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2005年10月18日(火)

さようなら1号車

この夏には寂しい別れがあった。

僕が駆け出しのプロガイドだった97年ごろ、いよいよ念願の「ガイドの山小屋」を開業することになり、店の名前入りの車を新車で購入したのだ。設立したばかりの会社の資本金300万円を投じて購入したピッカピカの10人乗りの小型バスのような、トヨタ・ハイエースというワゴン。毎日、参加者を満載してガイドツアーに出発していった。ピーク時には週4回、紅葉シーズンには週6回も富良野岳または十勝岳に登山していたし、冬でも同じくらいの頻度で山に入るので、この日誌を見る方のなかには「ガイドの山小屋」という冠の入ったそのハイエースを十勝連峰のどこかの駐車場で見たことがある人もいるかもしれない。

この夏、とうとう、その最初のハイエースと別れる日がきた。今、ガイドツアーの中心になっているのは3台目のハイエースなのだが、この1号車はいまだ無事故で故障がなく、隅々まで非常に程度がよいので予備として維持していたのだ。こいつはまだまだ10年は無故障で働いてくれると思う。よく車には当たり外れがあるというが、この1号車はまさに「あたり」だったと確信している。

それでも別れがやってきた。この春に決めていた新規事業への参入を急きょ取りやめたので、必要になるはずだった1号車が不要になってしまったのだ。プライベートの車は別にあるから1号車は完全に余剰要員に陥ってしまい、リストラの対象になってしまったというわけだ。もう事業を拡大しないという決意の現れもあったかもしれない。

誰かこの車を必要としている人がいれば安く譲ろうと思い、しばらくはHPにささやかに広告を出していたのだが、反応はなかった。そこで、もしかして高いのかな?と思って試しに中古車売買で有名な「ガリバーの無料査定」を軽い気持ちでお願いしたのだ。

「いくらで売りたいのですか?」と、査定にきた営業マン。

「いちおう50万円で広告を出していたのです」と、僕。

ああ、いいですよと、ほとんど検討する暇もなくあっという間に引き取られることになってしまった。しまった〜・・・もっと高く売れたのかもしれないと気が付いたが、あとのまつり。やはり非常に程度がいいことと整備手帳などのメンテの記録が完全だったことABSやエアバッグが装備されていたことが即買取の決め手になったらしい。10万キロも走っていたのに、ちょっと驚きだった。

あっという間にイケメンの整備士ふうのお兄さんがやってきて、一礼すると僕の1号車に乗って走り去ってしまった。去っていく1号車の後姿を見るのは辛かった。8月上旬のある夕方のことだ。

あれから2ヶ月が過ぎたが、今でも走り去っていく1号車の後姿がまぶたに焼き付いて離れない。開業以来の怒涛の数年間を共に走ってきたパートナーだったのだ。楽しいこともあったがあまりにも苦労が多くて思い出したくない日々なのだが、1号車だけはいつも僕のそばにあって裏切るということがなかった。だから、もう用がないからと、たった50万円の端金で手放すべきではなかった。生活は苦しいけれど多少無理をしてでもそばに置いてやればよかったと後悔した。あの車もきっと僕のそばにいたほうが幸せだったのではないかと、人格があるはずもない1号車に対してそんな感情をもったのだ。

なぜかはわからないが、自分は間違った決断をしたような気がしてならない。できるものならば取り戻したい。あいつは僕の、かけがえのないパートナーなのだ。

いま、とてつもなく寂しい。

いまどこにいるだろうか。営業マンの話では海を渡ったらしい。