新車に近い中古車だが新車購入より100万円以上も安かったので一気に購入を決めたのだ。しかし―

札幌は都会だ。交通量も旭川近郊とは比べ物にならない。冬季、道路には融雪のために塩化カリウムが散布される。高速道路などが薄っすら白くなるほども塩化カリウムが撒かれているのを見たことがある方もきっと多いだろう。

塩化カリウム。すなわち塩そのものだ。こいつが車を腐らせてしまう。

旭川近郊ではこの塩化カリウム、滅多に散布されることはない。ここで生活する限り、塩のシャワーを浴びることはあまりない。実際、ガイドの山小屋の他の車にはこのような腐食は見られない。

しかし、札幌を走る車や高速道路を利用する車はそうはいかないらしい。道路を走るたび塩水にさらされているようなものかもしれない。

昨年末に札幌から運ばれてきた僕の車の錆びた車軸には、札幌生活の名残だろうか、塩化カリウムの結晶がびっしりまとわりついていた。おまけに錆びた金属の表面が魚の鱗のように剥がれていた。腐食の度合いはまるで長年野外に放置された廃車のようだ。「もしかして高い買い物をしてしまったのか?」悪い予感がした。

塩化カリウム、恐るべし。

冬が大好きで雪道で車を転がすのが大好きなアナタ。アナタの車は大丈夫?


2005年5月10日(火)

目が覚めると冬景色

朝、目が覚めると窓のあたりが不自然に明るい。まさかと思って見ると、外はやはり銀世界。おいおい、もう5月だというのに・・・。

階段に並べた鉢植えのパンジーも雪を被ってしおれている。今年はいったい何なんだ?何なんだ?

車はまだ冬のタイヤのままだ。もちろん暖炉には火が赤々と燃えている。いったいいつまで冬が続くのだろう?

先日(7日土曜日)に続き、またしても積雪。珍しいというより、おいおいそろそろやめてくれよ、という気分になってしまう。春はすぐそこだというのに、最後の1歩がやたらと遠いようだ。


2005年5月9日(月)

自転車の季節

10年以上にわたって僕と生活をともにしてきたMTBを、昨年の秋から冬にかけての日本縦断旅を最後に引退させた。92年に大阪府箕面市で購入して神戸・松山・高知・北海道と僕の転居とともにあっちこっち移動してきたやつだ。いったい何千キロを走ったのかは検討もつかないが、部品は消耗し、磨り減り、重要なパーツがクタクタになっていると僕の目にも理解できる。

使おうと思えばまだ何とか使えないこともないのだろうが、こいつのラストランは佐多岬(鹿児島県)と決めていたので、もう酷使はしないつもりだ。いまはそっとしておいてやりたい。特別珍しい自転車というわけでもないのだけど、店のなかに飾っている。ただ整備状態は完璧なので今にも走り出しそうだ。そりゃあそうだ、昨年末に旅の終着地である鹿児島から自宅へと貨物で発送し、自宅で受け取りすぐに元通りに組み立てた。全くもってそのままの姿なのだ。僕はとっくに旅モードが冷え切っているというのに、こいつは今でも立派な現役のツアラーといえる。タイヤの空気圧まで適正だ。

さて、冬がおわり夏がやってくる。僕はそろそろ次のMTBを探さなければならない。とはいっても簡単に次の恋人が見つかるわけがないのと同じことで、車種選びではグズグズしてしまう。結局は同じメーカーのものを選択することになった。

いろいろ調べていくうちにGIANT社のGREAT JOURNEY 2という車種に行き当たった。名前が小恥ずかしいが、コンセプトはわかりやすい。旅のための車種なのだ。長距離旅をしながら僕は、MTBのタフなボディに昔ながらのドロップハンドル形状のハンドルがつけばいいのになあと考えていた。はっきりいってMTBの横一文字ハンドルは長距離旅では機能的ではない。非常に疲れるし向かい風に弱い。やはりカッコいいだけではダメなのだ。

この当該車種は車体はMTBでハンドルがドロップ。しかも丈夫なキャリアが標準装備されている。値段も10万円を切る。しかし、少々重たいのが難点だ。17キロ近い重量はかなり負担になるだろう。

ああ、ちくしょう。どうしよう。名前の恥ずかしさと重たさ、どうにかならないか!

こういう悩みは楽しい。


2005年5月7日(土)

春の雪と鮭チャーハン

きょうは朝からみぞれが降っていた。みぞれはやがて雪に変わった。

こうなってくると冬のタイヤを交換するタイミングが難しい。例年であれば連休までに自家用車のタイヤ交換は済ませて、連休が終わればガイドツアー用の車もタイヤ交換してしまうのだけど、今年はまだどちらも冬タイヤのままだ。こんな天気が続くから油断ができない。朝おきたら雪が積もって真っ白だった、ということになりかねないのだ。

今年は例年になく春が足踏みしているようだ。

自然ガイド、山岳ガイドという仕事は、雨の日はどうにもならないもの。それでもこの仕事をはじめて5、6年くらいまでは「雨の日でもできる何か」を探し求めてジタバタしたものだが、やがて、どうやってもダメだということを悟った。雨の日はいさぎよく諦めてオフを楽しむしかない。

今朝は店を休業することに決めた。妻は2度寝してしまったから朝食は僕が作ることになった。冷凍庫のなかで中途半端に残っていた塩鮭とタマネギ1個、それから冷や飯と玉子、それに、庭におびただしく咲いているフキノトウをとってきて「鮭の春チャーハン」を作ることにした。まず普通に鮭チャーハンをつくり、いったんボールにあげておく。それから僕は勝手口から庭に降りていき、とびきり冷たいみぞれに濡れながらフキノトウをいくつか摘んだ。冷たいみぞれに濡れたフキノトウは若葉がいっそう柔らかく思えた。

摘んできたフキノトウ、これを素早く刻んで軽くサッと炒める。それとは別に玉子は炒り玉子にする。こうすれば玉子がふんわり仕上がるしフキノトウも炒めすぎないから香りも緑も色褪せないのだ。これらを前述の鮭チャーハンに混ぜあわせて仕上げる。

じゃーん、「鮭の春チャーハン」の出来上がりだ。フキノトウのいい香りが食欲をそそる。鮭とフキノトウは相性がいい。香りが、たまらなくいい。

いい匂いにつられて寝癖で髪が爆発したままの妻も食堂におりてきた。きょうは土曜日だから学校も休みなので、家族4人揃って少し遅い朝食になった。

晴耕雨読もいいものだ。


2005年5月6日(金)

土筆(ツクシ)と水芭蕉 きょうの美馬牛

ガイドの山小屋の敷地内にツクシが顔を出した。駐車場周辺をはじめ、おびただしい数だ。北海道の人はあまりツクシは食べないというけれど、瀬戸内で育った僕にとってはツクシは春のご馳走だ。子供のころは線路の土手や河原や空き地などでツクシ採りに熱中したものだ。近所の仲間たちは誰もがツクシがたくさん採れる秘密のポイントを知っていた。僕もお気に入りの線路わきの土手で夕方までせっせとツクシ採りに励んだものなのだ。

ツクシは甘辛く煮たり玉子とじにして食べる。僕はほろ苦い頭の部分が結構好きだ。

また、いま美馬牛では線路脇や防風林裏など、雪解けで出来たあちこちの湿地に水芭蕉がたくさん咲いている。これらの水芭蕉はこれから1週間くらいが見ごろだと思う。

きょうは快晴だったけど、夕方からはめっぽう冷え込んだ。明日は天気が崩れて雨から雪になるという。これからしばらく気温の上がらない日々が続くと天気予報が言っていた。桜の開花はまだまだ先になりそうだ。


2005年5月5日(木)

スキーの季節の終わり

12月から続いていたバックカントリースキーのツアー がきょうで今シーズンを終了した。1月下旬に僕が負傷してしまったのでツアーはずっとスタッフに任せてきた。おかげで少し違った雰囲気になり、新風が吹き込んだことは概ね良かったのではないかと思っている。

明日からは長い長い夏が始まる。僕は冬が好きだから、さわやかで過ごしやすいはずの夏が何となく憂鬱に感じることがある。早く冬にならないかなあ、と、そんなことばかり考えて過ごすのだ。

明日からとうとうレンタルのテレマークスキーを片付ける。片付けは寂しいものだ。振り返ると、まだまだ真っ白な残雪に覆われた十勝連峰の山々が、丘の風景の背景にで〜んと据わっている。怪我のためにあの山に出かけられないことが悔しくて仕方ない。きょうで営業としてのツアーは終わったけれど、まだまだ滑れるのだから。今月いっぱいは余裕でオッケー、もしかしたら7月の山開きのころまで雪が豊富に残っているかもしれない。素晴らしいではないか!

北海道の山はやはり、白いものがチラチラしているのが似合う。残雪を戴く山はカッコイイ。そうは思いませんか?

悔しがっていても仕方がないので、これから暫らくは秋のMTB旅のことを考えながら過ごそうと思う。

きょう、今年はじめてハエを見た。あああ、今年もとうとうオマエが我が物顔に飛び回る季節になっちゃったんだなあ・・・。

やれやれ。

さっそくハエ叩きを準備する。使い込んだピンクやつ。近所のスーパーで105円で買ったやつ。ほどよく軽くて振りやすく重心がいい感じで狙いがつけやすい。慣れれば空中にいるやつを撃墜することもできる。ピンクのハエ叩きの網部分の中央付近は変色していて歴戦の闘いの痕跡が生々しい。空の闘いはなかなか壮絶なのだ。

ついに闘いは始まったのだ。

これから俺のことは「撃墜王」と呼んでくれ。


2005年5月4日(水)

今年の十勝連峰

バックカントリースキーのツアーの手伝いで車の回送をするために久しぶりに吹上温泉(上富良野町)を訪れた。

標高1000mの吹上温泉はいまだ分厚い雪に覆われていて、道路脇の雪壁はいまだ大人の身長くらいもある。

「この分だと今月いっぱい滑れますよ」と、白銀荘職員のAさん。いまの白銀荘は今年で開設8年になるが、今年のGWの残雪量はいちばん多いのだと言う。風景は春山そのものなんだけど、雪がたっぷりで雰囲気が爽やかだ。

冬の事故から3ヶ月、歩行にはまだ松葉杖が欠かせない僕だけど、シールを貼ったスキーを履けば、もしかしたら2時間くらいならば歩いていけそうな気がしてしまうのだ。残雪たっぷり雪渓状になった穏やかな山の斜面をみていたら、そのまま歩いていきたい衝動に駆られる。今年は特に、バックカントリー好きにはたまらない春だと思う。

あああ、歩いて行きたい。

また、残雪の多い年は高山植物の「当たり年」になることが多いという。登山好きには楽しみな年になるかもしれない。

あああ・・・。


2005年5月3日(火)

お金のかからない楽しい旅

これまで北海道の旅のなかでいちばん楽しかったのは、3ヶ月間の車中泊の旅だった。10年前のことだ。GW明けからお盆まで、ほとんど車中泊をしながら旅をしたのだ。

そのころ乗っていたのは三菱パジェロで、後部座席を倒せば運転席から後ろ全てが居室になった。左半分をベッドに、右半分は土間にして荷物置き場や、風防で囲んだカセットコンロを置いて炉として使った。 四方のカーテンを引けば、ちょうど2人用テントくらいの広さのあたたかで快適な部屋が出来上がった。一人旅にはちょうどいい大きさだったと思う。大きな天窓を見上げると星を眺めながら寝ることができた。 専用の網戸まであったし、車だからもちろんエアコンやオーディオまでついている。

三菱パジェロは普通の乗用車だから駐車場所には困らなかったし、大抵の悪路をモノともしなかったから好きなところに行くことができた。キャンピングカーでは大き過ぎるし 機動力が劣る。ハイエースは生活の匂いが濃すぎる。三菱パジェロは大きさにしても機動力にしても申し分なく、おかげで旅が快適だったんだと思う。バイク旅に慣れていたにもかかわらず、機動力はバイク以上だと認めざるを得なかった。 深くえぐれた泥の道でも岩だらけの道でも力強くぐいぐい走ることができたのだ。

それまでも自転車やバイクでの長距離長期間の旅を繰り返してきけれど、しばらく会社人をしていたこともあって精神も身体もなまってしまい、「車」という道具に逃避したわけだが、結果はこれで良かったんだと思う。部屋をそのまま移動しているようなものだから機動力の為すままにどこでも好きなところで気軽に泊まれた。キャンプ旅というのはまずテントを張るところを探すところから始めなければならず面倒で、それに雨には致命的に弱い。それに長期間にわたると疲れが取れないのだ。結局は宿やライダーハウスなどに逃げなければならなくなる。それならば車中泊のほうがはるかに合理的だと思ったのだ。

学生のころは宿やキャンプ場で見知らぬ仲間に出会い、その仲間たちと面白おかしい日々を過ごす、というのが楽しかったけれど、オトナになった僕はどちらかというと一人で静かに過ごしたいと考えるようになっていた。車中泊での旅はいつも一人だったから、まさにピッタリだったのだ。こうして僕の気ままな旅が始まった。

日高山脈に入ったときは最後の町である静内で燃料を満タンにして米を10キロ買った。そのまま1週間、渓流釣りと山菜で自炊生活を送り、ほとんど誰とも話さなかった。毎日のように 山道をあるき渓谷におりて50cmの野生ニジマスとの駆け引きを楽しんだ。1週間後に再び米と燃料を補給しに町まで降りた。北海道の各地でそんな生活をしていたのだ。 しかしながら、今の世間に当てはめれば僕は有無を言わさず「不審者」と決め付けられたことだろう。10年前でほんとよかった。

ヒグマに出会ってしまったり、人間でも動物でもない、つまり「霊現象」に遭遇したりと結構賑やかな日々を過ごしながら、旅の日々は5月の冬枯れの季節から6月の新緑の季節へと移り、7月の濃厚な緑が萌える夏に入ると知床(羅臼)で過ごしていた。知床の山に分け入ると山菜には一切困らなかったし、釣り糸を垂れるとマスやイワナが食べきれないくらい釣れたから食うには困らなかったのだ。宿に泊まるお金が惜しかったわけでもないし、特に節約しなければならない理由はなかったんだけど、自然のなかからそのまま食料が調達できてそのまま生活できてしまうという日常が、僕には楽しくて仕方がなかったのだ。

知床といえば今では脚光を浴びる観光地だが、そのころも十分に観光地だったけど、観光スレしているように見える斜里側に対して羅臼側は素朴で飾り気がなく、乱暴で屈託がない本来の北海道的な漁業の町で、さらにそこから裏に一歩踏み込むとすぐさま原始の自然が広がり、そのダイナミックさがとても印象的だった。

僕は今でも「知床」といえば観光開発に励む斜里側ではなく、田舎くさい羅臼側の、ひと気も観光の気配にも一切縁のない、素朴で荒削りな自然を思い出す。あんな場所はあまりない。

自転車でもいい。バイクでもいい。またあんな旅をしてみたい。しかしながらお金はかからないけれど休暇がたくさん必要だ。結局、それがいちばん贅沢なんだということになるだろうか。


2005年5月2日(月)

根室の黒カレイ

ご承知のように北海道は魚がおいしいところだ。北海道のほぼ真ん中である旭川でも、最近の物流の発達や大型店進出に伴う競争の激化のおかげで新鮮な材料が豊富に手に入るようになってきた。

美瑛町に住む僕だけど、買い物は旭川に行くことが多い。そのほうが新鮮で安く、何たってモノが豊富だ。残念なことに美瑛町内の店ときたら年中いつも同じものが並んでいて変化がなく、しかも少々高いのだ。美瑛の町まで車で10分、さらに車を15分走らせれば旭川市に入り、モノは確実に豊富で安価、ついでにガソリンも安くなるから完全に元が取れるという訳なのだ。

カレイは冬の魚である。そして北海道のカレイは春の今ごろ旬を迎える。雌は腹に卵を抱き、雄は白子を抱える。産卵をひかえた彼らは身がたっぷり太っていて、食べ応えもある。しかも安いのだ。

スーパーの鮮魚コーナーで黒カレイをみた。100g65円。30センチほどの大ぶりなヤツには分厚い身がいっぱい詰まっていて腹も大きい。いかにもうまそうだ。産地は根室とある。春霞にゆれる穏やかな道東の海がまぶたに浮かぶような気がした。

根室産というのは一種のブランドだ。「根室」と銘うつだけで、なぜこんなにウマそうに見えるのだろう?根室のサンマ、根室のカニ、根室というだけで人はもうすっかり顔がふにゃふにゃになってしまうものらしい。

こうしてきょうの台所は妻ではなく僕が仕切ることになった。

僕は少々料理にはうるさい。うまいものを食いたいから自分で包丁を握るのだ。自分好みの味で仕上げるには、やはり自分で作るのがイチバンだ。それに旬のものを料理するのは楽しいものなのだ。

むっちりと太った根室の黒カレイを広めのまな板に広げる。内臓は魚屋さんに取り除いてもらったけど、下ごしらえはまだまだ不十分だ。冷水でよく洗い、特にエラの内側などはしっかり洗い流す。続いて皮は包丁の裏でしごくようにしてヌメリを落としていく。この作業をするかしないかで生臭さが全然違うのだ。カレイは旨い魚だが生臭い。丁寧な下ごしらえで万全を期せねばならない。うまいモノを食うためには努力は惜しんではいけない。

ショウガの皮を剥き、薄切りをたくさん作る。底のひろい鍋に薄く切ったショウガを敷き詰めて下ごしらえの済んだカレイを載せる。エラの裏や腹にもショウガを突っ込む。そして味醂を魚の3分の1くらいが浸るくらいに注ぐ。強火で一気に加熱する。

まもなく味醂が沸騰して魚全体に泡が行き渡るだろう。調味の砂糖と醤油をまぶしていく。ここは素早くしなければならない。火はあっという間に通ってしまうから、加熱のタイミングと味付けは一瞬なのだ。もたもたしていては、魚が煮崩れてしまい、ボソボソになってしまうだろう。旨みも煮汁のなかに逃げていく。

煮詰まり過ぎるようなら日本酒で緩和する。臭みが薄れて味に丸みが増すだろう。スプンで煮汁をまんべんなく魚全体に注ぎかけてやる。

煮立っている泡をすくい、味を見る。少々濃い目の味付けにしなければ、魚の身には味が行き渡らない。焦がさないよう火加減には注意が必要だ。ときどき日本酒をたらり、たらりと挿し水をするように打つといいだろう。

加熱は魚の大きさにもよるが5分もあれば十分だろう。さあこれで出来上がりだ。添え物は季節野菜の浅漬けなどがいい。煮魚には酸っぱいものがよく合うし、それに彩りがキレイだ。

和食というのは彩りが大事だと思う。和は、美しくなければならない。

盛り付けの皿からも、季節の自然が伝わってくるようなものがいいと思う。

妻が「おいしい!」と叫ぶ。こんな甘いプルプルのカレイは初めてだという。箸には白いプリンのような物体をのせている。おいおい、それは身ではなく白子だよ。今の季節のカレイにはおいしい白子がいっぱい詰まっているのだ。

身もホクホクでうまい。全体に行き渡ったショウガの香りがいい塩梅だ。煮汁のほんのりとした甘味もいい。4年生になる長女は箸で上手に骨を除きながらすっかり食べてしまった。もうすぐ1歳になる次女もゴハンを食べずに魚ばかりを欲しがる。今夜の家族の食卓も、こうして見ていると幸せ色に思えてくる。

北海道の美味な魚の代表であるキンキ(非常に美味)や、また鯛の荒炊、メバルの煮付けも基本的にはこの要領で料理する。調理方法はほとんど同じだ。鯛ならば牛蒡を一緒に煮込むなど、それぞれにちょっとした工夫を加えればさらにうまくなるだろう。

地物の食材をつかった料理からは北海道の季節を感じ、また北海道の自然を感じることができるのだ。

僕は食べることはもちろん大好きだが、こうして料理をするのも大好きだ。


2005年5月1日(日)

焚き火の季節

ようやく雪がきえて茶色い地面があらわれた。まだ草のほとんど生えない冬枯れのガイドの山小屋の敷地内にはあちこちに小枝がゴロゴロ落ちているのが目立つ。これを拾い集めると、結構な量になってしまうだろう。

おまけに昨年の秋には巨大台風が大暴れしていったので、隣地との境界にあるポプラが半ば倒壊してガイドの山小屋の正面の道路を塞いで散乱した。今でも道路脇にはチェンソーで伐って整理したポプラの幹や枝がそのまま残っている。草が伸びてしまわないうちにすっかり撤去しなくてはならない。そうしないと草刈りのときに邪魔なのだ。

倒木や折れ枝のおかげで、焚き木には困らない。

昨日、冬の間に貯まりに貯まった段ボールを燃やすついでに枝や小丸太を燃やすことにした。大量の段ボールはあっという間に燃えてしまい、続いて積み上げた小丸太が燃え始める。雪解け直後なので小丸太は湿っていて火付きが悪かったが、それでもしばらくするうちにいい感じに炎が爆ぜはじめた。

焚き火はいい。飽きない。

いつの間にか4年生になる長女がやってきて隣に座っている。ふっと立ち上がっていなくなったと思ったら軍手をはめて戻って来てまた隣に座った。またいなくなった、と思ったら今度はジャンパーを着て戻ってきた。

5月になるというのに、夕方の風は冷たい。

焚き火のまえに、娘と2人で寄り添うように座り込んだ。娘もボクの真似をして手近な枝で火を突っついたりしている。

そういえば僕も、風呂を焚く祖父の隣にそうやって座っていたっけなあ。祖父の家では祖父が亡くなるまでずっと薪焚きの風呂だったのだ。

祖父は燃えかけの炭を手前によせてメザシを焼いたり、小さな鉄の急須で茶を沸かしたりした。僕とジイちゃんの格好のおやつになったのだ。火の点いた小枝を使ってキセルの煙草に器用に火をつける仕草がカッコよかった。ジイちゃんと過ごす夕方の時間は、言葉は少ないものの楽しい時間だった。いまでも忘れられない、決して色褪せない時間だ。

ゲームやテレビや学習塾に通うよりずっと楽しいし、ためになる。身につく。

火を自在にあつかうジイちゃんはカッコいい。明治生まれの祖父は実にカッコよかった。寡黙で多くを語らず、少ない道具で何でもできる。そのくせ腕時計やらシルクハットやらは舶来のいいモノを持っていた。ジイちゃんは大正時代に青春を過ごした、いわゆる当世風の洒落者だったのだ。

果たして娘もボクのことをカッコイイと思ってくれるだろうか。僕が死んでも、いつまでも覚えてくれているだろうか。それにボクは、ジイちゃんほどカッコよくなれるのだろうか。

僕が6年生のときに亡くなったジイちゃんのことを思い出したら、ちょっと目頭が熱くなってしまった。ボクの焚き火をみてジイちゃんは合格点をくれるだろうか?ちょっと、自信がないな。

焚き火が、静かに燃えている。

焚き火は、飽きない。


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