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2005年4月30日(土)

北海道でスギ花粉症?

かつて僕は 重度の花粉症で悩んでいた。北海道に移住した動機のひとつに、何とか花粉症から開放されたいという気持ちがあった。

ところで北海道にも花粉症は存在する。シラカバ花粉が代表だが、周囲を見たところ町中がマスクに覆われることはないし、職場のあちこちで発作症状で悶える人が多発しているわけでもない。本州のように社会問題になるほどのことはないのだ。ほんの一部の、本州のトレンドに敏感な人々が「北海道にだって花粉症があるんだゾ」と無邪気に主張しているという程度にすぎないと思う。

そんなトレンドがあるかどうかは不明だが、いま話題の花粉症を生活に取り入れたいという人がいるのかもしれない。(ないない)

トレンドの最先端をいく花粉症に悩む人はどんどん北海道へ移住すればいい。毎年2〜3ヶ月を悶え苦しんでいた諸兄にとって、ここはパラダイス。いたって快適だ。いいですよ〜北海道。

ところが!なのだ。今年はどうも状況が違ってきたようだ。

ここ2週間ばかり、僕はどうにも鼻水とくしゃみが止まらない。最初は「風邪でもひいたかな?」程度に思っていたのだが、いやいや、これはどうやら違う。

以前から疑問に思っていたことがある。

「黄砂が飛来するんだから、本州のスギ花粉も飛んでくるんじゃないの?」

雨のあとで車のボンネットなどにくっきり残された黄砂の痕跡を見つめながら当然の疑問を抱いたわけだが、実際にはこれまで北海道でスギ花粉症らしい症状に襲われたことはなかったのだ。

やはり北海道は聖域なのだ。すばらしい。

しかし、だ。

今年は変だ。このくしゃみと鼻水。それから独特の鼻の奥の痒み。目のギシギシ感。これはまぎれもない、あの懐かしのスギ花粉ではないのか!

間違いない!

それにシラカバはようやく新芽が膨らんできたところで、まだまだ花粉など飛ぶはずもないから、話題のシラカバ花粉ではないだろう。やはり本州北部から飛来したスギ花粉なのか?

でも、そんなことってあるのか?

今年は全国的に例年になくスギ花粉の飛散が膨大だという。杉林から黄色い煙が立ち昇っていて、山火事と誤報されたという珍事件もあったというくらいだから、きっと相当なものだろう。

昨年の晩秋、津軽海峡を渡って青森と秋田の県境付近の山林地帯をMTBで走ってきた。周辺は鬱蒼とした杉林だった。そういえば秋田県は秋田杉と呼ばれる銘木の一大産地ではないか。

あそこから津軽海峡は目と鼻の先だ。煙のような花粉が南の風にのって海を超えるくらい何でもないだろう。いま、桜前線は本州北端に到達している。桜の季節にはスギ花粉は最大に達する。いま北海道に飛来しているかもしれないスギ花粉は、きっと本州北部から北海道南部の一部に 生するスギによるものではないだろうか?

車のボンネットを黄色く汚した黄砂をみながらふと、そんな疑いをもったのだ。そういえば、スギ花粉も黄色い粉末状だ。これはもしかして・・・?

ここ1〜2週間の鼻水とくしゃみ。これはまぎれもない、スギ花粉症によるものだと僕は確信をもっている。あの独特の症状は経験者でなければ表現できないものなのだ。これはまぎれもない、あの懐かしい花粉症に違いない。症状は軽度プラスアルファ程度。鼻水は1日にティッシュ半箱くらいだ。

それにしても・・・

北海道も安住の地ではなくなってきたというわけなのか・・・。


2005年4月27日(水)

バイクに乗りたい 僕のオートバイ閑話

僕はオートバイが好きなのだが、妻は平素バイクなど興味がないらしい。

そんな妻が昨日、突拍子もないことを言い出した。

「バイクの後ろに乗せてぇ〜!」

何でも昨日、娘を保育園に迎えに行った帰り道に、近所に住むS井さん夫婦らしいバイクの2人乗りとすれ違ったのだという。それがとってもカッコよくて気持ち良さそうで 、羨ましかったのだという。

S井さん夫婦と僕らは年齢がほとんど同じで、同じように子育て奮闘中、また、やはり同じように最近移住してきたというご夫婦だ。現在は近くにゴーシュというパンとコーヒーの小さなお店を営んでいる。そのカッコイイ自宅兼店舗は自分でトンカチ叩きながら作っちゃったという楽しい人だ。そういえば自宅のガレージにはハードな長距離旅に使い込まれたと思われるバイクがひっそり置かれていたのを見かけたことがある。バイクには重厚な風格があった。

さらに、どうやらこの二人、バイクが縁で結ばれたらしいと、僕はにらんでいる。おそらくは旅人夫婦だったんじゃあないだろうか。

その二人が乗るバイクが美瑛の丘から青空に連なる一本道を風のように颯爽と駆けていったのだ。カッコいいはずだ。

その様子が、

「すごく仲が良さそうだった」のだという。

幸せそうで、カッコよくって、羨ましかったのだという。

で、帰ってくるなり

「バイクの後ろに乗せてぇ〜!」

ときたものだ。

実は妻も中型免許を持っているが、きっと10年以上バイクには乗っていないだろうと思う。彼女のヘルメットすらどこかに行ってしまった。彼女の250ccはいま僕の山道および林道用バイクということで立派に役立っており、すっかりボクのものになっている。軽快さがまるでエンジンのついたマウンテンバイクのようで、とても気に入っている。

妻はこのバイクが自分のものであることを、ほとんど忘れているだろう。 取り上げたつもりはないんだけど、いまでは完全に僕のモノだ。しかし、たまには所有者も乗せてやらなくてはいけないだろう。

でも実は、免許持ってんだから勝手に乗れば?と、思っている。

自分で運転しろよな〜。

ま、仕方ないからボクのオートバイ(1000ccの古いやつ)の再生修理が終わって無事に車検を取得したなら、せめて一度くらいは乗せてやろうと思ってる。

彼女は妻だというのに、このバイクには1度も乗ったことが無い。乗りたいと言わなかったし、きっと乗りたいとも思わなかったのだろうと思う。

僕はオートバイが好きだから、妻が突然「バイクの後ろに乗りたい」と言い出したことは、決して悪い気はしないものなのだ。


2005年4月25日(月)

積雪0センチ きょうの美馬牛

「ついに積雪0センチを宣言するぞ!」

僕は胸をはってこう叫んだ。冬の間は使用していなかったガイドの山小屋の駐車場の北半分のスペースから雪が消えて、ついに南北の駐車場が繋がったのだ。

もしかしたらGWにはまだ半分が使用できないままではないかと、ちょっと心配していたのだ。

「まあ!」と妻は言ったが、別に感動はしていないらしい。

道路脇にはまだまだ白いものが残るが、ガイドの山小屋はもう積雪はないと言っていいだろう。

本州ではとっくに桜が散ったというのに、我が家は積雪0センチ宣言なのだ。日本は広いよなあ。

ということなので、GWにガイドの山小屋で雪だるまは作れないので、そのつもりで。

しかし山にはまだまだたっぷりの残雪があるから、バックカントリースキーのツアーの合間には、いくらでも雪だるまを作って遊べますネ。

僕ならビールを埋めておいて飲み会を開いちゃうなあ。


2005年4月23日(土)

福寿草さいた ガイドの山小屋の裏庭から

数日前までは小雪がチラついたり積もったりと春が足踏みしていたようだが、ここ数日になってようやく春らしくなってきた。

それでも、いまいち天気が安定しないのだが、それでも春の陽気は確かに大地を暖めているようだ。周辺の残雪がどんどん少なくなっていく。

ガイドの山小屋の裏は一部が菜園になっていて一部は湿原性の原野のままで残っている。その向こう、隣の土地は熊笹の藪になっていて、まことに緑が豊富なことこのうえない。その向こうは美瑛の丘へと、まるで絵画のような風景に連なる。

緑が豊富、というか、ただ単に「放置された土地」ということなんだけど。

その「放置」された原野の一部に今年もまた福寿草が咲いた。直径3センチくらいの菊のような黄色い花が、まだまだ緑の気配のない枯葉色した寂しげな土のうえにちょこんと咲いている。太陽が昇れば花びらが開き、夕方になれば花びらは閉じられる。天気の悪い肌寒い雨の日にもまた、花びらは閉じられたままだ。

この福寿草はもともとこの敷地にあったものだ。ここに建物を建てるために原野を造成するとき見つけたのだが、環境が変わってしまったためだろうか、いつの間にか見かけ無くなってしまっていた。それが、ここ最近の2〜3年で戻ってきたのだ。

雪解けの大地のうえに他の草花に先駆けて真っ先に花をつける福寿草。最近では自然のものを見かける機会は極端に減ってしまった。ほんの5年前までは美馬牛の○○の前の雑木林でも豊富に見られたのだが、毎年春になれば近郊の人がやってきて山菜でも採取するような気軽さですっかり掘り返してしまうのだ。いまでは○○の脇の道路のノリ面にしか福寿草の群落は見られない。ここは車からは見えないから残ったのだろう。

福寿草は目立つ花だから、自転車の人には見つけられるだろう。僕もこの場所の福寿草は自転車で散歩していて見つけたのだから。

ガイドの山小屋の裏庭に咲く福寿草はたったの一株だけど、こいつはまことにメデタイという花だから、何となくいいことがありそうな気がする。


2005年4月20日(水)

趣味の1日 僕のオートバイ

僕はオートバイが好き。どちらかというと古いタイプの、鉄塊と鉄パイプで組み上げたようなベーシックなスタイルのものが好きだ。なかでも古いオートバイはエンジン音がまるで心臓音のようで、機嫌が良かったり悪かったり、気温や天気の変化にも敏感で、まるで生き物のような、乗っていて息吹を感じる。そんなところがいい。

現在、3台の2輪を所有しているが、1台は実家のガレージに眠ったままだ。道路を走ろうものなら、いつ突然分解してもおかしくはないというご老人だから、恐ろしくて北海道まで走って来られない。70年代にカワサキというメーカーが作ったオートバイで、僕はこのオートバイで大学やアルバイトに通い、日本中を旅していたのだ。走行距離は10万キロを越えている。何しろ思い出がいっぱい詰まっているからとても手放す気にはなれず、今でも大切に保管してある。引退後の楽しみに取ってあるのだ。

あとの2台は手元にある。250ccの小型オフロード。林道を走り回るには軽快このうえない。エンジンがついたマウンテンバイクみたいなものだから、目下のところこれが僕のイチバンのお気に入りというわけだ。

それから1000ccエンジンの大型オフロード。これは前述のカワサキにかわる長旅用のオートバイだ。エンジンの大きなシリンダーが左右に張り出した独特のスタイルをしている。1990年ドイツ製。北海道に引っ越してきた時はるばる乗ってきたのだが、車体が大き過ぎることに加えて、これまでの日々が忙しかったこともあってロクに乗らないまま月日が流れて現在に至る。車検が切れて8年、最後にエンジンをかけたのは4、5年くらい前のことではなかっただろうか。動かなくなってからは冷たく冷え切ったまま、ガレージのなかで今日までずっと埃を被っていたのだ。あちこちに錆びも浮いている。

バッテリーを新品に交換した。空のガソリンタンクに燃料をいれ、恐る恐るエンジンをスタート。果たして、こいつは再び生命を取り戻すだろうか?いつだったか旧友のNが言ったことを思い出していた。

「そのエンジン、放っといても5年や10年くらいで腐ったりせえへんで」

ヤワなエンジンじゃない、だから試しにエンジンかけてみろと彼は言ったのだ。彼はオートバイ好きだった頃の昔の僕をよく知っている。オトナになった僕がバイクに乗らなくなったことが信じられないといった顔をしていたものだ。彼の一言はずっと僕のなかでくすぶり続けていた。

しかし、びくとも動かない。ヒュル・・ヒュル・・・、セルモーターが力なく回り続ける。バイクの15歳は老齢、さらに何年も放置していた。やはり死んだのか?

チョークレバーを戻していったんスイッチを切り、スパークプラグを外してみる。プラグに異常はみられない。火花は力強く飛んでいるし、スス被りもない。それでは燃料系か?古い燃料がキャブレターを詰まらせたのかもしれない。

バッテリーに補充電をして再びエンジン点火に挑む。今度はチョークレバーを使用せず、少しだけスロットルを開き気味にしてセルモーターを回してみた。ヒュルルルルル!!再びセルが力強く回り始める。

そのとき!

ドンドンドン・・・・ (スカッ) ・・・ドン・ドン・・ドドドド、ドッドッドッ!

おおおお!

何度か止まったり回ったり、不整脈のようなことを繰り返しながらではあるけれど、エンジンに再び火が入った。エンジンが徐々に温まってきて、立ち昇った熱気が頬を撫でる。排気ガスが、あたりに漂う。

しかし諸手をあげて喜んではいられない。右側のシリンダーは正常な熱気を発しながら力強く働いているのだが左側のシリンダーは冷え切ったままで、つまり点火していないらしい。つまり、2基のエンジンのうち片方しか動いていないという、非常にマズイ状態だ。これが飛行機ならば墜落しかねない。

そんな悪戦苦闘の途中、なんという偶然だろう。車の整備士Sさんがたまたま遊びにきた。Sさんは趣味がクラシックバイクいじりという方で、きょうは「いやあ富良野に行ってましてねぇ」と、すばらしい偶然のタイミングで立ち寄ってくれたのだ。そこでSさんに急遽バイクを診てもらった。スーツ姿のSさんはまさかバイクの整備を手伝うことになるとは思ってもみなかっただろうが、快く引き受けてくださった。

Sさんはすぐさまキャブレターの不調を指摘し、「ここをトントンと叩いて、ほら、このワイヤーを外して・・・」と、油に汚れながら手際よく作業の手順を教えてくださる。ひととおりの手順を聞きSさんを見送ったあとで早速作業を再開する。ガソリンまみれになりながらSさんの言う手順でキャブレターを開いてみると中はまるで松ヤニでも塗りたくったようなベトベトの悲惨な状態で、あまりの惨状に驚いてしまった。これではバイクが動くわけはないだろう。

ベトベト地獄のなかからいくつかの精密で緻密な部品を取り出して薬品で汚れを落としていく。あまりに酷いものはマイナスドライバーで付着物をガリガリと削り取った。そして再びキャブレターを組み込む。

こうして問題箇所をリフレッシュされたオートバイを再びスタンバイさせる。そしてエンジンを、スタート!

ドンドンドン・・・ドドドドド、ドッドッドッ!

おおおお!いい感じに動き始めたではないか!懐かしい響きだ。生き物のような鼓動だ。

旧友Nの言葉どおり、エンジンは腐ってなんかいなかった。あのときNがああ言わなければ、きっとこのオートバイは冷え切ったまま朽ちていっただろう。

まだまだ旧型バイク復活への道程は遠いのだが、こうなるとおもちゃを与えられたようなもので、嬉しくて楽しくて仕方がない。僕は当分これで上機嫌でいられるだろう。

我ながら思う。僕は相変わらずガキみたいだな、と。


2005年4月18日(月)

きょうの美馬牛

今年は雪解けが遅いような気がする。

ガイドの山小屋の周辺は今も積雪が数センチといったところ。本州の人ならば一見すると真冬のような風景だと思うのではないだろうか。クロカンで遊ぼうと思えばやれなくもないかもしれない。最低気温は0度前後で最高気温が10度弱だから、本州の冬くらいの気候というところだろうか。でも北海道では立派な春の陽気だ。日差しがあたたかい。

日当たりがいい、周囲よりも少し早く雪が消えて土が見え隠れしているところでは早速フキノトウが顔を出して僕に食われるのを待っている。雪解けは毎日2、3センチずつ進んでいて、日陰や雪の堆積場以外ではまもなく積雪は0センチになるだろう。そうすると食いきれないくらいのフキノトウが一斉に顔をだす。続いて、食いきれないほどのツクシも顔を出す。

食欲の春なのだ。

ガイドの山小屋の駐車場は、冬は半分だけ使用して、あと半分は雪の降り積もるまま、さらに駐車場除雪の際の雪捨て場になっていたんだけど、おかげで未だに雪がたっぷり積もったままだ。ゴールデンウィークまでにあと半分の駐車場が使えるようになるかどうかは非常に微妙なところ。まだ積雪30センチくらいもある。

GWに雪だるま作りができるかも。

あまり知られていないようだけど、美馬牛には小川のような水路が多数ある。雪解けが進んでくるとあちこちの水路周辺には俄かにミニ湿原が出現する。そしてそのミニ湿原には最初にザゼンソウの赤い花が咲き、続いておびただしい数の水芭蕉が咲き乱れる。GWから5月中旬ごろが身頃といたっところだ。

ミニ湿原散策には長靴が必需品だ。水芭蕉はきれいなんだけど尾瀬のように木道なんかあるはずもないから、足回りは悲惨なことになる。おまけに道なんかないから擦り傷の一つや二つくらい作ってしまうだろう。ちょっとした覚悟が必要だ。たまに聞かれることだけど、熊はいない。いちおう念のため。

我が家の裏庭にザゼンソウの怪しい赤い花が咲き始めるのは、あと1週間くらい先だろうか。我が家の裏庭もまた、ミニ湿原である。5月から6月にかけて福寿草やエンゴサク、エンレイソウ、またアマドコロなどランの仲間の花々が次々と賑やかに咲き誇る。しかし、それから先は、手の付けられない雑草のジャングルになってしまう。

カエルの鳴き声がうるさいのが悩みでもある。

カエルやオタマジャクシは、残念ながら食う気がしないから、僕の興味を惹くことはない。

水芭蕉も食えないのだ。あ〜〜〜、残念だ。


2005年4月15日(金)

退院

受傷から3ヶ月弱、きょう、ようやく退院。

病院住まいにもすっかり住み慣れたものだから、なんとなく去りがたい。長屋住まいのような、大家族のような雰囲気も悪くはなかった。

僕が“暮らして”いた6畳の部屋は学生時代に住んでいたアパートのような感じで、狭さが心地よくて結構落ち着いた生活ができたものだ。規則正しい生活も悪くなかった。おかげで健康そのものだ。

部屋をすっかり整理し終えると、何ともいえない寂しさが込み上げてきた。やはり住めば都というものなんだろう。振り返ると自分は随分と恵まれた入院生活を送っていたような気がしてきた。

昼下がり、賑やかに見送られて病院をあとにした。これからは週に2、3回も通うわけだから決してお別れではないんだけど、ひとつの区切りということになる。家に帰るのは嬉しいものだけど、同時に社会生活を再スタートするという意味でもある。しばらく“生活”というものから遠ざかって何不自由ない日々を暮らしていたおかげで日常生活の再スタートがちょっぴり不安だ。

長期の休暇から帰ってきたときの感じに似ているな、そんな気がした。


2005年4月12日(火)

運動不足は解消できるさ

骨折と靭帯損傷。あれから3ヶ月近くたった。ギブスで固められた右足は、一時は激痩せして肉はブヨブヨ。とても自分の足とは思えなかったものだ。

筋肉は、得るは難しいが失うは容易いのだと僕の治療に関った誰もが言った。その言葉を聞くたびに暗い気分になったものだが、いくらか反発もあった。ぜったい復活してみせるさ、そんな気になったものだ。

ほぼ毎日続けてきた自主トレの成果がようやく実感できるまでになった。こうなると自主トレは楽しくなる。

退院を週末にひかえた今は、足の太さは以前とあまり変わりがない。太腿の裏には力瘤が戻った。これはエアロバイクの成果だ。ふくらはぎも六角形に角ばってきた。概ね60%くらい戻ったという印象、思いのほか早かったと思う。

あのブヨブヨ状態から、よくもまあ蘇ってくれたものだと思う。関節機能の回復は不十分だが、これは焦っても仕方がないから気長にやっていこう。関節は錆びた機械のようにギシギシするし、たまに完全に錆び付いて動かなくなることに閉口させられるが、使い込めばまたいいカンジになるだろう。痛みさえなくなれば、多少動きが鈍くても別に構わない。

「昔はこんなんじゃなかったんだけど、最近はねぇ・・・」と運動不足を嘆く人は多いけれど、それなりのことをすれば比較的短時間である程度の体力を取り戻すのはそんなに難しいことではないと思う。

ただし、減量はそう簡単にはいかないらしい。こちらは別問題。

ポッキー一気食いもマルちゃん焼きソバ弁当も、やっぱりやめられない。

退院したら僕は、まずは桜餅を山盛りにして死ぬほど食いたいと思っている。

あちゃ〜。


2005年4月9日(土)

街角に残る雪

街もすっかり春になったようだ。

僕が仮住まい(長期入院)している旭川の市街からも、雪は消えつつある。アスファルトや駐車場にはもう雪はなく、緑地からも雪は消えつつある。いま白いものが見えているのは、人工的に雪を集積したところや日当たりの悪いところに限られる。霧氷や樹氷はまったく見られない。家々の屋根に厚く堆積していた雪もない。風景が変わってきた。

それでも、天気の悪い日には冷たい雨が雪に変わることもある。大粒の雪が一時激しく降ることもある。それでも、積もることはない。

僕がいま“暮らして”いる病院の前の道路の脇には、ず〜っとラベンダーが植えられている。病院前の道路は「ラベンダー通り」なのだ。とはいっても観光用ではなく、いわゆる「本気」のラベンダー並木だ。6月になると順に咲き始める。これがなかなかに美しい。観光用ではないから白々しい“演出の仕掛け”がない。それがいい。もちろん、たまらなくいい香りがする。病院通いが楽しみになるかもしれない。

僕はどうも“観光用”の演出というのが好きになれない。成功している場合もあるのだろうが、なんとなく「無理しちゃってるな〜」みたいな田舎臭さが漂っている場合が多いし、それに何よりも観光下心が見え見えだ。ここのラベンダーにはそういう安っぽさはない。シラカバ並木とのバランスもいい。

とはいっても普通の郊外の住宅地だから、有名にはならないでほしい。

歩道脇の花壇に植えられたラベンダーの株が冬の間に道路脇に寄せられた除排雪の山に押し潰されたのではないかと心配したが、いやいや心配には及ばない。胡麻塩いろに汚れた残雪が消えたあとからラベンダーの株が次々とあらわれた。ラベンダーは低木だから、冬の間も枯れることはない。雪の下でじっと春を待っていたのだ。

なかなかに、たくましい。

まだまだ街角には雪が残る4月だが、冬を耐えてきた草木たちが一斉に花をつける日が待ち遠しい。

残雪の下からは、これからもいろんなものが顔を出すだろう。楽しみだ。


2005年4月8日(金)

ポッキー一気食い

僕は依然、入院している。しかしながら退院が近い。退院が近いと知ると、何でだろう?生活がソワソワしてくる。

入院中は個室の病室でノンビリと過ごしてきた。部屋は学生時代のアパートのような感じで6畳の部屋に小さなキッチンがついている。畳を敷いてチャプ台を置けばずっと住んでいてもいいような気も?する。たくさんの本をよみ、院内のジムに毎日通い、必ず8時間眠る。外出外泊も自由だったので週末には外に出かけたり自宅に帰ったり、また望んだわけではないが、4泊5日の旅行までした。特に不自由もなく、かえってけっこう充実していたような気がする。

それでも、やっぱり退院が近づくと何だかうれしい。ソワソワする。何不自由ないとはいっても食べ物に関する不満は如何ともし難かった。病院食はお世辞にも旨いとはいえない。トンカツや刺身も出るから、まあレベルは低くないんだろうけど、やっぱり「老人食?」という印象はぬぐえない。これは仕方がないだろう。だから食い物に餓えてくる。

きょう、なにか突然に甘いものが食べたくなった。

ずっしり重い饅頭や甘辛いタレの絡んだ団子を、熱い煎茶でいただきたい。いやいや、果物のシャーベットも悪くないな。いやいや、焼き芋がいい。いやいや、ミルフィーユもいいかもな。いやいや、アツアツのアップルパイをハフハフいいながら・・・。

まったくもって、いやいやの人になってしまった。

こういうときの「いやいや・・・」は止まらない。連想は、限りがない。

小銭いれを握り締めて、ついに立ち上がった。長い入院生活に耐えてきたんだ。ちょっとくらい自分にご褒美があってもいいだろうと、気楽に考えた。

退院が近くなったことで、気持ちが軽弾んでいたんだと思う。

病院の売店にはこういう餓えた患者のために、よくもまあ、これでもか!というくらい、甘いものばかりが売られている。まずは瓶のコーヒー牛乳に心を奪われる。次にカステラだ。あああ、丸ごと齧りつきたい。チョコレートパイなんかもある。おおいかんいかん、こんなもの食っては1週間500分にわたるエアロバイク漕ぎに流した汗のすべてが水の泡になってしまうではないか。実際、エアロバイク(自転車のようなアレですね)を漕いでいると、30分を超えたあたりから汗が滝のように流れ落ちはじめて、90分にいたるころには直下はささやかな水たまりならぬ汗たまりができたりするのだ。

あの汗も、一瞬の快楽で「無」に帰するかもしれない。しかし・・・

ふと、グリコの「ポッキー」が、目に留まった。あの有名なチョコレート菓子だ。子供が好きなので家にもよく転がっているが、自分で食うことはまずない。しかし今日は別だ。実に魅力的にみえる。1箱265kcalとある。たいしたことはないだろう。これを金土日にわけて大切に食おう。

ついでにそのヨコにある「コメッコ」も買った。これも週末の大切な友達だ。

 

それから30分後・・・

僕の部屋のゴミ箱に「ポッキー」と「コメッコ」の空箱が捨てられていたことは、ここで説明するまでもないだろう。

またしても、やってしまった。


2005年4月6日(水)

きょうは大安

さいきん、僕のまわりの友人たちにはカップルの成立が多い。

そのうちの数組が今年になって、相次いで結婚をきめた。これが嬉しくないはずがない。昨年はお客さん同士のカップルが何組も誕生して、結婚の報告もいくつかあったばかりなのだ。このところ、いいことが続く。

「私たち、恋のキューピットみたいね」と、妻。

でも、僕らが何かを仕掛けたわけではないんだけどね。あくまでも出会いのきっかけに、たまたま居合わせただけなのだから。 彼らはいずれも、いつの間にか勝手に仲良くなっただけなのだ。

なかなか、やるのぅ。

きょうは大安。いま僕が入院している病院でもきょうは退院のラッシュだ。天気もよく雪どけも進んで暖か。いい日和だ。

確か、友人の奥さんになる女性がきょう、手術をすることになっている。その友人は飛行機にのり、今ごろは遠い街に住む彼女のもとに駆けつけているはずだ。

もちろん!何もかも、うまくいくような気がする。


2005年4月4日(月)

きのう、友人のひとりが旅立っていった。おのれが苦心して積み重ねてきた高学歴を顧みることもせず、年上の病身の女性をともない、彼は夢の実現へと旅立っていったのだ。

彼の行く手にはきっと、さまざまな困難や生活苦が待っているだろう。理想と現実のギャップにもぶつかるはずだ。耐えられるだろうか?

夢の実現というのは、現実的には「修羅の道」に等しい。従ってアドバイスすることは難しい。僕は彼に多少の助言をし、励まし、肩をたたき、見送るしかない。夢に燃える彼に考え直すよう諭すような、そんなネガティブなことはしたくなかった。彼は彼で、きっと自分に吹いてくる風をつかんだのだろう。これからの仕事を語る彼は、いかにも楽しそうだった。

彼は決して若くはないが、顔は希望で満ち溢れていて、腹の底が真っ白で黒いものが全く感じられない。僕はちょっぴり羨ましかった。

また、別のある日のこと、病室に見舞にきた別の友人は、その日は珍しく饒舌で、己の夢を語っていった。その彼もまた、その夢へと一歩一歩近づいている。こうなると、それは決して夢ではなく、目標、将来のビジョンだ。きっと実現するだろう。

さて、自分に置き換えてみた。

僕には最近、おおきな夢がない。どちらかというと、守勢にまわっているような気がする。開業時の僕は夢の実現にむけてヤル気満々の新進気鋭の若者だったように思う。積極的に資金をあつめ、それを惜しみなく運用した。法人としてはささやかだけど、個人事業家にはちょっとした額だった。洒落た家が2軒くらい建つだろう。

そうして気がつけば、矢尽き刀折れ、落城寸前に陥ったこともある。しばらく心療内科に通ったこともあった。いまでも思い出すのが辛い日々だ。

一見して華やかに見える山岳ガイド・アウトドアガイドという職業。しかしガイド業だけでは経営は成り立たない。団体旅行扱いに特化するか、補助金・助成金に 頼って、ある意味で他人に依存して生きていく以外に方法はないのが現状だ。独力独自の経営、自然保護との両立と共生は僕の夢だったが、 まもなく壁にぶつかった。頑固に理念にこだわった僕は崖っぷちに追いやられたわけだ。よくある話だ。

いろいろな紆余曲折を経て、別業でもって何とか安定を得たが、しかし、いったん臆病になってしまった僕は、なかなか次の夢をみられない。 40歳を間近にひかえた今は、次のステップに踏み出す頃合いだと思っているというのに。

それでも、なかなか踏み出せない。守勢にまわってしまう。これじゃ隠居じゃないかと自分を責めたくもなる。

夢にむかって踏み出した友人たちが眩しくみえた。


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