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2004年3月29日(月)

 

人間のエゴ 野生の掟 そして命のネットワーク

 美瑛町の市街地から車で30分ほど十勝岳へ向かって車を走らせると「白金温泉」に行き着く。人家から遠く離れた、国立公園の原生林に囲まれた自然豊かな環境は、「犬を捨てようとする人」にとってもまた魅力的な環境なのかもしれない。

(左写真:狩りで仕留めた獲物を守る犬たち。2m以内に近づくと物凄い剣幕に変貌する。犬たちの年齢は1歳くらい。まだ顔が幼く、特に向こうの端の子はやんちゃ盛りだった。いちばん手前の子の左前足は半分から先が欠落している。よく冬を生き抜いたものだと思う)

 きょう 、白金温泉の近くの森の外れに鹿の死体を見た。しかし道路に横たわる鹿の死体などは決して珍しいものではない。このあたりでは時々、野生の鹿と車が衝突する人身事故ならぬ鹿身事故がある。はじめ僕は、その死体に野犬が群れているのだと思い、気にも留めなかったのだが、※足を1本持ち帰ろうと思い近づいてみて、驚いた。この鹿は彼らが狩ったものだったのだ。しかも犬たちのほとんどはまだ幼い若い犬だった。彼らはおそらく捨て犬だ。子犬のころに捨てられた彼らは捨て犬同士で群れることで助け合い、人に頼らないで生き残るための野生の道を偶然にも見つけたのだろう。

 捨てられた子犬たちは飢えと恐怖のなかで、きっと「生」への執念を燃やしただろう。やがて本能が彼らを目覚めさせた。こうして彼らは何十年前に絶滅してしまった犬族の先輩「エゾニホンオオカミ」と同じ方法で生き残る道を歩むことになる。誰に教わったわけでもないのに遺伝子のなかに刻まれた野生の記憶「本能」により集団で行動し、自分たちの力で大自然の中で生き抜こうと必死の闘いを始めたのだ。疑いようがないだろう。   

 しかしながら、なんてこった!今は春3月、原始の森では賑やかな雪解けが始まっている。そして今の彼らは幼いながらも立派な若い犬だ。しかし、この冬の始まりの頃には、彼らはまだ、ほんの子犬だったはずだ。それが長い厳冬の原生林のなかで人間に頼らずに生き抜いてきたのだ。どうして驚かずにいられようか。それに、初冬の森のなかで子犬たちが体験したであろう恐怖を思うと、胸が痛む。おそらく何匹かの兄弟は命を落としたと思う。しかし、ここにいる彼らは生き残った。奇跡だと思った。

※「足を1本持ち帰ろうと・・・」野生の鹿は美味。交通事故で倒れた鹿は、ときに奪い合いになることもあるという。僕は迷うことなく一番旨そうな腿肉を持ち帰ろうと、犬たちのひんしゅくを買いながらも鹿に近づいていったのだ。でも、足を切り取ることはできなかった。彼らが命をかけて獲った獲物を横取りする資格など、僕には決してない。野生のルールだ。

(右写真:首筋に致命傷になったと思われる噛み痕が残る。一撃必殺の野生の本能が成せる技である。誰に教わったわけでもないだろうに・・・。無理に鹿を横取りしていたら、僕も同じ目に遭ったかもしれない)

 写真を見て、仔鹿が可哀相だと思う方も多いと思う。しかし、これだけは忘れないで欲しい。この犬たちは冬の森のなかで自分たちの力だけで食べ物を獲得しなければならなかった。彼らは野生の本能を取り戻すことで辛うじて命を永らえてきた。食わなければ、彼らは死を免れることはできない。ここには、ドッグフードなど存在しないのだから。仔鹿の命は大自然に還っていった。仔鹿の血も肉も内臓も、すべて余すことなく大自然の営みのなかに生き続ける。いわゆる食物連鎖、命の壮大なネットワークなのだ。どうか、それを理解してほしい。

 若い犬たちは、なかなか人懐っこい仕種をみせた。いちばん幼く体の小さいやつ(いちばんやんちゃな子だ)が肉を食べに来ると、リーダー格と思われる前足のない犬が威嚇をした。それが僕にはイジワルをしたように見えて「コラッ!」と叱ると、前足のない犬はびっくりして「お座り」をし、さらに睨みつけるとクーンと言って「伏せ」た。また、別の犬は僕をみてコロコロ寝転がりながら腹をみせ「遊んで遊んで!」というシグナルを送ってきた。やっぱり子犬なのだ。そして、彼らはやはり、間違いなくかつて飼い犬だった。どんな事情があったかは知らないけれど、その後、大変な試練をくぐり抜けてきたのだろう。

(左写真:周辺の森のなかには彼らと仔鹿の互いの生死をかけた格闘のあとが残る。雪に残る無数の蹄の跡には、闘いの際に脱毛した大量の毛が落ちていた。)

 それにしても、いったい何頭の犬たちが周辺の森にはいるのだろう?最初に彼らを見かけたときは写真の白い犬たちとは違う、茶色で体が小さくすばしっこい印象の別の種の群れだった。捨て犬の兄弟単位で群れを維持しているのだろうか。そうだとしたら、やがて繁殖期を迎えるころ群れは秩序を失い、存続の危機が訪れる可能性がある。群れが存続しないということは彼らにとっては死を意味する。また、万一群れから追い出される子がいたとしたら、それも死を意味する。厳しい野生の掟だ。

 数十年前にエゾニホンオオカミが絶滅してからは、森のなかでは狼にかわってキツネやクロテン、オコジョなどの肉食動物が食物連鎖の頂点に立った。(ヒグマは主に草食傾向の強い獣なので、肉食獣とは言い切れない。)その結果、エゾシカは天敵を失い、各地で異常に増えてきたという。北海道内では各地でエゾシカによる農業被害が深刻化しており、盛んにハンターによって駆除されている。だから僕らの食卓には、ときどき野生の鹿の肉が並ぶことがある。鹿の肉は牛肉や豚肉と比べてかなり美味い。非常に人気のある高級食材でもある。

 この鹿は犬たちによって狩られたばかりで今は犬たちの独占だけど、空からはすでにカラスや鷲が様子を伺っている。夜になるとオコジョやクロテンなどのイタチ類も血の臭いを嗅ぎつけてやってくるだろう。もしかしたら、冬眠から覚めたばかりの腹を空かせたヒグマもやってくるかもしれない。そうなると、とても若い犬たちの群れだけでは獲物を守りきれないだろう。もしヒグマがやってきたら、とてもではないが、守りきれるはずはない。熊は獲物を独占する傾向がある。食べ終わると埋めて隠してしまい、しかもその上に寝そべったりして独占を続ける。そうなれば、犬たちはまた狩りに出かけなければならなくなるだろう。

 ほんの50mほど離れたところには親子の鹿がいて、様子をじっと伺っていた。親鹿に寄り添う仔鹿は「キューン、キューン」という寂しげな啼き声を発して動かなくなった兄弟を呼び続けている。兄弟の死が理解できないのだ。「早く立ち上がりなよ。早くこっちに逃げてきなよ。」そう言っているように聞こえる。無理もない。その仔鹿の兄弟はすぐ目の前、すぐその先に横たわっているのだから。いまにもムックリ起きあがっても不思議ではないように思える温々しさだ。ただ、犬たちが番をしていることは、仔鹿の死を意味している。それでも鹿の親子はまだ死を受け入れられないでいる。胸がふさがる悲しい光景だが、これも野生の掟なのだ。いずれ死は彼らにも訪れるのだから。

 「今のうちに腹いっぱい食っておけよ」犬たちにそう言い残して、僕はそこを立ち去った。おまえたち、生き残れよ。そう言いたかった。そして、兄弟を呼び続ける仔鹿の啼き声だけが、いつまでも森にこだましていた。

 

2004年3月23日(火)

 

探しものは何ですか?

 

 きょう一人で十勝連峰のひとつ「美瑛富士」に行ってきました。山スキーの下見ツアーです。そのルートの一部は営業ツアーのルートに重なる部分があります。

 2週間ほど前、僕はお気に入りのサングラスのレンズの片方を落としてしまったのです。転んだ拍子に外れて落ちた片方のレンズ。片目だけのサングラスはカッコ悪かったぁ。いや・・・悔しくって。転んだこともだけど、お気に入りのサングラスだったからです。

 それが見つかったんですよ美瑛富士への登りの途中で少し寄り道をして、2週間前に転んだ場所のあたりを(けっこう覚えているものです。それに僕はけっこう執念深かったりする)スコップで掘ってみました。真っ白な新雪を掘り、さらに固く凍ったアイスバーンを少しずつ削るように掘り下げていきます。作業すること20分、考えていた場所から少し外れた場所の積雪20cmほど下の氷状になった雪のなかから、キラリと見慣れたブルーのレンズ!!やった〜!まるでクジに当たったような気分です。

 雪のなかで落し物をしたら、まず見つかりません。それだけに喜びもひとしおです。なかば諦めていたんだけど探してみるもんですね。これできょうのツアー下見は7千円の価値があったというものです。7千円。取り戻したサングラスの値段。僕にとっては大金っスよ。まさにリアルな宝探しでした。

 一方で山はすっかり春です。鹿の親子が歩き回っているのを何度も見かけました。天然記念物のキツツキ「クマゲラ」がエゾマツを突付く音はまるで機関銃のようです。派手に森に響きわたります。はっきりいってうるさい。そろそろヒグマも冬の眠りから起きだしてくることでしょう。だって、こんなに賑やかでは、もう寝ていられないはずだから。そして、僕の冬の仕事もそろそろ終わりに近づいてきました。

 

2004年3月17日(水)

 

ザラメ雪

  きょうのツアーは大学生4名。明日の十勝岳山麓バックカントリーツアーに参加するということなのでテレマークスキーをレンタルして練習がてら「五稜の丘」に出かけました。ここは眺望がよい上、ほどよい緩斜面の連続する丘の連なりは初級・初中級・中級と斜面選びのバリエーションも豊富で練習にはちょうどいいのです。最高気温がプラス10度にもなるという今日の雪質はザラメ雪。癖もなく実に滑りやすい雪です。真冬のパウダーもいいけど、ザラメ雪もいい、ザラメ雪は人を選びません。下手な人はそれなりに。上手な人もそこそこに。滑りにあまり個人の技量差がでないので皆が一様に楽しめるのです。しかもザラメ雪はプラス気温の雪なので暖か。まったりできるのも春らしくて良いです。初夏の登山で出会うことのある「雪渓」の雪。あれが「ザラメ雪」ですね。シャキッとした歯ごたえのある安定した雪です。

 きょうの大学生4人はとても賑やかで楽しい女性たちでした。さて、明日は同じメンバーが今度は山に行きます。でも山はまだザラメ雪ではないんですね・・・。山で安定したザラメ雪のスキーツアーを楽しめるのはGWの頃のことです。そう、まだ1ヶ月以上先のこと。さて、きょうの4人は変わらないモチベーションを保てるかどうか。でも、きっと大丈夫ではないかな?と思います。雪のコンディションや天気はもちろん大切な要素だけど、本当に大切なことは「楽しむことに貪欲になる」ことです。常にハッピーな人たちというのは自然に「幸せ」を呼び寄せる(引き寄せる)力があるものなので、きっと明日の諸々は彼女たちに味方することでしょう。

 いま、外は雨が降っています。この雨は夜には雪に変わるでしょう。十勝岳山麓ではこの雪が季節外れのパウダースノーになるのかもしれません。

 

2004年3月16日(火)

 

融雪剤の季節

 

 日中の気温が目に見えて上がってきました。そして、美瑛の丘(農地)では真っ黒な融雪剤の散布が始まりました。そろそろ冬シーズンも終盤を迎えます。なんだか寂しいですね。

 今年のクロスカントリースキーのツアーはそろそろ終わりです。十勝連峰のバックカントリーツアーは山の積雪が豊富ですから5月連休いっぱい実施できると考えています(もしかしたら5月中旬も?)。なお4月5月はとても紫外線が強いので念入りな日焼け防止対策をおすすめします。たった1日で顔だけ真っ黒になりますよ〜。

 

2004年3月15日(月)

 

すみません自慢させてください

 北海道といえば「カニ」ですよね。きょうスーパーの魚売り場で大ぶりなカニを発見したので報告します(写真)。もちろん普通のズワイガニ(越前カニ 、松葉カニと同じもの)です。このズワイの隣には毛ガニが山盛りに積んであり、こちらは1ハイ698円でした。

 いやぁ!北海道は素晴らしいでしょ?

 

1ハイ298円 幅約40センチのズワイガニ

 

 

2004年3月14日(日)

 

1999年の雪

 雪不足で始まった今シーズンですが、終盤に入って多雪傾向が続いています。十勝連峰の山麓では積雪深は軽く2mを超えており場所によっては3m〜7mに達しています。僕がよく利用する稜線の登りルートの直下にある3mほどのダケカンバの木はすっかり埋もれてしまい、今ではどこにあるのかわからなくなっています。美瑛岳山麓の林道ではカーブミラーの大きな丸いミラーだけが雪のうえにポッカリ顔を出していました。このような光景が見られたのは戦後の多雪の記録を塗り替えた1999年以来のことです。

 1999年、この年は僕にとって忘れられない年です。98年に冬山プロガイドとして完全に独立したばかりの僕は、まだ経験も体力も不十分な新米でした。そんな僕に対してこの年の大雪は1年生に突きつけられた試練、大自然に 突きつけられた現実。まあ1年生ですから「シゴキ」だったのでしょう。来る日も来る日も苦しいラッセルが続きました。 行けども行けども目の前には雪の壁が続き、本当に死んでしまうんではないかと何度も思ったものです。また、やっとの思いで山のツアーから無事戻ってみれば 、今度は駐車場(約百坪)の除雪が有無を言わせず待っていました。除雪しなければ店の営業もできません。やらないわけにはいかない。それはそれは苦しい日々でした。自信家だった僕は痛めつけられ、自分の体力の限界と精神の弱さを痛感したものでした。あれでよく投げ出さなかったものだと今でも思います。 散々に叩きのめされた冬、それが僕にとっての1999年冬でした。

 

最深積雪

 

単位

cm

年/月/日

1位

125

1999年03月03日

2位

119

1987年02月27日

3位

114

1987年03月07日

4位

111

1999年02月16日

5位

106

1994年02月02日

最深積雪 ( 統計期間 : 1983/10〜2004/02 ) 美瑛

 

最深積雪

 

 

cm

年/月/日

1位

138

1987年03月04日

2位

136

1999年03月03日

3位

134

1938年02月18日

4位

131

1999年02月28日

5位

125

1994年02月23日

最深積雪 ( 統計期間 : 1893/10〜2004/ 2 ) 旭川

※2004年3月上旬の美瑛の積雪 90〜100cm(平年値60cm前後)

旭川地方気象台資料より

 上記の資料は人が住む市街地のある平野部のものです。標高1千mを超える山岳地帯では、この数値は倍以上になると思われます。特に今年は山間部と平野部の差が非常に激しい傾向があるので、山間部の積雪深はさらに多いと いえます。てっきり今年は雪不足だと思っていたけれど、終盤になってみると結構いい感じの今年の冬、この調子だと5月連休以降もしばらくバックカントリースキーが楽しめるのではないかな、と期待しているのですが・・・、先のことはまだまだわからないんですけど、なんとなく嬉しい予感なんですね。

 1999年、試練の冬。あの日々を乗り越えることが出来たからこそ、今では多雪を楽しむ余裕が生まれたのだと思っています。あの試練の日々を一緒に闘ってくれた仲間の一人はいま、道東の屈斜路湖畔で小さなロッジを経営するオーナーになっています。冬が終わったら一度遊びに行きたい。僕の戦友、ってとこなんですね。

 

2004年3月11日(木)雨のちくもり

 

値上げ?

 好評の冬 のツアープログラム「十勝岳山麓バックカントリーツアー」そういえば、しばらく値上げをしていないのです。基本参加料3500円。一般的な同業者と比べて3割〜半額。バックマージンや保険料、その他の経費を差し引くと常に数十円のコストの壁との闘いです。

  以前から悩みの種は何といっても「送迎」と「傷害保険」でした。送迎を充実するには雇用の必要があり、人件費はそのまま参加料に反映されてしまいます。また、送迎を充実させることで今のような20人以内で実施してきた少人数プログラムそのものが崩壊するかもしれません。現在の「来店手段は公共交通機関」が壁となってきたおかげで少人数制を維持できたのかもしれません。送迎を実施すると値段も高くなりますが、ただでさえ込み合う年末年始や週末は、まるで「団体ツアー」みたいになる可能性があります。ちょっと嫌ですよね。僕も団体サンを率いるのは抵抗があります。

 それから「傷害保険」。現在の傷害保険は「主催者の不注意で怪我・死亡・後遺障害が生じた場合に対応する保険」です。最大2億円まで対応する大型保証なのですが、しかしながらこれは何でも無条件で保証されるというわけではないのです。保険会社が申請を受けて審査を開始します。例えば@現場の危険性や難易度がきわめて低いA発生要因がなく自損と考えられるB自己所有の道具による場合など、これらのいずれかに該当する場合は審査の対象にすらなりません。つまり大型の遭難や事故、あるいは明らかな主催者の責任が認められない限り適用されないのです。

 捻挫打撲骨折など通常起こりうる傷害に対応するには無条件で適用される傷害保険が必要です。しかし、そういう保険になると一人あたりの参加料金への負担は一挙に600円も跳ね上がってしまいます。それに、仮に保険を適用しても通院1000円が関の山。なんとなく勿体ないんですよね。それに実際に保険適用の対象になるのは年間1〜2名。その1〜2名の救済ために参加者全員に負担を課すことが果たして妥当だろうか?と、いつも悩んでいます。

 でも、怪我した人の「その後」というのがすごく気になります。具合はどうだろうか?仕事や生活に支障はないだろうか?せっかくの旅行が楽しくなかったんじゃないだろうか?保険がもらえなかったことに納得していないんじゃないか?怒ってるんじゃないだろうか?・・・シーズン中ずっと気になるのです。自分が悪いわけじゃないけど、やっぱり心に重く圧し掛かってきます。立場上、うかつに同情や謝罪の言葉を掛けることもできません。代金の返金をしたり診察料の負担、見舞いなどを行うことは法的には過失を認めているとみなされるのでタブーなのです。法や判例というのは非常に冷酷ですから既得権や既成事実化を恐れるあまり僕も対応が固くなってしまいます。事前に必ず署名していただいている「参加同意書」にはこれらのことが概ね説明されているのですが、やはり自分が当事者になったら、それでも「自分には特別に何かしてもらえるんじゃないか」と期待してしまうのは当然だと思います。でも、実際に僕に出来ることは説明することだけ。これは非常に心苦しいことです。

 保険料分の値上げが可能ならば僕は随分と気が楽になります。不幸にも怪我をしてしまった人の感情も幾分和らぐことと思います。そろそろ参加料金の値上げを決断する時期が来たのかもしれません。

 でも、みんな納得してくれるかなぁ?出来ることなら値上げは避けたいと思うのですが。

 きょうはちょっと固い話になってしまいました。

 

2004年3月10日(水)くもり

 

春の足音

 冬が大好きな僕にとって憂鬱なことなのだけど、春が近づいています。

 空気からは張りつめ感が消え、柳の芽が膨らみ、雪は湿り気を帯びてベチャベチャ、道路はすっかり乾きアスファルトが露出しています。それに、いま夜の9時だというのに外気温はプラス5℃。なんでや〜

 また、あちこちで農作業が始まりました。冬の間はほとんど動きが見られなかった畑や農家の周辺では日中、農作業の準備を始める人たちが目立つようになりました。美瑛の丘に真っ黒な融雪剤(主に木炭の粉なのだそうです)が撒かれるのはもう間もなくのことです。晴れたお天気の日が増えて、雪はどんどん解けていきます。僕が実施している美瑛の丘でのクロスカントリースキーのツアーは間もなく終わります。

 まだまだ厳冬期の趣のある十勝連峰の山々ですら、確かな春の足音を感じます。雪が張り付いて巨大に成長していた針葉樹からは雪が落ちて緑が濃くなりました。羽毛のような真冬のパウダースノーに出会う機会もめっきり少なくなりました。粉を巻きあげながら滑る機会も減りました。深い雪を掻き分けながら進む辛い「ラッセル」も減ったけれど、それでもいいから深い雪を滑りたい僕は、なんだか不満。冬、もっと続けばいいのになあ・・・。

 タラの芽の天麩羅もフキ味噌もウドの酢味噌和えもギョウジャニンニクの餃子もイワナの塩焼きも楽しみなんだけど、僕はまだまだ冬を楽しみたいぞ!でも、「山菜のかき揚げ丼」は早く食べたい、かな?


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