ガイド日誌

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2005年1月30日(日)

雪がふる ものすご〜く・・・

この週末はやられた。冬山に慣れているはずのガイドかっちゃんもuydaも少しヤラれ気味だ。それもそのはず、山にはドカドカと雪が積もりつづけている。湿った雪が次から次へと音をたてて降り積もる。音をたてて、というのは表現として適切ではないが、豪雪というのは音をたてて降ってくる、そんな気がするものだ。ともかく、ものすごく降り積もり続けている。

1月は中旬からあまり降らなかったのだが、やはり冬は少しばかり休んでいただけのようで降雪量はこうやって最終的にはバランスがとれるようになっているらしい。

そろそろ止んでくれないか、と思うが、雪の季節はこれから中盤を迎えたところだ。今週は大雪ではじまった。


2005年1月25日(火)

ニューフェイス

ガイドの山小屋のツアープログラムはオープン以来ずっと、ほとんど僕一人でやってきたけれど、昨年やおととしくらいから新しいガイドが担当するツアーがぼちぼち始まった。何でも一人でやってしまおうとすると結構しんどいものだけれど思い切って信頼できる仲間に任せてみたところ、これがナカナカいいものらしい。

人が変われば内容もかわり、雰囲気もかわる。あるガイドは写真をたくさん撮ってショップに戻ってからはスライドショーをやってくれる。これがものすごく盛り上がる。この写真が楽しくて次の予約をして帰る人もいるくらいだ。

また、あるガイドはイケメンで女の子にモテモテだった。彼に本気で交際を申し込もうとしていた女の子を何人も知っている。それなのに彼はまったく気づかない。困った鈍感だ。またあるガイドは優しい女性で、丁寧だし親切だと評判がいい。彼女は7時のニュースのお天気お姉さんに似ていてなかなかの美人だ。12月と1月の担当だったけど、きっとまた来年もガイドの山小屋に来てくれるだろう。

そして来月早々からはまた新しいガイドがデビューする。そんな彼はとってもファンキー。僕らの山仲間の間でも飛びぬけている。音楽好きの彼のことだから、もしかしたらギター片手に即興のミニライブをやってくれるだろうか。それとも漫談?いやいやアコースティック?評判を聞くのがすごく楽しみだ。

彼がその気になるようにと、明日からは暖炉の脇にギターを置いておこうと思う。音楽好きの彼のこと、つい手に取ってくれるに違いない。


2005年1月24日(月)

吹き溜まりはやっぱり怖い だから一気に行こう

冬の嵐がやってきた。雪が降らないよ〜と嘆いていたら、やっぱり冬将軍は僕らことを忘れてはいなかった。今ごろになって、いきなり風雪が荒れ狂いだした。

きょう旭川からの帰りが夕方になってしまった。吹きっさらしの1本道、いかにも北海道らしい何キロにもわたる直線道路が伸びている旭川空港脇の道路は国道の抜け道として地元ではよく利用されているのだけど、いったん風が吹くとこの道は悲惨なことになってしまう。

道路はみるみる周りの雪原と見分けがつかなくなる。まるで砂丘が移動してくるように道路に巨大な雪の舌が伸びてくる。道路など簡単に包み込まれてしまうのだ。小さな雪の舌(吹き溜まり)は乗り越えられるけれど、大きな吹き溜まりになると小型車くらいはあっさり飲み込んでしまう。案の定、直線道路の中ほどでは事故が起こっていた。吹き溜まりに突っ込んだ車に後続車が追突したらしい。さらに吹き溜まりに捕らわれていく車もある。一瞬「どうしようか」と悩んだが、一気に突破する道を選んだ。もし停車していたら僕も出られなくなるだろう。後部シートには7ヶ月になる赤ん坊もいる。吹雪の直線道路、時速70キロ、あっという間に現場は目の前だ。運転している妻に大声で檄を飛ばした。

「止まるんやない、一気に行け!」

「絶対止まるなよ、後ろの車が突っ込んでくるで!」

数分後、何事もなかったように僕の車は国道を走っている。運転席の妻も明日の仕事の段取りなど考えながらグチを言っている。いつもの光景だ。あ〜無事でよかった〜。


2005年1月22日(土)

冬山はやっぱり寒い だから脂身を食べよう

当たり前だけど冬山はやっぱり寒い。きょうは参ってしまった。

僕は体格がいいほうなのだけど、意外と寒がりで逆に暑さには強い。また冷え症にも悩んでいる。デブの一人としてはまだまだ修行が足りないようだ。

きょう、なにしろ寒かった。北風が強かったこともあり氷点下17度のもとで体感温度は軽く20度を下回った。おまけに十勝岳では遮るものは何もないから寒風をまともに受ける。僕の足は左右ともに凍傷を患ったことがあるため後遺症として極端に冷えやすい。足の指先は血行が悪く常時いつもジリジリ痺れている。感覚はほとんどない。きれいな肌色をしているから壊死することはないけど、癖になっているのか極端に冷えやすくて辛い。靴下の下にはいつも5本指サックを入れているし、冬山ではブーツの中敷は暖かいことで定評のあるサーモインナーだ。それでも寒い。

また風が強いと顔が寒い。寒いときには目と鼻だけが開いている目出帽という、強盗っぽい帽子を使うのだが、これを被ってゴーグルをすると視界が悪くて仕方がない。遠近感がなくなってしまう。きょう、あまりに寒いので滅多に使わない目出帽とゴーグルでスキーで滑り出してみたら、雪がいいのにどうしても転んでしまう。せっかく登ってきたというのに勿体無いことをした。そこで試しに目出帽をまくり上げて顔を出して、さらに裸眼で滑ってみたら、いつものようにうまく滑ることができた。しかし顔が寒くて辛かった。

2度も転ぶとゴーグルはレンズが凍結してしまい使えなくなってしまった。一度凍結したゴーグルは使用できない。サングラスも同じだ。目の防護がないというのは冬山ではかなり辛い状況だ。さらに寒さがこたえる。

手先も過去に軽い凍傷を経ているためか、すぐに“かじかんで”しまう。いったん出発すると薄いインナーグローブは絶対外さないし、手袋はもちろん滅多に取らない。登っているときは体は発汗もしているはずだ。それでもきょうは徐々に感覚がなくなっていく。昼前にはジンジンしていた。

足先、指先、それから顔の感覚が薄れていく。おまけに目も寒い。まぶたが凍るので、瞬きをするときに目が開きにくいことがある。そんなときは手をあてて瞼を溶かしてやらなければならないことがある。きょうは久しぶりに瞼を溶かして瞬きを手助けした。

ウェアはとっくにバリバリに凍っている。中に着ているフリースも表面が凍っている。ふと、このままジッとしていたら、間違いなく冷凍人間になるだろうなと思った。昼飯のあいだも手足を動かしながら体の凍結をふせぐ努力をする。のんびり休んでなんかいられない。(ウソじゃないよ)

寒いときはナゼだろうか、脂っぽいものが欲しくなるようだ。分厚い脂身たっぷりの豚の3枚肉などふだんは食べないのだが、冬になると欲しくてたまらない。肉汁したたるスペアリブなんか最高だ。ギトギトのジンギスカンは素晴らしい。溜まった汁まで飲みたくなる。ビフテキについている脂身はもちろん全部いただく。たまにベーコンの脂ばかりが食べたくなる。チョコレートというのは油脂で固めたものなのだが、冬になるとチョコがすごく旨いと感じる。僕は毎日冬山に通っているにも関らず、このような食生活をするものだから決して痩せることはないわけだ。でも脂身を食べるとぐっとパワーが出る。僕のパワーの源は脂身かもしれない。

それでもやっぱり手足の冷え症と瞼の凍結はどうにもならない。もっと脂をゴクゴク飲めば寒さに強くなるだろうか?試してみようか。


2005年1月20日(木)

おれたち細板革靴ブラザーズ

今朝、久しぶりに雪が積もった。

山は春の陽気のようなお天気だった。

集まったのは気軽な3人。なんとなく、「久しぶりに革靴で歩きたいね!」という話になった。

いつもハードなプラスティックブーツを履き、太い板ほど素晴らしいのだという話ばかりしていた僕たちは、そろそろそんな話題にも飽きていたのだろう。そりゃいいね。そうしよう。あっという間に3人同意。話はすぐに決まった。最近はうまく滑ることばかりに熱中していたから本来のテレマークスキーの楽しさを忘れてしまうところだった。

スキーはみんなトップ幅90mm以下の細い板ばかり。幅88mmのY君など「ずる〜い」といわれる始末だ。僕の板はいちばん細くて(手前)75mmしかない。これじゃまるでクロカンだ。妙に可笑しくて笑ってしまった。

小春日和の冬山を歩くのは楽しいもので、暑い暑いと文句を言いながらもテクテクと登っていく。まるで普通の靴みたいだから足取りが軽い。真っ青な空にそびえる美瑛岳の峻峰がまぶしい。

さて、いよいよ下り坂が始まる。みんな「ここは急過ぎないか?」など普段は口にしないような文句ばかり言っている。いつも道具の性能に頼りきっていたから足元が不安定なきょうは臆病になっているのだ。それでは、ということでまず最初に僕が発射、斜面に躍り出る。

「うぎゃ〜・・・!」お約束の深雪ダイブだ。たちまち転んでしまった。あとに続くみんなも不安定で怖々と滑ってくる。札幌のIさんは一人で吹雪に見まわれて真っ白になる。みんなの笑いが春の野山にこだまする。

それでもだんだんコツを掴んできた僕らはクマゲラ(天然記念物のキツツキ)を冷やかしながら森のなかを気分よく滑っていく。細板革靴ってカッコイイよねなどと調子のいいことを言っている。Y君の厳冬の北海道MTB旅の話など聞きながらツアーは楽しく盛り上がった。まったく気分のいい男友達というのはいいものだと、つくづく思う。


2005年1月18日(火)

海へ。

「ガイドの山小屋」は海へ進出するかもしれない。

ここしばらく、そのことばかりを考えていた。それが十分可能であることも知った。設立当初から「ガイドの山小屋」は山と川と海から遊びを発信することを目指していた。最近は安定志向にあぐらをかいて新しいことを始めることに臆病になっていたけれど、もうそろそろ、再びフロンティアに踏み出すのも悪くないと考えるようになっていた。それを本気で考えるようになったのはこの秋からだ。自転車のペダルを漕ぎ漕ぎ最南端を目指しながらいろんなことを考えた。海への進出もそのひとつだった。

そこは沖縄県・八重山諸島かもしれない。南四国・四万十川流域かもしれない。北海道内かもしれない。全部かもしれない。いずれも魅力的なところだ。信頼できる仲間がいれば、すぐにでも始めたいと思っている。夢は広がるばかりだ。

そんなことを考えながらもやっぱり僕はここが好きだ。僕はやっぱり十勝岳連峰の近くで暮らしていたい。新しい拠点を作ることになっても僕は、一仕事を終えたらきっと、ここに帰ってこよう。いろんな困難があるだろうけど十勝岳連峰の山々を眺めていると「何もかもうまくいく」と思えるに違いない。何たって僕の原点はここにある。

まだまだ先のことはわからないが、僕には紺碧の海がすぐそこにキラキラ輝いて見える。なんだかワクワクしてきた。


2005年1月17日(月)

震災が教えてくれたこと

1.17 今年も慰霊の日がやってきた。もう10年もたってしまったのかと驚かされる。

10年前の阪神淡路大震災。この出来事で僕の人生は大きく転換した。おそらく震災がなければ北海道に移り住んで来ることもなかっただろう。多くの人の人生を変えてしまった大災害。悪夢が蘇るが、何も悪いことばかりではない。

忘れもしない10年前の1月21日。僕はJR灘駅の近くにいた。高架は崩れてはいなかったが、もちろん電車は動いてはいなかった。瓦礫の町からKissFM神戸は音楽を流し続けていた。 聴いていると不思議と落ち着いた。

そのとき僕は持参した握り飯を1個食べていたように思う。パタパタパタと空からはヘリが飛び交うローターの騒々しい音、町には救急車や消防のサイレンが常に響きわたっていた。それらの騒音はもうすっかり気にならなくなっていたから、JR灘駅のあたりは静かだったような記憶がある。でも実際には かなり騒々しかったはずだ。サイレンやヘリの飛ぶ音を聞くと今でも時々ハッとする。家族や友人を探し回ったときの、あのときの神戸を思い出してしまうのだ。

休んでいる僕の近くへ東のほう大阪方面から一人の男性が大きな荷物を引きずりながら歩いてきた。よく海外旅行などで使われる小さな車のついた折りたたみカートに荷物を載せて引きながら黙々と歩いている。ただ黙って西に向かっている。

そのころ大阪方面からの交通機関は西宮が終着だった。ここまで15キロ、途中は見馴れた風景とは全く違う光景が広がっていたはずだ。 僕はそこを通るとき必死に歯を食いしばっていた。悲しみではなく言いようのない怒りを、叫びたくなるのを懸命に抑えた。彼はそこを、どんな思いで歩いてきたのだろう。

彼はどこへ向かうのだろうか。でもきっと、彼は家族を探しているはずだ。年齢は20歳くらいだろう。見た目はいわゆる、ろくでもないお兄ちゃんだ。でも、 寡黙な彼の目には輝きがあり意思がみなぎっている。彼の人生はこの先大きく変わっていくだろう。そんな確信がもてた。

このころ、神戸の町を目指して人々が続々と帰ってきていた。みんな持ちきれない荷物をカートに載せて引きずっていた。家族を探して、西へ西へと 黙々と歩いていた。そんな光景は連日続いていた。

あれから僕は人を信じるようになった。無職風の若い兄ちゃんは何かと非難の対象になりやすい。でも全然そんなことはない。神戸の町でいちばん必死になって頑張ったのは、彼ら だった。人間はいい。人間っていいもんだ。神戸の震災はそんな当たり前のことを僕らに教えてくれたように思う。

いままでいろいろあった。うまく言い表せなかったけど、それでも僕は人が好きだ。神戸でのことを思い出しながら、そのことを再確認している。彼はいま元気だろうか。そのとき言葉を交わしたわけではないけれど、今ぼくは無性に彼に会いたい。

神戸の町はいま、少し変わってしまったけど、元の姿を取り戻しつつある。年に2回帰省するが、そのたびに少しずつ変化がありそれが楽しい。これから先、さらに10年後、新潟県の被災地もまた、復興の喜びをかみしめることだろうと思う。そのとき彼のような人々がきっと大きな力になっているはずだ。


2005年1月16日(日)

雪崩

このウィンターシーズンはどうも雪崩が多い。1月3日に僕らが主催するガイドツアーが雪崩に遭遇して以来、どうも雪崩が気になって仕方がない。

きょうのツアーでも顕著な雪崩の兆候現象が見られたし、下山後、親しい山の友人が三段山で雪崩を誘発して怖い思いをしたとの報告を聞いた。僕らが富良野岳で雪崩の兆候現象に遭遇して退避をした、まさにそれと相前後する時間だっただろう。標高や場所の特徴も類似している。誰も被害に遭わなかったことは幸いだ。

今年は明らかに雪崩が多い。原因はよくわからないが、これほどまでも雪崩の脅威をすぐ身近に感じることは、これまでの冬にはなかった兆候だ。まだシーズンは半ばを迎えたところに過ぎない。この冬は気を引き締めていかなければならないだろう。

僕が頻繁に入山する三段山は「雪崩がおきない」という根拠のない伝説が蔓延していて、残念なことにほとんどの入山者がそう認識している。僕らのガイドツアーは一般ルートとは全く異なるルートを行くので常に雪崩の警戒をしているのだが、一般ルートを行くほとんどの人は無警戒だ。試しに登山口で雪崩発信機(ビーコン)の電波を受信してみても、回りにはたくさんの入山者が準備しているというのに発信電波は皆無といった有様で、それだけナメきられた山、と言えるだろう。

その三段山できょう、山スキーヤーが誘発した破壊力の大きな雪崩が発生した。人間を葬り去るには十分なエネルギーを持った雪崩だ。現場は一般ルートにも近い。「三段山では雪崩はおきない」と豪語していた人たちはこれをどう考えるだろうか。それでもやはり雪崩に対する備えをせずに入山するのだろうか。そして相変わらず「自分だけは雪崩に遭うことはない」と信じ続けるのだろうか。

この冬はなんだか嫌な冬だ。どうかこの山域で誰も事故を起こすことなく、誰も不幸になることのないように。そう願わずにはいられない。


2005年1月15日(土)

うれしいお餅

昨年の暮れに嬉しいことがあった。その日の午後、ずっしり重たい届け物が届いた。差出人は新潟県長岡市に住む旧知のお客さん。1枚の上品なカードに短いメッセージが添えられている。いかにも控え目な彼女らしい。

この秋、中越地方を地震が襲ったとき、僕は真っ先に彼女の安否が気がかりだった。被災地の、まさにその真っ只中に親しい人がいるというのは、離れている者にとっては結構辛いものだ。経験のある方ならわかると思う。

あの地震から2ヵ月後、その彼女から届いた「ようやく落ち着きました」を知らせるお餅の届け物。きっとわざわざ大晦日に届くように発送したのだろう。

「まったく、こんなことしてくれなくてもいいのに・・・。」そう思いながらも胸が熱くなってしまった。嬉しくてすぐに電話をした。まず飛びっきり明るい声の彼女のお母様が電話口に出られて、いきなり話が弾んだ。それから続いて電話でも相変わらず控え目な彼女。ほんの短い電話だったけど、先方の家族が元気であることが直に伝わってきた。本当によかった。

越後のお米で作られたその真っ白なお餅は、すばらしい美味だった。僕の家族みんな大喜びだ。でも、それだけではない。このお餅からは彼女の優しさまでも伝わってくる。まじりっけなしの真っ白なそのお餅は彼女の素朴で飾り気のない優しさを象徴しているようだった。


2005年1月14日(金)

白銀荘の今昔  吹上温泉白銀荘 上富良野町

白銀荘の職員Nさんの運転する車に乗って世間話をしていたら、話題が昔話になった。なんでも吹上温泉白銀荘はかつては営林署の作業小屋だったんだという。戦後から昭和30年代にかけての敗戦復興期というと営林署は大変な栄華を極めたころで、十勝連峰からもまた大量の原生林が伐り出されていったのだろう。

昭和20年代のあるとき、突然「国」から上富良野町に下知があったらしい。「皇族がスキー遊びに大雪山に行きたいという。そちらで何とか準備しなさい。」地元山岳会の会長だったNさんのお父様や十勝岳温泉凌雲閣の先代のさらに先代が借り出されて、当時ほとんど知られていなかった三段山や十勝岳富良野岳周辺の全域の探査が急ピッチで行われた。現在の白銀荘前の斜面の木々が切り払われ、雪深い山道を馬橇が行列して資材を運びあげ、下山時には伐り出した丸太を麓までおろしたのだという。想像を超える大変な難事業だったことだろう。こうして国の援助でもって営林署の作業小屋のあった場所にヒュッテ旧白銀荘が建設された。下知から2年後のことだという。

そんな大変な苦労のおかげで、それから20年以上の間、皇族のなかでも当時先進的なアスリート系であった高松宮様や三笠宮様に愛され旧白銀荘もまた山スキー愛好家によって大変賑わった。何度か火災に見舞われたりしたようだが、現在も駐車場の隅に残る旧白銀荘の建物は(全体の半分が現存している)往時の面影を今に残している。

いま、僕らは、やれ三段山だ富良野岳だと、まるで自分たちのフィールドのように騒いでいるけれど、元はというと開拓移民であった先代や先々代のおかげでもってこうして遊ばせていただいているに過ぎない。あまり得意になっていたら罰が当たるだろう。

そんな話をしてくれたNさんのお父様は讃岐(現在の香川県)からの開拓移民だったという。いまは関西に実家があるが僕は元々は香川県の出身だ。ひょんなことで話が盛り上がった。そういえば非常に親しい三段山の山仲間であるOさんの祖父様も香川県出身だったと聞いていた。Nさんはそれを聞いて「奇遇だ」というように喜んでくれた。いま僕が住んでいる土地を売ってくれたTさんも父上が香川県出身だったという(それが縁で親しくなり条件の良い現在地を安く売ってくれることになった)。なんだか時を越えて1本の糸が繋がったような気がした。

厳冬の十勝連峰の道を白銀荘のNさんと僕が乗った4輪駆動車が走る。きょうはよく晴れていてふもとの上富良野の町がよく見える。ぼんやり窓の外を眺めながら、そういえば讃岐の氏神様である金比羅さんからは紺碧の瀬戸内海が一望に見渡すことができたことを思い出した。遠い遠い僕らのふるさとが、妙に懐かしく思えた。

 


2005年1月11日(火)

森を歩こう 

夏山と冬山、どっちが好きかと問われれば、僕は迷わず冬と答える。風景が凄いとか、まあ色々あるけれど、何が一番魅力なのかというと、道を選ばずにどこだって歩いていけることだろう。

右の写真は、きょう歩いてきた十勝連峰の標高1300m付近、森林限界に近い原生林のなか。参加者は全員女性で、決して厳しい登山の訓練を受けているわけではなくて、ごく普通の女性たちがニコニコ笑いながら歩いているだけだ。この場所にはもともと道があるわけではなく、僕がいつも適当に歩いて道を作っている。無事に目的地に着けばいいんだからルートなど無数にあるわけだ。この道も雪が降ればたちまち消えてしまう。消えればまた適当に歩けばいい。だから明日にはまた違う道が刻まれることになる。

夏、このあたり一帯は潅木と熊笹で人間はとても立ち入ることはできない。冬はそれらが一切雪に埋もれるからその上を歩いてどこでも行けるわけだ。好きなところに歩いていける。冬だけの楽しみだ。

自由に森を歩こう。ただそれだけで楽しい。 テレマークスキーはそんな僕らをどこにだって連れていってくれる、素敵な道具だ。


2005年1月10日(月)

雪、雪、きょうも雪 

僕は雪が大好きだ。冬になれば雪とテレマークスキーさえあれば、とりあえずご機嫌でいられる。山に登っても冬はいい。登りも下りも両方が楽しい。なんだかお得じゃあないか!そう思ってる。

それにしても、きょうも雪、明日も雪だ。年末以来ず〜〜〜〜〜〜っと、日中は雪で夜には晴れるという妙な天気が続いている。快晴は元旦くらいで、あとはイマイチすっきりしない。まあ、スッキリしないのはいいとして、それにしても雪が降りすぎる。毎日毎朝、「きょうは除雪しなきゃいけないだろうか」と悩んでばかりいる。ガイドの山小屋の駐車場は車を10台くらい停められるので除雪はタイヘンな重労働だ。力仕事なので女性には辛いだろう。大抵は僕一人でやっている。

毎日新しい雪が降るから野山に出掛ければ誰もいない新雪で思う存分遊ぶことができる。でも、そんな新雪にルートを作る先頭のボクは毎日が命がけだ。原生林のなか深雪を漕いで道を刻む。秋には自転車で体を鍛えたが、それでもやっぱりきつい。

仕事中も、そうでないときも、毎日が雪雪雪・・・。特に雪の多い今年はいつだって雪まみれだ。でも、やっぱり冬が好きだ。たまには南国の何も考えないノンビリ生活に憧れることもあるけれど、今はやっぱり雪にまみれていたい。冬になると家族の団らんも暖かいし、それにガイドの山小屋にはいつも大抵、友人の誰かが賑やかに遊びにやって来る。賑やかに夕食のテーブルを囲む。そういう冬の暖かさもいいものだから。

今夜は星空のまぶしい夜になりそうだ。気温はマイナス15度になろうとしている。


2005年1月9日(日)

温泉!温泉! 改装されたホテルパークヒルズ

僕は風呂が大好きだ。回転寿司と温泉さえあれば、とりあえずご機嫌でいられる。特に山行のあとは温泉がなければ嫌で嫌で仕方がない。ガイドツアーのあとに温泉がないなんて考えただけで悪寒が走る。温泉はいい。温泉がなければバックカントリーツアーは成り立たない。そう思っている。

美瑛岳や美瑛富士などの方面に出かけるときはいつも温泉で悩んでしまう。白金温泉という立派な温泉地があるのだが、町営の公衆温泉「白樺荘」は300円でお湯の質が抜群だけど、下宿の風呂みたいであまりにも素っ気なさすぎる。ペンションの風呂に行くことが多いのだが、あまり広くはないので週末には混雑して不評なことがある。ホテルの日帰り入浴はバカみたいに高い割には安っぽく、ボッタクリという印象がぬぐえなかった。白金温泉は日帰り入浴に適しているとは言い難い。それがこれまでの印象だった

白金温泉ホテルパークヒルズの風呂が改修したらしいと話には聞いていた。そこで、きょう行ってみることにした。割引券を使えば800円で入浴することができる。相変わらずちょっと高いとは思うけど、まあ、話の種ということもある。あまり期待しないでフロントで金を払い、いざ入館。

内風呂が2箇所、ぬるめの湯と、熱めの湯。熱めの湯は「ヒノキ風呂」ということになっている。が、しかし、ヒノキを使っているのは「枠」だけで肝心の浴槽はタイル張りだ。んんん?おいおい入浴客はそんなに馬鹿じゃないゾ。それに、ヒノキは「徳島産」ということになっているけど、徳島には100年生を超えるヒノキなどは皆無といっていい。僕は北海道に来る前に四国地方を管轄する 林野庁営林局直営の仕事をしていたのでこの辺のことについては結構詳しい。浴槽の枠には径25センチを超えるヒノキの一枚板を使っている。これだけのヒノキは国産ではもう滅多に手に入らないだろう。高知県や和歌山にはあるかもしれないが、これはおそらく台湾ヒノキだと思われた。徳島県の業者が扱っていたということに過ぎないのではないか?タイル浴槽なのに「ヒノキ風呂」それに産地表示の「?」。ホテルにちょっと疑いの目を向けてみたりする。

一方でぬるめの湯は普通の大型浴槽で以前とあまり変わらない。でも、湯加減がよく、長湯好きの僕にはちょうどよかった。大きな窓からは外の雪景色も見られる。なかなか悪くない。

露天風呂はほとんど改修されていない。大きな6角形で大人6人くらいならば窮屈な思いをせずに入ることができるだろう。湯温は42度くらいで、やや熱め。長湯には向かない。

ところで、白金温泉の湯の質だが、ここにはいくつか湯井戸があるので若干異なるのだが、いずれもちょっと刺激があって骨の髄に「沁みるぅ〜〜」「効くぅ〜〜」といったカンジだ。大きな浴槽に 湯を張ると酸化して黄土色がかり湯の花が舞う、いかにも温泉といったお湯。やや重いので長湯すると湯あたりする人もいるかもしれない。湯量は十分で混ぜ物の心配はない。白金温泉からさらに登ったところ、標高の高いところにある吹上温泉とは全然違う湯質だが、さらに奥の15キロほど離れたところにある十勝岳温泉には極めて似ている。

さて、特筆すべきは洗い場だ。十分な広さがあり清潔感もある。以前の素っ気ない壁沿い一直線の洗い場ではなく空間を立体的に使っていて、鏡も大きく、いい感じだ。アメニティもボディソープからシャンプーリンスまで、ひととおり揃っている。黒い擬似大理石の床もいい感じだ。

脱衣場も清潔で使いやすくなった。コインロッカーも100円返却式で好感がもてる。洗面が独立していてティッシュやドライヤーも完備だ。なかなかいい。

もちろん、全体に手が加えられて明るくなっているから、ひとことでカンタンに述べるならば「きれい」という総合評価ができると思う。これで割引券使用で800円。やっぱりちょっと高いけど、まあ白金温泉のなかでは「合格」ということになるだろう。しかし定価の1200円はちょっと難といったところ。

しかしまあこれで、白金温泉での風呂選びに悩むことはなくなった。でも、せめて600円にならないだろうか?吹上温泉白銀荘に慣れていることもあって、日帰り入浴800円にはやっぱり抵抗があるんだけどなあ・・・。改装されたといっても総合評価ではやはり白銀荘を上回ることはできない。あくまで白金温泉のなかでは「合格」ということだ。それに、きょう引率したツアー参加者4人(うち3人は女性)は全員、ヒノキ風呂がヒノキではないことにしっかり気付いていた。そのことをホテルはどう考えているだろうか。


2005年1月8日(土)

僕のリュックサック

きょうのガイドツアーはほんとうに楽しかった。遊びなのか仕事なのか、よくわからなかったけれど、気持ちよく「遊んだなあ〜」という充足感に包まれて大満足だった。粉雪を蹴散らしながらバックカントリーを豪快に滑ったことはもちろん楽しかったが、粉雪まみれになって大騒ぎしながら遊んだことが「やんちゃ心」に火をつけたのだろう。冬大好き人間の原点に立ち返ったような気分の1日だった。

そんなときにも僕の背中にはいつものリュックサックが一緒にいる。ロウ・アルパインというメーカーの赤とグレーと黒のコンビネーションカラーの中大型ザックで、中身はほとんどレスキュー用品ばかりが入っている。おにぎりと水筒以外は「もしも、そのとき」のための準備で占められている。そこそこの重さがあるが、それでも一時期よりは随分とコンパクトになった。今はせいぜい12キロくらいだろう。

このリュックはいつだって僕と一緒にいる。昨年の秋から初冬にかけての日本縦断MTB旅でも一緒だったし、沖縄なんかにリゾートにいくときも一緒だ。林道ツーリングでも一緒だし、 オートバイ旅でも一緒だ。もちろん夏の登山でもこれを担いでいる。つまり、年中こいつと歩いていることになる。 相棒は僕のその日の体調から精神状態まで、いつも背中で感じていることだろう。そう考えれば、こいつは僕のことを知り尽くしている、かけがえのない仲間だ。

実をいうと、洗ったことなど一度もないので夏場はかなり「臭い」らしい。自分ではあまり気にならないものだけど、ときどき、「ぷ〜ん・・・」とくることがある。冬には雪にまみれて冷凍されるから無臭になってしまうけど、春になったらまた臭いごと「解凍」されるのだろう。そう考えれば、春はなんだかおそろしい・・・。

きょう友人にそのことをこぼすと「一緒にお風呂に入れば?」 と彼は突拍子もないことを言いだした。しかしだ。これは実に理に適っているとすぐに気付いた。さすがだ〜。この人は普段から真面目な顔をしてとんでもないことを言う人なんだが、本当はとても合理的な考え方を持っているらしい。ようし、この際だから相棒にも一緒にお風呂に入ってもらおう。雨のなかでも歩き回るのだから、お湯に浸かったからといって不都合はないはずだ。全身がすっかりリフレッシュされるにちがいない。僕はよく時計をしたまま風呂に入るが、それはバンドが臭くなるからいっそ風呂に入ってしまえ!ということでそうしているのだ。リュックを背負って風呂に入るのは、それと同じことだ。 相棒はいつも「遊び」が終わったら車に乱暴に放り込まれて氷点下の荷物室のなかでカチコチに冷凍されるというミジメな思いばかりしている。僕のように露天風呂でいい気持ちぃ〜という極楽的ないい思いなどしたことがない。たまに風呂に入ったとしても罰は当たらないだろう。相棒にだってそれくらいの権利はある。露天風呂はちょっと無理だけど、家の風呂ならいいだろう。

相棒!春になったら一緒に風呂に入ろうゼ!その日を僕はひそかに楽しみにしている。禁断の楽しみがまたひとつ増えたような気がする。


2005年1月5日(水)

バックカントリーとゲレンデ 僕はまだまだ未熟なんですが

冬のシーズンが一気に佳境に入ったこともあって、ガイドの山小屋の常連さんたちの間では、どうやったらうまく滑れるのかという話題でもちきりだ。

ある常連さんの話。毎年訪れるAさんは、まず2日連続で公認指導員による講習を受けたのだが自信を失ってボロボロになって帰ってきた。そのあと気を取り直して2 日連続でバックカントリーツアーに参加したら、こんどはすっかり自信を取り戻してニコニコ顔で帰っていった。

ゲレンデとバックカントリー。向き不向きもある。いちばん大切なことは楽しむことなんだと思う。

テレマークスキーは本来、ゲレンデよりもバックカントリー志向の強い道具だから、山で使うほうが楽しいと僕は思っている。でも楽しみ方は人さまざまで、ゲレンデでうまく滑ることを目標にしている人だってたくさんいる。要は、自分が何をしたいのかが大切だろう。理論的で真面目な人や競技を目指すアスリート系の人はゲレンデ向、天真爛漫な人はバックカントリー向、そんな傾向もあるかもしれない。

ところで講習帰りの皆を見ていると、たとえゲレンデで上手になっても厳冬期の深い深いパウダースノーではそのノウハウがなかなか生きてこないらしい、ということに気付く。みんな口を揃えて言う。「全然違う」と。そして、けっこう上手な人ほど落ち込んでしまう。

でもまあ、そんなに気にすることはないんですよ。そうやって楽しい試行錯誤をしていてください。そういうことも楽しいですからネ。

でも、もし試す機会があるのなら、次の方法を試してほしい。

深い雪では、まず最初の加速が大切。スキーも自転車と同じで、ノロノロしていてはフラフラする。ノロノロでカーブが曲がれるだろうか?きっとバランスを失って転んでしまうだろう。スキーだって同じだ。失速寸前のスピードで曲がろうとしても、そんなのダメダメ。止まってしまうか転んでしまうだろう。

まず最初は加速。そして勢いづいたところで最初のターン。しっかり足を曲げることと後ろ足に捻りを加えることがうまくいくポイント。インストラクターには即座に否定されるだろうが、三段山ビデオを見ていても、みんな後ろ足をグイッと捻り込んでいますよネ。これが深雪のリズムに乗る秘訣なのかもしれない。

また、講習ではうまくいくけど深雪パウダーではどうしてもうまくいかない人には春スキーがいいと思う。3月〜5月になれば深いパウダーではなく締まった雪になるから条件はゲレンデに近くなる。実際、インストラクター主催のツアーはこの時期に行われるから、それに参加してみるのも悪くはないだろう。

ところで、人気があるテレマーク講習は本州では妙高高原の妙高バックカントリースキースクールモルゲタール倶楽部、それから裏磐梯などがいい。 また栂池高原のテレマークスキー・インストラクター石木田さんの講習を受講した人は 素晴らしく上手になって帰ってくるからオススメだ。(会ったことはないんだけど)また北海道ではニセコで僕の知人のモーリーが熱いスクールを行っている。彼はイケメン・インストラクターだ。

ただし皆さん、テレマークは理屈で滑るんじゃあないんです。楽しむことがいちばん大切なんです。楽しみましょう。


2005年1月2日(日)

みなさん、年賀状は書きましたか?僕はまだデス

慌しいままに正月が2日、あっという間に終わってしまった。

今シーズンから僕は初心者へのフォローを厚くすることにしている。昨年までは安全確保にばかり重点をおき、または「滑る楽しみ」に焦点をおいてきたので、その陰では「しんどくってタイヘンだった」「けっこう厳しく言われた」と思った人も結構いたと思う。僕の脳裏には5人の「タイヘンだった」だろう参加者がしっかり焼きついている。全体の人数から見ると僅かなものだけど、ずっと気になっていた。どうすればその5人が楽しく過ごせたのか、秋頃からはそればかりを考えていた。転んだらすぐに飛んで行って恋人のように優しく手を差し伸べてあげることは、やっぱりできないけれど、(キリがないし、一人だけを特別扱いはできないため)もっと別の方法はあっただろうと考えていた。だから今年の僕はやたら優しい。でも、意外だったのは、優しくすることでツアー全体の雰囲気がよくなったし、それに自分にも余裕が生まれた。ツアーの進行状況もかえって順調なくらいだ。これでよかったと思う。もっと早く気付くべきだった。

シーズンの滑り出しはとりあえず順調だ。正月を迎えて、元日、2日とも素晴らしいツアーができた。みんなハッピーだし、僕もハッピーだ。これ以上の幸せはない。みんなハッピー。ようし、これで行こう。

明日は仕事もひと段落しそう。三段山テレマークツアーは女性に人気の九州男児U田さんに任せてあるし、クロスカントリーはきれいなお姉さんN田さんに任せてあるし。僕は社長業に徹するとしよう。なんて思ってみたり。少し体を休めることができるかもしれない。

でも、困ったことに僕はまだ年賀状をほとんど書いていない。いくらなんでも明日には書かなければ。

おまけに積もった雪の重みで今にも倒壊しそうなガレージがあるから、やっぱり雪と格闘しなきゃいけないんだろうな。あ〜〜〜ぁ・・・


2005年1月1日 謹賀新年

快晴のお正月

朝、目覚めると空が真っ青だった。抜けるような青だ。

僕には正月はない。シーズン真っ最中だし、いちばん忙しいときだ。まして元旦のツアーには車を3台フルに使わなければならない。あまり浮かれてはいられない。でも、お天気がいいと気分は最高だ。 (右写真)元日の太陽と三峰山 Photo Uyda

天気夜予報は曇り時々雪だった。だから天気にはあまり期待はしていなかった。これが、見事に外れた。

7時20分頃、窓の外を見ると十勝岳の山頂に後光が射している。噴煙が金色に輝き始めた。ご来光だ。

驚いたことに、僕の住んでいる美馬牛では、元旦の日の出はピッタリ十勝岳山頂から昇るのだ。ここに引っ越してきて8回目の元旦だが、そのことを今年初めて知った。すばらしいご来光をこの目で見ることができた。生まれてはじめてご来光に本気でかしわ手を打って願い事をした。

この日のツアーは素晴らしいものだった。みんなハッピーとはこのことだ。お正月から働くなんてと思われるかもしれないが、みんなと一緒に楽しめるこの仕事はとても素敵だし、きょうのようにみんなが笑顔で「ありがと〜」と言ってくれたら、僕は最高に幸せだ。

幸先のいい正月。きっとハッピーな1年になるだろうな。

みなさんにとっても、かけがえのない1年になりますように。

 

今年もよろしくお願いします。


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